2012/08/28

貧乏人の経済学~もう一度貧困問題を根っこから考える

ブログでは、久しぶりとなりますが、本を取り上げます。バナジー・デュフロ共著「貧乏人の経済学(原題はPoor Economics)」です。
かつて、貧困への援助は画一的に行われてきました。その援助の効果について、他の要因なのか援助によるのかがあいまいでしたが、2人の著者はランダム化対照試行(RCT)により世界の貧困研究、政策の効果分析における方法論の流れを変えてしまいました。

まるで社会学者の本であるかのように貧困社会の描写は具体的です。貧困の罠からは、貧乏な人は手当たり次第に食べているように想定してしまいますが、1日99セントで暮らす人々のほとんどは、36%から79%しか食べ物に使わず、煙草やアルコールをやめるとあと3割食費が増やせます。

また、バングラデシュやエクアドル、ペルーなどの調査から、教師は平均して5日に1日は無断欠勤し、さらにインドでは教師はたとえ学校に来ても、授業をせずにお茶を飲んだり新聞を読んだりしていて、実に公立学校の教師の50%が教室を空けています。(インドのプラサムの調査によると学校に通うと実は返って勉強ができなくなる子どもたちの実態があります。)

さらに女性差別の問題もあります。インドの女性差別が最も激しい州では女児100人に対して男児126,1人という比率になっています。アマルティア・センは全世界で1億人の「行方不明の女性」が存在すると見積もっています。

副題にある通り、もう一度貧困問題を根っこから考えるための本でした。

カプリ島と青の洞窟①~イタリア旅行①

旅行は天候に恵まれました。イタリアは日差しが強く、日中は35度を超える暑さ(ただし湿気は無い)でしたが、夜には20度を切り、熱帯夜のような寝苦しいことはなく、体は楽でした。

イタリア旅行のことを少しずつ書いていきます。第1回はカプリ島と青の洞窟です。

風光明媚なカプリ島は、青の洞窟でも有名です。また、歴史的にもローマ帝国第2代皇帝ティベリウスが治世の後半、カプリ島に隠遁しながら帝国を統治したことでも知られています。
塩野七生さんの「ローマ人の物語Ⅶ 悪名高き皇帝たち」に皇帝ティベリウスは登場します。皇帝ティベリウスは歴史家タキトゥスの「同時代史」などで酷評されていたことから、長く悪帝と思われていましたが、ヴォルテールの再評価以降に旧ローマ帝国全土から新たに発見された碑文などの新資料から、「ローマがもった最良の皇帝の一人」と評価する声もあります。

皇帝ティベリウスは人民の機嫌を取る施策をすることなく、地味な存在でしたが、帝国の安定のため公正な法が厳正に施行され、ローマ帝国に安定をもたらしています。日本の政治家も見習うべきです。

ナポリからカプリ島へは12時40分発の観光船に乗りました。

ナポリの街並みが観光船から一望できました。「ナポリを見てから死ね」という言葉がありますが、南国イタリアを強く感じます。(しかし、ナポリの治安は相当悪いらしく、夜は絶対ホテルから出て歩かないように言われました。また、ゴミの散乱もひどく、ゴミ処理が大きな問題になっているというのは本当でした。)

ナポリから30キロ、カプリ島が見えてきました。

カプリ島の港に到着、頭に描いていた地中海の雰囲気満点です。

カプリ島の港で小型船に乗り換え、青の洞窟を目指します。

切り立った断崖絶壁が続きます。波打ち際には洞窟ができているところが見えます。

青の洞窟前に到着、30分ほど待って、洞窟に入れる手漕ぎのボートに乗り換えました。

洞窟の前で、出てくるボートを待っています。話には聞いていましたが、姿勢を低くしていないと入れません。

いよいよ入ります。洞窟のなかは幻想的でした。意外に広い洞窟のなかをボートは回ります。以下は洞窟の中の写真です。






ボートが洞窟を出る段になって、突然波が高くなり入口の天井まで波が届いてしまい、ボートは波が低くなるのを待ちました。

何回か波が来るなか、波をかぶりました、カメラのレンズも濡れていますが、私も濡れています。ポケットに入れていたスマートフォンもずぶぬれになり、洞窟を出た後作動しなくなりました。

ボートから小型船に乗り換えた後、スマートフォンを分解、カバーを外してバッテリーも出して、日光にさらしました。

1日後、だめもとで電源を入れてみると、なんと正常に作動しました。

2012/08/27

農林漁家民泊推進セミナー

夜、「農林漁村民泊推進セミナー」の第1回を受講しました。

農林漁業体験民泊はマスコミにも取り上げられ、近年規制緩和が進んでいるので、受講者も多く、成美大学の多自然地域活性化研究室の中尾準教授を講師に、午後7時30分から9時30分までの2時間、民泊が認知されるまでの流れと民泊に関連した政策や法律(旅館業法、建築基準法など)の規制などについて学びました。

奥大野では、平成14年に企業と提携して田舎体験ツアーに取り組んだことがあります。当時の農村報知新聞の切り抜きが残っています。
このツアーは民泊を推進することが目的ではなく、田舎に定住する人を増やすことの一助にでもなればとの思いから取り組んだのですが、参加者も少なく、また、参加者の宿泊を受け入れてくれる家庭も少なく、3回で終わってしまいました。

当時に比べると、民泊は格段にやりやすくなっています。

かがり火

地域づくりマガジン「かがり火」が送られてきました。

「かがり火」という雑誌に出合ったのは、大宮町議会議員の一期目の2000年でした。地域づくりの活動をするなかで議員に推された経緯もあったので、各地の地域づくりを学ぶために定期購読を始め、支局長にもなりました。

しかし、市議会議員になってからは、議会改革など率先して取り組まなければならないことや、各地域のイベントなどの日常活動が多く、肝心な地域づくりにかかわる時間が少なくなっていました。

その間、「かがり火」が雑誌の発刊を継続することが厳しい状況となり、一時休刊になったりもしましたが、菅原さんや地域づくりを支える熱心な読者のみなさんの応援により、今日も発刊され続けています。

今回の「かがり火」の表紙を見て役重さんの寄稿に目がとまりました。役重さんについては「ヨメより先に牛が来た」を読んでいたので知っていました。
役重さんの本を読んだのも2000年の暮れであったと思います。2001年のNHK正月ドラマにもなっていますが、「かがり火」への寄稿「帰りなんいざ、わが故郷へ」を読んだところ、まだ45歳の役重さんが、震災後の応急対応などの激務で倒れられ、今年の3月に体力の問題で退職されています。

役重さんの寄稿文での合併後の退職までの思いや、今後の活動についての思いを読んでいると、自分自身の初心についても考えさせられました。結局それが、市長選出馬への思いともつながっているのですが、もう少しじっくり考える必要も感じました。

「かがり火」とともに、12年を振り返ってみたいと思います。

2012/08/26

久しぶりの書き込み

久しぶりのブログへの書き込みです。

10日の夕方から20日までは、妻と旅行に出ていました。妻にとっては新婚旅行以来29年ぶりに飛行機に乗っての旅行でした。
(ベネチアでゴンドラに乗ったときの写真です。)

今年は11日が土曜日だったので、盆休みと併せて少し休みを取るだけで連続して日程が取れたので、かねてから妻から1度は海外旅行に連れて行って欲しいといわれていたのと、13年間の議員活動と5回の選挙を陰で支えてくれたことへの感謝の気持ちから、6月初めには旅行に行くことを思い切って決めて、妻のパスポート申請や旅行先選びをしてきました。

今回旅行先にイタリアを選んだのは妻ですが、ずっと以前にロバート・パットナムの「哲学する民主主義」を読んでから、制度とソーシャル・キャピタルの関係をこの目で見てみたいと考えていたので、勉強にもなると考えていました。(イタリア旅行のことも含めて具体的には別に書きます。)

また、認知症の義父母がいるので、介護の留守番が必要でしたが、娘婿の理解もあり育休中の娘と学生の息子が引き受けてくれました。(娘は孫と一緒に東京から帰ってきました。)


20日には、孫が這い這いで出迎えてくれましたが、次の日の仕事のことも考えてショートスティを利用していた義父が深夜に高熱を出し、救急車で搬送され入院したためドタバタしました。

病院で義父は急性胆炎と診断され、手術で胆のうと胆管を摘出することになったのですが、認知症のため入院していても精神的に安定することがなく、23日にはいったん退院しました。

しかし、まだ抗生物質の投与による炎症を抑える治療しか受けていないため、27日には再入院して、その後は入退院を短期で繰り返しながら必要な手術をしていくことになります。

ただ、義父は自宅にいても自分が病気だということが理解できないため、安静にさせておくことが難しく家族を困らせています(本当は入院が必要なのですから、義父がことが分かれば病院も帰ってくれともいわないし、医師や看護士からでも通じないものは家族ならなおさら通じません。)

2012/08/09

友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル

きょうは、秋祭りの話や自民党大宮町支部の役員会と明日の準備で1日が終わりました。

さて、最近読んだ本を紹介します。


友だち地獄―「空気を読む」サバイバル ~重たい内容です。

いじめの被害に遭う生徒は気まぐれに次から次へと転じていき、固定化されることはむしろまれであるという。だから、被害に遭わないためには、友達との衝突が起こらないように繊細な気配りをしなければならない。


その息苦しさを中学生が川柳にしています。
「教室は たとえて言えば 地雷原」

また、教師が生徒に友達感覚で接する「なれあい型」の学級の方が、教師がきびしく指導する「管理型」よりもいじめが発生しやすいことがデータとして得られているのに、現状は「管理型」が減少し、「なれあい型」が倍増しており、憂慮すべき状況となっています。

今いじめの状態やいじめの変遷を知るには参考になる本でした。

2012/08/05

丹後ディスククラブ第295回例会

昨夜は、我が家で丹後ディスククラブの例会がありました。丹後ディスククラブはクラシック音楽の愛好家の会で、ほぼ毎月1回土曜の夜、会員の自宅を会場にして例会をしています。

私も22年前から会員に加わっていますが、市議会議員になってからはなかなか例会に参加できずにいました。昨夜は6年ぶりの我が家での復帰例会でした。
雑談のなかで、昨夜が第295回の例会ということで、昭和62年から25年以上も丹後ディスククラブが続いていることに改めて驚きましたが、私のオーディオが22年前から同じであることなどの話もあり、時の経つのも早いことを感じました。

さて、昨夜の例会で取り上げたCDです。全てバロックの名曲です。
1曲目はヴィヴァルディの「調和の霊感」から、第6番 ヴァイオリン協奏曲イ短調 ピノック(指揮、HC) イングリッシュ・コンサート スタンデイジ(VN)  古楽器を使っていますが、響きは軟らかく、颯爽としています。

2曲目もヴィヴァルディです。コントラルト独唱の「スターバト・マーテル」RV621、この曲は深い悲しみに満ちたすばらしい作品で、昨夜も、初めて聴かれた方がほとんどでしたが、心にしみる音楽に感心されたようでした。ヴィヴァルディは声楽曲にも美しい曲を多く残しています。 アレッサンドリーニ(指揮) コンチェルト・イタリアーノ サラ・ミンガルト(コントラルト)

3曲目はロンドンでオリンピックが開催されていることにちなんで、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」祝典音楽として著名な作品です。演奏はピノック(指揮、HC) イングリッシュ・コンサート です。

4曲目はバッハ チェンバロ協奏曲第1番ニ短調BWV1052 この曲は「のだめカンタービレ」でも使用されていた名曲です。演奏はピノック(チェンバロ・指揮) イングリッシュ・コンサート で、ピアノで演奏すると重くなってしまうのですが、チェンバロの繊細さを活かした早めのテンポで、ぐいぐいと聴かせるすばらしいものです。

2012/08/03

革新なきところに、伝統なし

オリンピックでの日本柔道を見ていて、歯がゆい思いをしていましたが、考えてみれば、柔道だけでなく、日本が置かれている問題とも同じです。


以下、野中ともよさんの文章を引用します・・・・・


それにしても、ここ五輪の場でも世界の動きに呼応出来ないニホンに歯痒い思いを覚えるのは、私だけではないのでは。

たとえば、柔道。国技の一つである。だが、美しい一本のワザをとりにいく日本に対し、それを待ってましたとばかりくるりと体をかわしてワザ有りに持ち込む諸外国選手。なぜか?その方が勝つ判定方式になっているからだ。なんだこりゃ?! 我が国の伝統の“柔の道”は、そんな戦い方を潔しとはしないのだ!と吠えてみても、負けは負け。

嘆きたいのは、そんな方式にズルズルとルールを変更させていくのを許している日本柔道界である。広く世界に普及させるための、ある程度の妥協や改良は必要だろう。でも、太刀打ち出来ない日本柔道をなんとか引きずり落としたいとルール改正していく国際会議に、堂々と出て議論して主張を通す闘いをどれだけしてきたのだろうか。かつてコツコツ単身海外に出て柔道を普及してきた先人達のおかげの次には、競技のなかに生きる精神や文化をしっかり国際ルールのなかにも息づかせるチャレンジこそが、その業界?!の指導者達の使命ではないのか。

スルリと日本選手にかけてもらったワザをかわして金メダル。なにが、ゴールデンタイムだ。相手の上に馬乗りになったまま、ピースサインよろしくニタニタ・・・。こんなの柔道でもなんでもなく、たんなる格闘技か、はたまた道着を着たレスリング。相手は研究に研究を重ねている。勉強不足の審判達に腹も立てず己の非力を語る日本選手たちを見ていると、涙がでてきてしまう。

島国の内側では、根性や伝統を叩き込み固執してご指導ご鞭撻。その間に外ではしっかりそのワザを自分達のものにした面々が、ルールすら改良しながらマーケットを形成。国技だし、英語はどうも、外人はどうも・・・と内弁慶している間に、世界では戦えない自分たちになっていく・・・。

霞ヶ関とか永田町とか馬場先門とか。日本丸のあちこちで、全く同じような光景がフラッシュバックする。モノ造りしかり。技術力しかり。

地球がまわり続けるように、世界は片時も休まず動き続ける。常に、変化し続けるのが社会である。だからこそ、変えてはならぬ伝統や文化の誇りを己の軸に据え、磨く。その上で、たおやかに辺縁部を革新しながら、相手にあわせ、とりこみ、つつまれ、繋がりをひろげていく・・・。

『革新なきところに、伝統なし』
父から貰った、私の大切な言葉である。これは企業経営においても、スポーツにおいても言えることだと思う。

伝統を繋いでいくためにも、柔道ならば、畳の外での革新的で勢力的な闘いを是非ともしかけていってほしいと願う。かつて、日本体育協会の理事職にあったが、そのころとは随分事情や様子も変わってきていると思う。多くの競技団体のあまりのドメスティックぶりに目眩すら覚えた記憶がある。

巨人戦しか映らなかったTVに、毎日メジャーリーグが白熱する時代だ。SNSはさらに子供達の目の前に世界のスポーツを運んでくる。拡大する内需のチカラに乗って得た成功体験のリーダーでは、もうダメなのである。

メダルの数は、結果である。そのプロセスにこそ真実がある。メダルをめざす若者アスリートをめぐる環境についても、指導者のおかれた環境や資質向上についても、世界の状況を捉えながら、積極的な改善に是非とも手をつけてほしいと思う。



・・・以上、宋メール第204号(2012.8.3)の「2.野中ともよさん連載 第5回 夏バテしていませんか? 野中ともよ」より引用


内だけを見ていてはいけない。野中さんも書かれているように拡大する内需のチカラに乗って得た成功体験のリーダーでは、もうダメなのだと思う。

努力と苦労を積み重ねて、日本代表を勝ち得ても、世界では日本流が通用しないのなら、日本流を革新して行かなければ、参加することだけしか意義のないことになってしまう。日本製品の優位性がなくなったのも、日本流が世界で特異なガラパゴス化したことも大きな要因だと思う。

伝統とは今に生きており、同時代性を持って今を生きているからこそ革新の連続であり、革新をなくしてしまったら、伝統ではなく過去の遺物になってしまうと思う。遺物にしてはならない。

2012/08/02

常吉村営百貨店の閉店

昨日の臨時株主総会で、常吉村営百貨店の8月19日での閉店が正式に決定したと、大木社長よりお聞きしました。

地域住民33人が出資して常吉村営百貨店ができたのは平成9年12月であり、その後地域の生活拠点として利用されていましたが、徐々に売り上げが落ちてしまい、平成19年の12月には経営危機を迎えました。

その時に常吉地区全戸に配布された「おかげさまで十周年」のチラシは、率直に苦しい経営状況を地域住民に訴えられていました。

大木社長は、当時たいへん悩まれましたが、あらためて存続を求める地域のお年寄りの声を聴くことで、自らがほとんど無給で働くことで経営を立て直し、軌道に乗せるというきびしい道を決断されました。

その後、大木社長は精いっぱい頑張ってこられましたが、昨年、体調を崩され、大きな手術もされました。そして、最近、医師から「治療に専念してほしい」といわれたことから、閉店を決断されました。

何とか別の組織を立ち上げて引き継ぐことができないか、模索する動きもあります。私も少しでも力になることができればと考えています。

今後についてはまだ分からないですが、これまで村営百貨店を支えてこられた大木社長の活躍にたいして、深甚なる敬意と感謝を申し上げるとともに、治療に専念されて、早く健康を回復されることを心から祈念します。