2013/11/12

ケニアの教育事情

ケニアの公用語はスワヒリ語と英語ですが、エンブ族の子ども達はエンブ語を話します。

ケニアでは広くスワヒリ語が使われていると思っていましたが、ナイロビのスワヒリ語も標準スワヒリ語からかけ離れたもので、他の地域でもそれぞれの部族語を話し、スワヒリ語も英語と同じように学校で習っていました。

多くの子ども達は部族語とスワヒリ語、英語の3ヶ国語を習得しなければなりませんが、公用語としては英語が優勢のようで、小学校4年生になるとすべての授業が英語で進められ、スワヒリ語はひとつの教科として教えられます。しかし、英語の意味がわからないと授業が理解できず何もわからなくなるので、教師の質も大きく問われますが、教育レベルは学校によってかなり格差があるようでした。

日本のように学区制ではないので公立であっても全国どこでも入学できますが、経済的に余裕のある親は有名私立を目指し、厳しい筆記試験と面接試験に合格させるために幼稚園から就学前教育に熱を入れています。

ケニアは学歴社会で最終学歴により給料が大きく違うため、多くの親は子供の教育に熱心で、少しでも上の学校にやりたいと考えているようですが、義務教育である小学校ですら経費が払えず追い返され脱落する児童も多く、授業料が必要な中等教育以降では、親の経済状況による中退も多いと聴きました。現状では貧困家庭の子ども達が貧困から抜け出すのは厳しく、中等教育までの義務教育化と無償化を早く進める必要を感じました。

チャイニーズ?

ケニアの訪問先では日本人が来ることを知っているので、「チャイニーズ?」と話しかけられることはありませんが、他の場所では「チャイニーズ?」と声をかけられます。
ケニアには3万人を越える中国人が住んでいるので、スーパーにチャイナディリーなど中国人向けの雑誌などもあります。


日本政府はODAで道路建設などに多くのお金を出していますが、最近は日本企業がほとんど落札できず、中国企業が工事をしています。

そして現地の方は、中国人が道路をよくしてくれたと思い、お金を出した日本にではなく工事をした中国企業に感謝しています。

日本はあきれるほどにアビールが下手で、多くの人が日本の貢献を知りません。


これでいいのでしょうか?

ケニアの水田

 ケニア山の麓では、豊富な水資源を利用して稲作が16世紀頃からはじまっていますが、日本は1980年代から稲作の技術指導・営農指導、灌漑設備の建設・改修、水管理の指導に協力していて、水田面積と生産量の増加に貢献しています。

ケニアの水田ではインディカ米が二期作で栽培されており、隣のウガンダでは、日本の協力によりコメを輸出するほど生産量が増えていますが、ケニアでは、都市部でコメの消費量が増加していて生産が追いついていません。

水田には日陰がないので、水田の畦に休憩のための簡易な日除けをつくられているところもあり、農家が水田の草抜きをしている姿を多く見かけました。除草剤や化学肥料を購入する経済力はないようです。

また、灌漑設備の行き届いた平地だけでなく、思っていたよりも小さな谷間でも水田が整備されていました。事前に思っていたよりも水はあるようです。

目の前には、農薬や化学肥料が入ってくる以前の機械化されていない農業の姿があり、かつての日本のコメ作りもこうだったんだろうなと思うと、黙々と水田の草抜きをしている姿に感動してしまいました。

ケニア政府は穀物自給率を上げるためにコメの増産を最重要視しており、作付面積を増やすための灌漑施設の建設とケニアの機構に適した品種改良など、引き続き日本の協力が続きます。

まだまだ未利用の湿地があり、コメ増産の可能性はあるようです。

水田のあっちこっちで草取りをしている農家を見かけます。





籾殻が焼かれています。

ケニアの農村のふつうの公立小学校

2つ目の視察先は、ケニアの農村のふつうの公立小学校(8年制)でした。

JICAから派遣された理数科教師の英語による算数の授業を見学させてもらいました。


クブクブでは、すべての児童が靴を履いていましたが、ふつうの小学校では靴を履けない児童がかなりあり、裸足でかなり傷んだ制服を着ている児童も見かけました。

ケニアでは小学校は義務教育であり、公立では授業料は無料なのですが、必要な経費として保護者は年間700シリング(日本円で800円程度)を3学期に分けて学校に収めなければなりません。

しかし、この700シリングを払えない家庭が多いのですが、集金日にお金を持ってこないと教師は児童を追い返し、40人のクラスで追い返されずに残って授業を受ける児童が5人程度だということでした。

教師の給料が安いため、収入を補うためにお金を取って補習などもするため、お金のない家庭では学力がのびず悪循環となっています。経済力が教育レベルを左右し、教育が将来の収入を左右します。

貧困は子ども達の表情にも影を落としているように見えました。クブクブとは明らかに違います。
 日本の教室のように後ろに出入口がないので、前から入り、授業を見学させていただく前に英語で挨拶。小学校といっても8年制なので、このクラスは日本の中学1年生です(親の経済恐々などによって休学などもあるので年齢的にはばらつきがあるそうです。)。

算数の授業、先生の問いかけに対して、手を上げて答えます。

机の上には教科書とノート。教科書やノートを大切に扱うという習慣はあまりないようです。

 先生の問いかけを復唱しながら、問題を解いていきます。

全体に目を配って授業が進められていますが、英語力が弱く部族語に通訳してもらわないと先生が何を言っているのか理解できない児童がいます。
そういう児童に配慮して、2人がけの机に英語力の弱い児童を真ん中にして挟むように3人座らせ、両脇の児童が先生の英語を部族語に訳しています。


授業が終わり、みんな帰っていきます。声をかけてもクブクブのように関心を示して近寄ってくる様子はありません



Kubukubu Memorial Boarding School

ケニア視察報告①Kubukubu Memorial Boarding School

ケニアのPrimary Schoolは日本の小学校にあたり、8年制です。ケニアの公用語はスワヒリ語と英語ですが、小学校4年生からすべての授業が英語で教えられています。JICAから体育指導担当教員が派遣されていました。

Kubukubu Memorial Boarding Schoolは山奥にありますがレベルの高い全寮制の小学校で遠くからの入学もあり、参観日にはベンツで来る保護者もあるそうです。

年間学費は20.000シリング(日本円で約23.000円)ですが、普通の小学校では700シリングです。日本の感覚で何も知らずに見ると、日本のレベルで見てしまうと校舎や教育設備に問題を感じるかもしれませんが、ケニアではレベルの高い学校です。


教職員等です。校長先生から学校の説明を受けました。


 図書館です。図書館前面には学校行事の写真などが貼られています。

これも図書室の写真です。熱心に勉強しているようですが、体験入学の児童のようです。イギリスの植民地だったので新学年がはじまるのは9月からと思い込んでいましたが、ケニアでは1月から新学年がはじまります。

 コンピューター教室です。ケニアの小学校施設・備品の格差はひどく、これだけの設備のある小学校は少ないようです。

コンピュータ教室担当の先生。教職員も充実しています。教職員の配置にも格差があるというか、レベルにも問題はあるようです。

 教室棟はすべて平屋です。学校の敷地も広いので2階建てを建てる必要もなく、日陰は思っていたよりも涼しく、勉強するのに支障はありません。空気が乾燥しているので、日本よりもむしろ快適です。

 授業中でしたが、少しだけ覗かしてもらいました。教室内はあまり明るくありません。

 1クラスの児童数は40人を超えているようです。少人数教育ではありませんが、その代わりに活気があります。
先生は英語で板書きしながら授業を進めています。


他の教室では、低学年の女の子が自習していました。

 教科書を拝見。

 このクラスは体育のようです。

 体育の授業中おじゃましました。日差しのあるところは暑いです(体育館はありません)。

子ども達が人懐っこい笑顔ですぐによってきます。

 子ども達と記念写真。子ども達がどんどん集まってきて後ろの方になってしまいました。

食堂です。前には雨水を貯めるタンクが据えられています。

 給食当番が盛りつけて配膳。きょうは豆料理です。

男子の給食は男子が盛りつけて配膳しています。

寮の外には洗濯物が干されていました。


 上2枚の写真は、教職員住宅です。(通勤する先生もいますが、全寮制の学校なので住宅と宿直室とがあるようです。)

 校長先生の住宅です。将来的にはすべての教員住宅がこの形式に建て替えられます。



クブクブでは、牛や鶏が飼われています。池ではなまずが養殖されていました。

2013/11/10

ケニアへ

10月30日の夜に関空から飛び立ち、11月7日までケニアを訪れました。

10時25分、定刻より15分早くカタール航空機で出発です。

 ケニアへの直通便はないので、ドーハで乗り換えです。関空からドーハへの所要時間はだいたい12時間、現地時間で午前4時30過ぎでした。飛行機からおりて、乗り継ぎターミナルへ移動しましたが、バスで10分ほど・・・広い空港です。

 乗り継ぎターミナルに着き、モニターを見て驚き・・・チケットに記載されたナイロビ行きが出ていない。余分に1時間待たされて空港で4時間待ちました。

 ドーハまでの12時間でたっぷり睡眠がとれていたので、時間つぶしにターミナル内を見学へ。早朝ですが、乗り継ぎ待ちの人があふれています。

  さすがに24時間空港です。次々に離発着しています。人の動きも途絶えません。

 日本の空港なら、シャッターがおりていますが、ドーハではすべての店が営業しています。


夜が明けてきました。

ドーハの日の出です。明るくなって広い空港を一望しました。

待つこと4時間、ようやっと8時50分発のナイロビ行きに搭乗。

 飛行機の窓から撮ったケニアの大地。関空からドーハまでは機内が寒かったのですが、ドーハからナイロビの区間は暑いくらいでした。



 翼の向こうにナイロビが見えてきました。

ナイロビ空港に着陸。ドーハから約5時間の空の旅でした。