新聞を読まれた市民の方から、大学中退のことを聴かれます。
大同衛を知っておられない方にとっては、気になることだと思います。
(1月24日の毎日新聞の切り抜きです。東洋大中退と記載されています。)
大学中退(人生の転機)となる出来事が起きたのは、昭和55年の3月に帰省している時でした。
朝、父親が起きてこないのでおかしいと思って部屋に起こしに行くと、父親の様子がおかしく、ろれつが回らず、右半身は動かない状況でした。
病院での診断の結果は、脳内出血で、右半身に後遺症が残るということでした。そして、その後、リハビリを続けても、右半身は元には戻りませんでした。
父子家庭であったので、父親の身の回りの世話と事業の整理が必要であったため、大学にもどることはあきらめました。下宿に残していた荷物は、友達に送ってもらいました。
事業整理を手伝いながら、にしがきでパートとして働き、途中から正社員になりましたが、事業の整理が終わって、父親は、日高町(豊岡市日高町)の実家にもどりました。
その後、縁あって、昭和59年の6月に大同家の婿養子となり、大同建築に従事することとなりました。
妻との出会いから、また人生が変わりました。