2015/12/09

「昭和天皇実録」の謎を解く

今日は12月8日。74年前の開戦の日。

A級戦犯が合祀されて以来、昭和天皇は靖国神社に参拝することなく亡くなられ、今上天皇も参拝されていない。

「天皇陛下万歳」と、戦地に送り出され戦死した伯父は、天皇陛下の参拝がないことを悲しんでいるだろうなといつも思っていたので、昭和天皇実録は読んでみたいと思っているが、全61巻でとても手がでないので、こちらを読んでみた。

昭和天皇は開戦に否定的だったが、軍事指導者たちによって「戦争をしなければこの国は滅びる」と追い込まれていく。

昭和16年10月9日には「開戦しなければ陸軍に反乱が起こる」との報告もあり、11月2日には東条英機首相に対して「では戦争の大義は何か」と問われているが、首相の答えは「戦争目的はまだ考えていません」でしかない。戦争することが第一で、戦争の大義は開戦後につくられ、12月12日の閣議で大東亜戦争と決まった。(アジアの開放のための戦争だったと美化している人もいるが、マレー・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベスを大日本帝国の領土とする事が書かれているので開放ではない。)

11月30日には、天皇は敗戦の恐れありとの認識を示されて、軍部を信じていない様子がうかがわれ、開戦は自分の志ではないから開戦の詔書には、「朕の志にあらず」という一文を入れてくれとまで言われている。

開戦後、大本営は天皇にウソを報告している。ミッドウェー海戦では空母4隻が沈んでいるのに、天皇へは空母1隻喪失と報告している。海軍・陸軍とも開戦後半年も経たないうちから虚偽の報告がはじまっている。
天皇陛下は大元帥でもあるはずなのに、これは驚きだ。

天皇陛下は特攻についても、最初のウソの戦果報告を聴いて戦果を誉めておられる。そのことが、特攻を作戦として正当化することになってしまっている。
終戦についても、本土決戦が叫ばれるなか、陸軍が言うことを聴かないので、天皇陛下がとても手を焼いていたことがわかる。

この本を読んで、これまで以上に、A旧戦犯合祀後に昭和天皇が靖国神社に参拝しなかったお気持ちが理解できた。
同時に、「天皇陛下万歳」と命を捧げた英霊の思いを考えると、天皇陛下の参拝が再開する方策を誰も考えないことが虚しい。英霊は大臣や国会議員の参拝よりも天皇陛下の参拝を待ち望んでいると思うのだが、参拝されている大臣や国会議員はそうは考えないのだろうか?