15日の午後は、丹後を面白くするいろんなアイデア(夢)を持ち寄って、みんなが参加して前向きに創り上げていくジャムセッションの3rd。
今回は石崎さん(京都新聞記者)の「聞く力 伝える力」の講演からスタート。
話をしたからといって、相手に伝わっているとは限らない。聞く力がなければ伝えきることができず、伝える力がなければ思いを聞きとることはできない。伝えたいことをわかりやすく・・・わかっているけど、なかなかできていないことです。
そして、ソーシャルネットの時代だからこそ、「聞く力 伝える力」は交流を広げ、ネットワークを補完します。
また、地域の課題や市民のニーズが多様化し、人のつながりも薄れたなかでは、より伝えること、聴くことにデリケートに気を使う必要があります。
石崎さんの講演後、7人が前に出てアイデアを伝えます。
7つのアイデアについて、他の参加者がそれぞれテーブルに分かれてアドバイスやメッセージを加えながら、アイデアを形にしていきます。
50人以上が聞く力と伝える力を活かしながらの創造的なセッションでした。
みんな集中していて、今回も4時間半がアッという間に過ぎました。
2014/02/16
2014/02/12
幸福度と経済
ある方が書いていた。
デンマークは国連が2013年に発表した「幸福度報告書」で1位になった。ちなみに日本は43位、GDP第1位のアメリカは17位、第2位の中国は90位以下だった。より多く稼ぐことと、「幸せを感じ、幸せに生きていくこと」はイコールではないことがより明確になった・・・・・これは間違いだ!
国民一人あたりのGDPでは、デンマーク6位、アメリカ10位、日本12位、中国88位。国民一人あたりGDPを見れば、より多く稼ぐことと「幸せを感じ、幸せに生きていくこと」は強くリンクしている。それは、国連の発表した幸福度を測るカテゴリーを見てもわかる。
国連の幸福度を測るカテゴリーは、
① 国民一人あたりのGDP(経済)
② 平均寿命及び健康度
③ 人生の選択における自由度
④ 困った時に頼れる人がいるかどうか
⑤ 汚職の少なさ
⑥ 寛容さの度合
② 平均寿命及び健康度
③ 人生の選択における自由度
④ 困った時に頼れる人がいるかどうか
⑤ 汚職の少なさ
⑥ 寛容さの度合
多くの人に影響を与える立場にある人が、経済が好きじゃないからといって経済から目をそらすのではなく、経済(お金を稼ぐこと)が大切だということは正しく認識して欲しい。そして、正しく認識した上で、なぜ日本の幸福度が43位なのかを考えて欲しい。そうしなければ、結果は間違ってしまう。
市民がつくった電力会社
「市民がつくった電力会社」を読了しました。
小さくはじめて大きくしていくことが正解のようです。
ドイツのシェーナウという小さなまちの市民の挑戦!
チェルノブイリで原発事故が発生したが、政府や電力会社は情報を公表することなく、対策についても何もなく、政治に期待しても何も起こらなかった。
チェルノブイリで原発事故が発生したが、政府や電力会社は情報を公表することなく、対策についても何もなく、政治に期待しても何も起こらなかった。
何も起こらないことに納得がいかず、脱原発を大きな政治に期待するのは無理と考えて、小さいところからはじめようと、「原子力のない未来のための親の会」を結成して市民運動で賛同者を募っていきます。
そして、電力の利権構造との戦いにも負けることなく、ついには協同組合形式で電力会社を設立して送電線を電力会社から買い上げることに成功します。
現在扱っている電力の大部分はノルウェーの水力発電から購入している電力ですが、徐々に自社製やドイツ国内で発電した電力が増えています。
胸のすく実話で、ドイツの環境問題へのたくさんの取り組みや、シェーナウ電力会社作成の「原子力に反対する100個の十分な理由」の要約バージョンも掲載されています。
2014/02/11
タネが危ない
「タネが危ない」を読了しました。
「よみがえりのレシピ」というドキュメンタリー映画では、地域でほそぼそと受け継がれてきた在来作物を活かすことで、地域再生への光があてられています。
手間を惜しまずタネを守り続ける農家の人たちがいて在来種は守られています。
タネを守る!
著者の野口勲さんは、野口育苗研究所(種苗店)の代表で、親子3代に渡り、在来種・固定種、全国各地の伝統野菜の種を扱う種苗店を経営されています。
日本では、大手種苗メーカーによるF1種という人工的に掛け合わされて1代限り同じものができるタネがほとんどであり、F1種というタネからは揃いが良くて出荷に有利な野菜が育ちますが、自家採種することはできず、タネを毎年買わなければなりません。
日本の農家がF1種の種を使うようになってから、海外でも日本から輸出された同じF1種のタネを使って、日本で消費されている野菜が生産できるようになり、輸入されるようになっています。
しかし、野菜タネのほとんどをF1種にしてしまったのは日本ぐらいで、たとえばフランスでは7割程度が現在でも固定種とのことで、固定種は個性が強く、その多様性が地域の農業を守ってもいます。F1では同じ品質の野菜が大量につくれますが、モノカルチャー化してしまう欠点があります。
また、野口さんはF1技術の「雄性不稔」という方法に対して警鐘を鳴らしています。
雄性不稔はミトコンドリア遺伝子の異常から産まれており、人に例えると男性の無精子症です。
F1のタネ取りには受粉にミツバチが活用されていていますが、F1のタネとりにミツバチが活用されるようになってから、ミツバチの不妊が報告されていることについて、F1と不妊との関連性を疑っています。
そして、もちろん遺伝子組み換えにも警鐘を鳴らしています。
固定種を守る取り組みが必要です。
地方の野菜と食文化を守るために、家庭菜園では固定種を使うことを提言しています。
「よみがえりのレシピ」というドキュメンタリー映画では、地域でほそぼそと受け継がれてきた在来作物を活かすことで、地域再生への光があてられています。
手間を惜しまずタネを守り続ける農家の人たちがいて在来種は守られています。
タネを守る!
著者の野口勲さんは、野口育苗研究所(種苗店)の代表で、親子3代に渡り、在来種・固定種、全国各地の伝統野菜の種を扱う種苗店を経営されています。
日本では、大手種苗メーカーによるF1種という人工的に掛け合わされて1代限り同じものができるタネがほとんどであり、F1種というタネからは揃いが良くて出荷に有利な野菜が育ちますが、自家採種することはできず、タネを毎年買わなければなりません。
日本の農家がF1種の種を使うようになってから、海外でも日本から輸出された同じF1種のタネを使って、日本で消費されている野菜が生産できるようになり、輸入されるようになっています。
しかし、野菜タネのほとんどをF1種にしてしまったのは日本ぐらいで、たとえばフランスでは7割程度が現在でも固定種とのことで、固定種は個性が強く、その多様性が地域の農業を守ってもいます。F1では同じ品質の野菜が大量につくれますが、モノカルチャー化してしまう欠点があります。
また、野口さんはF1技術の「雄性不稔」という方法に対して警鐘を鳴らしています。
雄性不稔はミトコンドリア遺伝子の異常から産まれており、人に例えると男性の無精子症です。
F1のタネ取りには受粉にミツバチが活用されていていますが、F1のタネとりにミツバチが活用されるようになってから、ミツバチの不妊が報告されていることについて、F1と不妊との関連性を疑っています。
そして、もちろん遺伝子組み換えにも警鐘を鳴らしています。
固定種を守る取り組みが必要です。
地方の野菜と食文化を守るために、家庭菜園では固定種を使うことを提言しています。
奥大野農事組合総会
きょうは奥大野農事組合総会に出席しました。
昨年、我が家の裏の農地(耕作放棄農地)を新たに借りて耕作面積が10アール以上になったので、組合員となりました。
今のところ新たな農地は獣害に負けていますが、今年は二重に防除対策をして、獣害を乗り越えて有機野菜をつくっていきたいと思います。
昨年、我が家の裏の農地(耕作放棄農地)を新たに借りて耕作面積が10アール以上になったので、組合員となりました。
今のところ新たな農地は獣害に負けていますが、今年は二重に防除対策をして、獣害を乗り越えて有機野菜をつくっていきたいと思います。
植えない森づくり
「植えない森づくり~自然が教える新しい林業の姿」を読了しました。
ドイツでは、林業は主要産業ですが、日本のような皆伐や植林を行なわず、自然再生するだけ択伐しています。
明治以降、日本の林業はドイツ林業を取り入れたはずですが、一時的な考え方しか取り入れることなく、その後のドイツ林業の方向とは大きく異なる方向に進み、放置され荒れ果てた山林も多く衰退しています。
ドイツに比べ温暖で湿潤な日本では、植林をしなくても森林の再生が早く、松枯れの松林の後も自然に森林が再生されており、無理に植林する必要がないという著者の主張は理解できます。
また、杉や桧の造林が根が浅く土砂崩れなど災害の危険性があるのは、実生の木の苗には真下に伸びる直根があるが、植林に使われる多くの苗が挿し木により育成されたため、根が枝のように横にしか張らないためであることや、山は木の畑ではなく、現在の人工林の森林形態そのものが異常なものであること、超密林の吉野や北山が特殊な林業であることなど、勉強になります。
植えない林業がかつての日本でも進められていました。植えない森づくりで複層混交林による多面的機能を持った森林を再生していかなければなりません。
ドイツでは、林業は主要産業ですが、日本のような皆伐や植林を行なわず、自然再生するだけ択伐しています。
明治以降、日本の林業はドイツ林業を取り入れたはずですが、一時的な考え方しか取り入れることなく、その後のドイツ林業の方向とは大きく異なる方向に進み、放置され荒れ果てた山林も多く衰退しています。
ドイツに比べ温暖で湿潤な日本では、植林をしなくても森林の再生が早く、松枯れの松林の後も自然に森林が再生されており、無理に植林する必要がないという著者の主張は理解できます。
また、杉や桧の造林が根が浅く土砂崩れなど災害の危険性があるのは、実生の木の苗には真下に伸びる直根があるが、植林に使われる多くの苗が挿し木により育成されたため、根が枝のように横にしか張らないためであることや、山は木の畑ではなく、現在の人工林の森林形態そのものが異常なものであること、超密林の吉野や北山が特殊な林業であることなど、勉強になります。
植えない林業がかつての日本でも進められていました。植えない森づくりで複層混交林による多面的機能を持った森林を再生していかなければなりません。
2014/02/10
月3万円ビジネス
「月3万円ビジネス~非電化・ローカル化・分かち合いで愉しく稼ぐ方法」を読了しました。
本のタイトルを見て月3万円稼いでも食べていけない・・・そう思われるかもしれませんが、3万円の稼ぎの副業的なビジネスを10個運営できれば、月30万円の稼ぎになり、田舎でなら充分生活が成り立ちます。
帯には、Localizationと書かれ、これからは地域循環型!小さなビジネスとありますが、グローバル社会で持続的にローカルで3万円の稼ぎを持続させるには、発想と努力が必要になります。
著者は、月3万円の片手間的なビジネスの実例を挙げ、地方で仕事を創るセオリーを解説していて、共感できます。
但し、この本に書いてあるように3万円のビジネスを複合的に組み合わせて運営することができるひとは、一つのビジネスで充分な稼ぎをあげて余裕を持って生計を立てることができる能力があるひとでもあると思います。
決して甘くはないですが、田舎で生きていくには愉しく生きていく方法のヒントでもあります。
本のタイトルを見て月3万円稼いでも食べていけない・・・そう思われるかもしれませんが、3万円の稼ぎの副業的なビジネスを10個運営できれば、月30万円の稼ぎになり、田舎でなら充分生活が成り立ちます。
帯には、Localizationと書かれ、これからは地域循環型!小さなビジネスとありますが、グローバル社会で持続的にローカルで3万円の稼ぎを持続させるには、発想と努力が必要になります。
著者は、月3万円の片手間的なビジネスの実例を挙げ、地方で仕事を創るセオリーを解説していて、共感できます。
但し、この本に書いてあるように3万円のビジネスを複合的に組み合わせて運営することができるひとは、一つのビジネスで充分な稼ぎをあげて余裕を持って生計を立てることができる能力があるひとでもあると思います。
決して甘くはないですが、田舎で生きていくには愉しく生きていく方法のヒントでもあります。
里山がひらく持続可能社会
昨日は、龍谷大学・里山学研究センター シンポジウム「里山がひらく持続可能社会」に参加しました。
基調講演は、髭を蓄えた藻谷浩介さんの「里山資本主義とは」でした。
里山資本主義をマネー経済に対峙するサブ経済として、多様性のなかで考える大切さを話されていましたが、このシンポジウムが薪など里山そのものの利用がテーマであったので講演時間が45分では短すぎました。
続いて、龍谷大学里山学研究員の奥敬一さんの「薪が切り拓く里山の未来」。
戦後、エネルギーとして薪が使われなくなって、里山の新陳代謝が悪くなっています。里山に人がはいり、広葉樹を伐採して利用することで若返らせることが必要です。
かつて活用されていたように、里や物広葉樹を使って実験がされています。伐採1年後の萌芽更新も確認されています。
Hibana代表取締役の松田直子さんの「薪炭革命」。
京都の町屋と里山をつなげる。京の町屋では煙が近所迷惑になるので、間伐材や製材端材を加工した木質ペレットの利用を進められています。
ペレットストーブは電気で空気を供給して効率よく燃焼させ排気するので煙は出ないそうです。
都市部の暖房で化石燃料を使わずに木のぬくもりを感じてもらえるのはペレットストーブしか方法がないのかもしれませんが、ペレットをつくるのに化石燃料を使う必要があるので、少し複雑です。煙突が許される環境なら薪ストーブのほうがよりエコであると思います。
この後、龍谷大学文学部教授丸山徳治さんの講演「持続可能社会の条件と里山的自然」。
明治以来、江戸時代18世紀以降の日本各地に発達した伝統的森林管理法をかなぐり捨てて、ドイツ林学とを取り入れながら、ドイツ林学が20世紀に入ってから生態学の知見と結びつきながら大きく発展したことを無視した延長線上に戦後の拡大造林があり、里山を崩壊させてきたこと。
複層混交林を基本とした多面的機能により森林・里山は再生産され持続可能となること。持続可能社会を追求することが、未来世代への責任を持った人間らしい課題であることを主張されていました。
最後に、パネルディスカッション「里山がひらく持続可能社会」があり、里山資本主義とTPP、政治との関わりや、都会育ちの学生にとっての里山についての意識などが議論されました。
断定的な二分法的思考から抜け出し、多様性を受け入れることから「里山がひらく持続可能社会」へと進むことができます。
基調講演は、髭を蓄えた藻谷浩介さんの「里山資本主義とは」でした。
里山資本主義をマネー経済に対峙するサブ経済として、多様性のなかで考える大切さを話されていましたが、このシンポジウムが薪など里山そのものの利用がテーマであったので講演時間が45分では短すぎました。
続いて、龍谷大学里山学研究員の奥敬一さんの「薪が切り拓く里山の未来」。
戦後、エネルギーとして薪が使われなくなって、里山の新陳代謝が悪くなっています。里山に人がはいり、広葉樹を伐採して利用することで若返らせることが必要です。
活発な広葉樹林では伐採しても、根株からびっしりと芽が萌芽し、成長して行く根株からの萌芽更新と、樹木が伐採されたことにより地表に太陽光が届き、周囲に落下していた種子から天然更新が進むので、植林の必要はありません。
多くの里山の森林が、定期的に伐採を行っても萌芽更新により再生する持続的な資源だったので、地域で管理されている入会地も多かったようです。
かつて活用されていたように、里や物広葉樹を使って実験がされています。伐採1年後の萌芽更新も確認されています。
Hibana代表取締役の松田直子さんの「薪炭革命」。
京都の町屋と里山をつなげる。京の町屋では煙が近所迷惑になるので、間伐材や製材端材を加工した木質ペレットの利用を進められています。
ペレットストーブは電気で空気を供給して効率よく燃焼させ排気するので煙は出ないそうです。
都市部の暖房で化石燃料を使わずに木のぬくもりを感じてもらえるのはペレットストーブしか方法がないのかもしれませんが、ペレットをつくるのに化石燃料を使う必要があるので、少し複雑です。煙突が許される環境なら薪ストーブのほうがよりエコであると思います。
この後、龍谷大学文学部教授丸山徳治さんの講演「持続可能社会の条件と里山的自然」。
明治以来、江戸時代18世紀以降の日本各地に発達した伝統的森林管理法をかなぐり捨てて、ドイツ林学とを取り入れながら、ドイツ林学が20世紀に入ってから生態学の知見と結びつきながら大きく発展したことを無視した延長線上に戦後の拡大造林があり、里山を崩壊させてきたこと。
複層混交林を基本とした多面的機能により森林・里山は再生産され持続可能となること。持続可能社会を追求することが、未来世代への責任を持った人間らしい課題であることを主張されていました。
最後に、パネルディスカッション「里山がひらく持続可能社会」があり、里山資本主義とTPP、政治との関わりや、都会育ちの学生にとっての里山についての意識などが議論されました。
断定的な二分法的思考から抜け出し、多様性を受け入れることから「里山がひらく持続可能社会」へと進むことができます。
2014/02/04
生活保障
「生活保障」を読了しました。
各国の社会保障政策や雇用施策の成り立ちや課題が比較分析されていますが、日本は政府への信頼が低く、そのことが、北欧型の高負担・高福祉ではなく、小さな政府による格差縮小という矛盾した声を大きなものにし、結果的に格差を広げています。
著者は、雇用と社会保障の望ましい連携のあり方やベーシックインカムを論じながら、日本での生活保障の仕組みをどのように再構築すべきであるかを提示しています。
各国の社会保障政策や雇用施策の成り立ちや課題が比較分析されていますが、日本は政府への信頼が低く、そのことが、北欧型の高負担・高福祉ではなく、小さな政府による格差縮小という矛盾した声を大きなものにし、結果的に格差を広げています。
著者は、雇用と社会保障の望ましい連携のあり方やベーシックインカムを論じながら、日本での生活保障の仕組みをどのように再構築すべきであるかを提示しています。
来るべき民主主義
「来るべき民主主義」を読了しました。
現状の議会制民主主義の欠陥。
立法府であり意思決定機関である議会に住民は代表を選出する。そして行政は執行機関であるはずだが、現実は執行する以上に行政が物事を決めていて議会はお墨付きを与えるだけだと著者は見ている。
しかし、そうすると、実質的に住民は意思決定に参画できない。これで本当の民主主義といえないので、行政へ住民が参加できる制度が必要となる。・・・残念だが議会改革は実効をともなっていない。
現状の議会制民主主義の欠陥。
立法府であり意思決定機関である議会に住民は代表を選出する。そして行政は執行機関であるはずだが、現実は執行する以上に行政が物事を決めていて議会はお墨付きを与えるだけだと著者は見ている。
しかし、そうすると、実質的に住民は意思決定に参画できない。これで本当の民主主義といえないので、行政へ住民が参加できる制度が必要となる。・・・残念だが議会改革は実効をともなっていない。
江戸の食文化
「江戸の食空間」を読了しました。
この本を読んで、日本人のファーストフード好きの根源が理解できた。
だから、日本はスローフード運動発祥の地とは成り得ず、ファーストフードは全国津々浦々に広がった。
参勤交代制度は全国に文化交流をもたらし、消費社会をつくりあげた。
武士ではなく町人の天下・・・しかし、百姓は下だ。
江戸は東京に名を変えたけど、その後も中心であることに変わりはない。
この本を読んで、日本人のファーストフード好きの根源が理解できた。
だから、日本はスローフード運動発祥の地とは成り得ず、ファーストフードは全国津々浦々に広がった。
参勤交代制度は全国に文化交流をもたらし、消費社会をつくりあげた。
武士ではなく町人の天下・・・しかし、百姓は下だ。
江戸は東京に名を変えたけど、その後も中心であることに変わりはない。
食と文化の謎
「食と文化の謎」を読了しました。
インドでは牛を食べず、イスラムでは豚を食べない・・・これらの食のタブーの源泉を辿って行くと、牛を飼育するのに適した地域だったのか、豚を飼育するのに適した地域なのかといったコストとベネフィットの問題に行き着く。そして、後から宗教などで食物忌避が理由付けされていく。
ミルクを飲む文化(人がラクターゼ酵素を持つ)は、ミルク以外にカルシウムなどの摂取が困難な環境にあったからで、日本人の大人がミルクを苦手なのは、ミルクに依存しなくてもカルシウムなどの栄養素を小魚などから摂取できたから。
しかし、食の文化は経済のグローバル化に伴い大きく変化しようとしている。
インドでは牛を食べず、イスラムでは豚を食べない・・・これらの食のタブーの源泉を辿って行くと、牛を飼育するのに適した地域だったのか、豚を飼育するのに適した地域なのかといったコストとベネフィットの問題に行き着く。そして、後から宗教などで食物忌避が理由付けされていく。
ミルクを飲む文化(人がラクターゼ酵素を持つ)は、ミルク以外にカルシウムなどの摂取が困難な環境にあったからで、日本人の大人がミルクを苦手なのは、ミルクに依存しなくてもカルシウムなどの栄養素を小魚などから摂取できたから。
しかし、食の文化は経済のグローバル化に伴い大きく変化しようとしている。
「京都村」づくり交流会
2日は、ガレリア亀岡で開催された「京都村」づくり交流会に参加しました。
第1部の講演は、逆手塾の和田芳治会長を講師に「里人(さきもり)になろう」。
藻谷さんの「里山資本主義」に取り上げられた、庄原市でのエコストーブや優輝福祉会のまちづくり型福祉の活動など逆手塾メンバーの活動など、和田節が炸裂しました。
また、渡邉格さんの「腐る経済」の本を片手に、パン屋タルマーリーさんを里山資本主義の理想的なモデルとして紹介されていました。
話のなかで、私が昨年の逆手塾望年会に、タルマーリーさんのパンを買って行ったことなど、大同さんと何度か名前を言っていただき、今年の6月に丹後あじわいの郷で開催する「第32回逆手塾」の宣伝もしていただきました。
講演終了後は、第2部、むらの里力交流会。京都府下の地域で活動する団体が特産品や加工品を販売と交流。京丹後市からは宇川加工所や渓里野間など命の里事業に取り組む地域が参加。
参加者も多く盛り上がりました。
終了後、今年の逆手塾の打ち合わせを兼ねて、和田さんを囲み懇親会でした。
第1部の講演は、逆手塾の和田芳治会長を講師に「里人(さきもり)になろう」。
藻谷さんの「里山資本主義」に取り上げられた、庄原市でのエコストーブや優輝福祉会のまちづくり型福祉の活動など逆手塾メンバーの活動など、和田節が炸裂しました。
また、渡邉格さんの「腐る経済」の本を片手に、パン屋タルマーリーさんを里山資本主義の理想的なモデルとして紹介されていました。
話のなかで、私が昨年の逆手塾望年会に、タルマーリーさんのパンを買って行ったことなど、大同さんと何度か名前を言っていただき、今年の6月に丹後あじわいの郷で開催する「第32回逆手塾」の宣伝もしていただきました。
講演終了後は、第2部、むらの里力交流会。京都府下の地域で活動する団体が特産品や加工品を販売と交流。京丹後市からは宇川加工所や渓里野間など命の里事業に取り組む地域が参加。
参加者も多く盛り上がりました。
終了後、今年の逆手塾の打ち合わせを兼ねて、和田さんを囲み懇親会でした。
2014/02/02
アルサック
レストラン世界ランキング8位「アルサック」のシェフ、ファン・マリ・アルサックさん。
アルサックさんを中心にサン・セバスチャンのシェフは1970年代にフランスで起きた「ヌーベル・キュイジーヌ(新しい料理)」というムーブメントに刺激を受けて、「ヌエバ・コッシーナ(新しい料理)」という運動をはじめます。
同じ新しい料理のムーブメントですが、ヌエバ・コッシーナでは、閉鎖的なフランス料理を日常的なカジュアルな料理としただけでなく、互いのレシピを公開して、持っている技や新しい技も教えあい、サン・セバスチャンのシェフのレベル全体を底上げしました。
アルサックさん、レストランが休みの日には、近くのバールに来て楽しんでいます。
サン・セバスチャンが10数年で美食世界一と言われるようになったのには、一人だけが良くなるのではなく、みんなが技術をあげようというオープンマインドと熱いパッションがありました。
アルサックは料理研究室を持ち、日々新しい料理の研究にも取り組み進化し続けています。
アルサックさんを中心にサン・セバスチャンのシェフは1970年代にフランスで起きた「ヌーベル・キュイジーヌ(新しい料理)」というムーブメントに刺激を受けて、「ヌエバ・コッシーナ(新しい料理)」という運動をはじめます。
同じ新しい料理のムーブメントですが、ヌエバ・コッシーナでは、閉鎖的なフランス料理を日常的なカジュアルな料理としただけでなく、互いのレシピを公開して、持っている技や新しい技も教えあい、サン・セバスチャンのシェフのレベル全体を底上げしました。
アルサックさん、レストランが休みの日には、近くのバールに来て楽しんでいます。
サン・セバスチャンが10数年で美食世界一と言われるようになったのには、一人だけが良くなるのではなく、みんなが技術をあげようというオープンマインドと熱いパッションがありました。
アルサックは料理研究室を持ち、日々新しい料理の研究にも取り組み進化し続けています。
2014/02/01
食のまちづくり サン・セバスチャンの視察
丹後食の王国プロジェクトが丹後地域で進められていますが、食のまちづくりを進めるなら食材のまちから美食のまちへと転換したサン・セバスチャンを目指すべきだと思っています。
サン・セバスチャン・・・スペイン、バスク地方の人口18万人のまち。
豊富な海と山の幸に恵まれながらも低迷していたまちが、たった10年ほどで生まれ変わりました。
発端は、90年代に若いシェフたちがはじめた「ヌエバ・コッシーナ(新しい料理)」という運動で、今では料理大学も誕生して世界一の美食観光のまちともいわれています。
昨年の8月29日に早稲田大学の北川先生よりまちづくりの宿題をいただいてから準備を進め、11月22日からサン・セバスチャンに研修に行き、サン・セバスチャンに4日間、他にバルビオ、サン・ジャン・ド・リュス、バイヨンヌ、ビアリッツとバスク地方の食を探求しました。
パリのシャルルドゴール空港で乗り換え、スペインのビルバオ空港に降り立った時、飛行機には日本人は僕一人しか乗っていないと思っていたら、「あなた日本人?」と高齢のご婦人から声をかけられました(今回の視察はツアーではありません)。
荷物が出てくるまでお話しをうかがうと、10日ほど日本に行っておられたそうですが、ヨーロッパに住んで50年、今はヴァイオリンの教師をされており、5年ほど前からヨーロッパの中で終の棲家を探していてサン・セバスチャンを選ばれたとのことで、まちの話も少しお聴き、期待が高まりました。
あとで聴いたら、高名な方らしく、招かれてサン・セバスチャン私立音楽院のヴァイオリン教師をされているとのことでした。
料理大学、料理教室など現地の視察では「スペイン 美・食の旅」の著者で、バスク美食倶楽部・美食コーディネーターの山口純子さんにお世話になリ、充実した視察ができました。
視察後2ヶ月が経過していますが、食のまちづくりは大きな可能性があるので、ブログにも何回かに分けてFacebookに掲載したものを加工して書いていきたいと思います。
サン・セバスチャン・・・スペイン、バスク地方の人口18万人のまち。
豊富な海と山の幸に恵まれながらも低迷していたまちが、たった10年ほどで生まれ変わりました。
発端は、90年代に若いシェフたちがはじめた「ヌエバ・コッシーナ(新しい料理)」という運動で、今では料理大学も誕生して世界一の美食観光のまちともいわれています。
昨年の8月29日に早稲田大学の北川先生よりまちづくりの宿題をいただいてから準備を進め、11月22日からサン・セバスチャンに研修に行き、サン・セバスチャンに4日間、他にバルビオ、サン・ジャン・ド・リュス、バイヨンヌ、ビアリッツとバスク地方の食を探求しました。
パリのシャルルドゴール空港で乗り換え、スペインのビルバオ空港に降り立った時、飛行機には日本人は僕一人しか乗っていないと思っていたら、「あなた日本人?」と高齢のご婦人から声をかけられました(今回の視察はツアーではありません)。
荷物が出てくるまでお話しをうかがうと、10日ほど日本に行っておられたそうですが、ヨーロッパに住んで50年、今はヴァイオリンの教師をされており、5年ほど前からヨーロッパの中で終の棲家を探していてサン・セバスチャンを選ばれたとのことで、まちの話も少しお聴き、期待が高まりました。
あとで聴いたら、高名な方らしく、招かれてサン・セバスチャン私立音楽院のヴァイオリン教師をされているとのことでした。
料理大学、料理教室など現地の視察では「スペイン 美・食の旅」の著者で、バスク美食倶楽部・美食コーディネーターの山口純子さんにお世話になリ、充実した視察ができました。
視察後2ヶ月が経過していますが、食のまちづくりは大きな可能性があるので、ブログにも何回かに分けてFacebookに掲載したものを加工して書いていきたいと思います。
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