2011/11/06
娘の里帰り出産の準備
午後からは、里帰り出産のため来週後半に帰ってくる娘と、生まれて来る孫のために、余裕のある部屋を確保するため、片づけと整理に追われました。
私は、8日の午後から10日にかけて研修に参加のため家を留守にするので、きょう準備が出来てホッとしました。
後は娘が帰ってくるのを待つのみで、娘が帰ってくれば、これからしばらくの間、我が家はにぎやかになります。
さて、以前に、受け入れ拒否ではなく受け入れ不能にも書きましたが、東京都内であっても、医師が十分に足りているわけではなく、産婦人科の体制を含め、医療機関も十分ではありません。今でも東京は地方から多くの人を吸収していますが、里帰り出産という選択肢があるとしても、様々な事情や環境などにより帰れない人は、子どもを産む時のリスクを考えてしまいます。これでは少子化は止まらないと思います。
研修医制度により地方の医師不足に拍車がかかったといわれていますが、大都市圏においても医師不足が解消しておらず、今後の大都市圏での急激な高齢化の進展とそれにともなう医療需要の増加を考えると、現在の丹後中央病院のように人脈のしっかりある病院は別として、地方の医師不足は大きく改善しないと思います。
サクラソウの苗の植え付け(花いっぱいの里・おくおおの)
プランターの土入れ作業(花いっぱいの里・おくおおの)の続き
きょうの朝は、村づくり委員会のハウスでサクラソウの苗のプランターへの植え付け作業を行いました。
天気が良ければ、終了後、さくら公園に移動して草刈りをする予定になっていましたが、あいにくの雨で中止となりました。
きょうの朝は、村づくり委員会のハウスでサクラソウの苗のプランターへの植え付け作業を行いました。
天気が良ければ、終了後、さくら公園に移動して草刈りをする予定になっていましたが、あいにくの雨で中止となりました。
「都市縮小」の時代(電車のなかで読んだ本その3)
(電車のなかで読んだ本その2)より続く
アメリカのヤングスタウン、ピッツバーグ、バッファロー、イギリスのバーミンガムなどでは、重圧長大産業が衰退し、マンチェスターなどでは繊維産業が衰退して、雇用を失い都市人口を減らしています。他にも、アメリカでは郊外開発によって都市中心部の人口喪失が起きていますが、1990年から2000年の間に世界の4分の1の都市が人口を減らしています。
日本では、もっぱら農山漁村の過疎化と中心商店街対策が問題とされ、生活者の視点からの都市の再構築は遅れていますが、アメリカと同じく郊外開発により中心部が衰退している地方都市は多くあります。そして、もう一方では世界の国々と同じように、大都市への人口集中が起こっています。
1960年に人口16万人であったヤングスタウンは、雇用確保のために刑務所の誘致などの努力をしていますが、40年後には半分の8万人となっています。(この間にアメリカの人口は2億人から3億人に増えており、人口増加なかでの都市人口減少は極めて深刻な問題です。)
ヤングスタウンでは、まちの現状と目指す方向性について考え方を共有する作業からスタートし、時間をかけて繰り返しワークショップが開かれ、真摯な討論が行われた結果、昔のヤングスタウンに戻ることを考えず、厳しい現実を受け止めて「賢い衰退(持続可能な都市再生)」を希求する政策を実施に移し、縮小都市政策の実験場となっています。
縮小する現実を住民が受け入れるのは簡単なことではありません。しかし、かつての栄光の時代の思い出に浸っていても問題解決にはならず、また、人口増加を夢見て都市政策を立案することは現状を無視することになります。ほかの都市、バッファローやデトロイトで政策立案されたカジノによる都市再生は馬鹿げたプロジェクトとして両市の市民から否定されています。往時のにぎわいを回復することは不可能だという共通理解がなければ、縮小都市政策は進みません。
京丹後市も、人口の減少が予測されており、人口減少による行財政の悪化が予測されます。土地を浪費する車依存の土地利用は規制していかないと、社会インフラの維持もできなくなります。この本と、以前読んだ「撤退の農村計画」は、これからの高齢化人口減少社会のなかで持続可能とするための前向きな提言として参考になりました。
アメリカのヤングスタウン、ピッツバーグ、バッファロー、イギリスのバーミンガムなどでは、重圧長大産業が衰退し、マンチェスターなどでは繊維産業が衰退して、雇用を失い都市人口を減らしています。他にも、アメリカでは郊外開発によって都市中心部の人口喪失が起きていますが、1990年から2000年の間に世界の4分の1の都市が人口を減らしています。
日本では、もっぱら農山漁村の過疎化と中心商店街対策が問題とされ、生活者の視点からの都市の再構築は遅れていますが、アメリカと同じく郊外開発により中心部が衰退している地方都市は多くあります。そして、もう一方では世界の国々と同じように、大都市への人口集中が起こっています。
1960年に人口16万人であったヤングスタウンは、雇用確保のために刑務所の誘致などの努力をしていますが、40年後には半分の8万人となっています。(この間にアメリカの人口は2億人から3億人に増えており、人口増加なかでの都市人口減少は極めて深刻な問題です。)
ヤングスタウンでは、まちの現状と目指す方向性について考え方を共有する作業からスタートし、時間をかけて繰り返しワークショップが開かれ、真摯な討論が行われた結果、昔のヤングスタウンに戻ることを考えず、厳しい現実を受け止めて「賢い衰退(持続可能な都市再生)」を希求する政策を実施に移し、縮小都市政策の実験場となっています。
縮小する現実を住民が受け入れるのは簡単なことではありません。しかし、かつての栄光の時代の思い出に浸っていても問題解決にはならず、また、人口増加を夢見て都市政策を立案することは現状を無視することになります。ほかの都市、バッファローやデトロイトで政策立案されたカジノによる都市再生は馬鹿げたプロジェクトとして両市の市民から否定されています。往時のにぎわいを回復することは不可能だという共通理解がなければ、縮小都市政策は進みません。
京丹後市も、人口の減少が予測されており、人口減少による行財政の悪化が予測されます。土地を浪費する車依存の土地利用は規制していかないと、社会インフラの維持もできなくなります。この本と、以前読んだ「撤退の農村計画」は、これからの高齢化人口減少社会のなかで持続可能とするための前向きな提言として参考になりました。
どうする?日本企業(電車のなかで読んだ本その2)
電車のなかで読んだ本(その1)より続き
「どうする?日本企業」は、日本企業が陥ってる状況がよく理解でき、これからしばらくは厳しい状況が続くことが予測できました。以前MDウオークマンの出荷終了に思うことで取り上げた「イノベーションとジレンマ」でも、技術への過信の危険性が別の角度から取り上げられましたが、技術革新がもたらす恩恵と弊害について考えることができました。
日本の産業界に君臨している369社の1960年から2005年までの売上高営業利益率は下降トレンドを辿っていますが、実質売上高はずっと増加しています。つまり、日本企業のなかには利益がともなわない不毛の努力を続けていいる企業が多いのです。
この本での企業分析はたいへん参考になりました。そのひとつとして、「セイコー」が1969年にクオーツ腕時計を発表してから1980年には金額ベース、生産個数で世界一に成り得た経過が分かりやすく書かれ、しかも、その後2009年には、1960年代半ばのクオーツ腕時計開発前の水準まで落ち込無までの経過もよくわかり、マーケティングなきイノベーションの失敗が大きいことが分かります。
一方で、セイコーが量を追って自滅するのを横目に、1960年には3分の1売上であったシチズンは、セイコーと違った戦略を採りながら、1986年にはセイコーを追い越して現在に至っています。
同じような事例として、ヤマハのピアノが取り上げられていますが、ヤマハは1965年には生産台数が世界1になりましたが、1979年には頭打ちとなり、今では、1960年以前の水準にまで下がっています。
ここでの分析で、品質にはコンフォーマス・クオリティと、パフォーマンス・クオリティの二つがあり、多くの日本企業の追い求めている品質がコンフォーマス・クオリティであるため、後から追いかけてきた韓国や中国にすぐに追いつかれてしまうことが指摘されています。
確かに、カローラはジャガーのように故障はしないので、機械としての品質は上ですが、、造形の美しさと利益率ではカローラはジャガーの足元にも及びません。そして、量産品のカローラのまねは量産技術を手に入れればすぐにできてしまいます。ですから、セイコーやシチズンが韓国や中国のメーカーの追撃を受けてスイスの時計メーカーに勝てなかったのも同じなのです。
また、日本の閉鎖性の問題もあります。日本の技術は世界一といわれていますが、それは日本の物差しで測った場合のことで、異なる物差しを使用する国に行けば通用しません。その最もわかりやすい一例が携帯電話だと思います。日本製の携帯電話は世界市場に通用していません。
日本製品の国債市場でのブランド力を上げていかなければいけませんが、最後をシューマッハの一文で締めくくります。
「奇妙なことであるが、技術というものは人間が作ったものなのに、独自の法則と原理で発展していく。そしてこの法則と原理が人間を含む生物界の原理、法則と非常に違うものなのである。自然界のすべてのものには、大きさ、早さ、力に限度がある。だから、人間も一部である自然界には、均衡、調節、浄化の力が働いているのである。しかし、技術にはこれがない。というよりは、技術と専門家に支配された人間にはその力がないというべきであろう。」(「スモール・イズ・ビューティフル」より)
その3へ続く
「どうする?日本企業」は、日本企業が陥ってる状況がよく理解でき、これからしばらくは厳しい状況が続くことが予測できました。以前MDウオークマンの出荷終了に思うことで取り上げた「イノベーションとジレンマ」でも、技術への過信の危険性が別の角度から取り上げられましたが、技術革新がもたらす恩恵と弊害について考えることができました。
日本の産業界に君臨している369社の1960年から2005年までの売上高営業利益率は下降トレンドを辿っていますが、実質売上高はずっと増加しています。つまり、日本企業のなかには利益がともなわない不毛の努力を続けていいる企業が多いのです。
この本での企業分析はたいへん参考になりました。そのひとつとして、「セイコー」が1969年にクオーツ腕時計を発表してから1980年には金額ベース、生産個数で世界一に成り得た経過が分かりやすく書かれ、しかも、その後2009年には、1960年代半ばのクオーツ腕時計開発前の水準まで落ち込無までの経過もよくわかり、マーケティングなきイノベーションの失敗が大きいことが分かります。
一方で、セイコーが量を追って自滅するのを横目に、1960年には3分の1売上であったシチズンは、セイコーと違った戦略を採りながら、1986年にはセイコーを追い越して現在に至っています。
同じような事例として、ヤマハのピアノが取り上げられていますが、ヤマハは1965年には生産台数が世界1になりましたが、1979年には頭打ちとなり、今では、1960年以前の水準にまで下がっています。
ここでの分析で、品質にはコンフォーマス・クオリティと、パフォーマンス・クオリティの二つがあり、多くの日本企業の追い求めている品質がコンフォーマス・クオリティであるため、後から追いかけてきた韓国や中国にすぐに追いつかれてしまうことが指摘されています。
確かに、カローラはジャガーのように故障はしないので、機械としての品質は上ですが、、造形の美しさと利益率ではカローラはジャガーの足元にも及びません。そして、量産品のカローラのまねは量産技術を手に入れればすぐにできてしまいます。ですから、セイコーやシチズンが韓国や中国のメーカーの追撃を受けてスイスの時計メーカーに勝てなかったのも同じなのです。
また、日本の閉鎖性の問題もあります。日本の技術は世界一といわれていますが、それは日本の物差しで測った場合のことで、異なる物差しを使用する国に行けば通用しません。その最もわかりやすい一例が携帯電話だと思います。日本製の携帯電話は世界市場に通用していません。
日本製品の国債市場でのブランド力を上げていかなければいけませんが、最後をシューマッハの一文で締めくくります。
「奇妙なことであるが、技術というものは人間が作ったものなのに、独自の法則と原理で発展していく。そしてこの法則と原理が人間を含む生物界の原理、法則と非常に違うものなのである。自然界のすべてのものには、大きさ、早さ、力に限度がある。だから、人間も一部である自然界には、均衡、調節、浄化の力が働いているのである。しかし、技術にはこれがない。というよりは、技術と専門家に支配された人間にはその力がないというべきであろう。」(「スモール・イズ・ビューティフル」より)
その3へ続く
2011/11/05
雨のなかの第3回京丹後商工祭
午後は、丹後あじわいの郷で開催されている京丹後商工祭に行きました。あいにくの雨天のため、高知市役所「正調よさこい鳴子踊り普及振興会』の演舞はハーベストホール内でした。
雨のため、人の出足は悪いようです。「飲食ブース」に知った方がいたので、聴いてみたら、ふるまいで出した「シカ肉カレー」600食分はすぐに売り切れたとのことでしたが、他の有料の食べ物はあまり売れていないとのことでした。やはり、こういったイベントの成否は天候に大きく左右されます。
雨のなか、野外ステージで佛教大学「紫踊屋」の元気あふれるよさこい演舞がありました。
雨のため、人の出足は悪いようです。「飲食ブース」に知った方がいたので、聴いてみたら、ふるまいで出した「シカ肉カレー」600食分はすぐに売り切れたとのことでしたが、他の有料の食べ物はあまり売れていないとのことでした。やはり、こういったイベントの成否は天候に大きく左右されます。
雨のなか、野外ステージで佛教大学「紫踊屋」の元気あふれるよさこい演舞がありました。
プランターの土入れ作業(花いっぱいの里・おくおおの)
我が奥大野は、「花いっぱいの里・おくおおの」を目指して、村中花いっぱい運動に取り組んでいます。
その一つとして、毎年、10月末から11月の初旬の間に、サクラソウをプランターに植え付けます。そして、翌年の春には、雪が溶けるのを待って、おくおおのの花「さくら草」のプランターを集落内の沿道沿いに並べます。
シャロームガーデンさんのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/masami280307/29213702.htmlから、上の写真は借りてきました。他の花いっぱいの取り組みも紹介されていますので、興味のある方はシャロームガーデンさんのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/masami280307をご覧ください。
きょうの午前中は、サクラソウの苗をプランターに植え付ける準備として、約660のプランターに土入れ作業を行いました。
土入れをしたプランターは軽トラで村づくり委員会のハウスまで運びます。
明日は、早朝から、サクラソウの苗の植え付け作業を行います。
その一つとして、毎年、10月末から11月の初旬の間に、サクラソウをプランターに植え付けます。そして、翌年の春には、雪が溶けるのを待って、おくおおのの花「さくら草」のプランターを集落内の沿道沿いに並べます。
シャロームガーデンさんのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/masami280307/29213702.htmlから、上の写真は借りてきました。他の花いっぱいの取り組みも紹介されていますので、興味のある方はシャロームガーデンさんのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/masami280307をご覧ください。
きょうの午前中は、サクラソウの苗をプランターに植え付ける準備として、約660のプランターに土入れ作業を行いました。
土入れをしたプランターは軽トラで村づくり委員会のハウスまで運びます。
明日は、早朝から、サクラソウの苗の植え付け作業を行います。
2011/11/03
シルクファッションフェスティバル
第26回国民文化祭・京都2011シルクファッションフェスティバルに着物を着て出席しました。丹後ちりめんの産地に住んでいますが、こういったイベントでもないと着物を着ることはありません。
私の場合、着物は生活の場からは遠いものになっており、議員をしていなかったら、着ることがあるかどうかもわかりません。日本の文化史や民俗学には関心があるので、それに関連した本はよく読むのですが、生活のなかでは伝統文化として受け継いできているものが少ないように感じています。
きょうのフェスティバルは、先週行われた小町ロマン短歌大会ほどの参加者はないとのことで、会場では半分ぐらいの方は着物を着ておられましたが、着物を着ることの非日常性も強く感じました。
トークショーや交流座談会でも言われていましたが、ほんの40年前はもう少し着物の生活があり、普段着も晴れ着も着物の方もおられましたが、日常の生活の変化とともに普段着としては伝わらず、今では、多くの方にとって着物は特別な晴れ着となっていると思います。
また、ジェフ・バーグランドさんも言っておられましたが、着物が高いことも事実です。
きょうのフェスティバルは日本文化と着物について改めて考えるきっかけになりました。
私の場合、着物は生活の場からは遠いものになっており、議員をしていなかったら、着ることがあるかどうかもわかりません。日本の文化史や民俗学には関心があるので、それに関連した本はよく読むのですが、生活のなかでは伝統文化として受け継いできているものが少ないように感じています。
きょうのフェスティバルは、先週行われた小町ロマン短歌大会ほどの参加者はないとのことで、会場では半分ぐらいの方は着物を着ておられましたが、着物を着ることの非日常性も強く感じました。
トークショーや交流座談会でも言われていましたが、ほんの40年前はもう少し着物の生活があり、普段着も晴れ着も着物の方もおられましたが、日常の生活の変化とともに普段着としては伝わらず、今では、多くの方にとって着物は特別な晴れ着となっていると思います。
また、ジェフ・バーグランドさんも言っておられましたが、着物が高いことも事実です。
きょうのフェスティバルは日本文化と着物について改めて考えるきっかけになりました。
合理的無知
政治経済学には合理的無知という概念があります。
多くの人は、仕事や生活、趣味などで、自分にとって有益な情報を得たり楽しむために時間やお金を使い、特に関心の高い分野については、しっかり評価もできます。
しかし、時間は無限に与えられてはいないので、政治や行政についてはよく知っていても知らなくても、有権者として選挙で行使できるのは一票に限られていているため、時間やお金を使う気になりません。
つまり、合理的無知とは、合理的に選択した結果として、政治や行政に対して無知であるということを現実の一側面として表しています。選挙においても、十分な政治知識を持って最良の政党や候補者を選出しているわけではありません。有権者は無能ではなく無知なのです。
先日の朝日新聞ジャーナリスト学校においても、この合理的無知という概念を含めて話しましたが、誰もが政治に関心を持っているわけでもないし、難しい話を聞こうという努力をしない人がほとんどだけれども、世の中は単純ではなく、複雑であるということを理解して、ポピュリズムを警戒してもらわなければなりません。
小泉さん以降、ワンフレーズのわかりやすさ、訴えやすさが受けていますが、イシューが単純化されてきたことで、政治を専門として扱う政治家においても全体像が見えなくなっている、見ようとしなくなっている人が増えているのではないかと懸念しています。
ところで、スペインの哲学者オルテガは、著書「大衆の反逆」のなかで、専門家といわれている人々こそが、実は最もやっかいな大衆だと書いてており、彼らが狭い専門知識しか持たないのに、広大な領域についても、あたかも幅広く専門知識があるかのように振る舞い、人々の要求をくみ上げるだけで、自らあらたな価値を提示しようとしない、極めて長期的展望に乏しい専門家といわれる人々の意見を安易に聴いて信じる危険性を指摘しています。
政治の専門家である政治家は選挙で当選しなければただの人になります。政治家であり続けるために合理的に考えて行動し、選挙に勝つためのイシューに取り組んでます。有権者に受けが悪い正論を述べることよりも、要求をくみ上げるだけで、得票を増やすために行動し、時間とお金を使っています。
つまり、最近の日本においては、有権者も多くの政治家も、無能なのではなく、合理的に選択した結果として無知の状況にあり、そこからも閉塞感が広がっているのではないかと考えています。
この閉塞感を打ち破るためには、誰もが知る努力をしなければならないと考えているのですが・・・・
多くの人は、仕事や生活、趣味などで、自分にとって有益な情報を得たり楽しむために時間やお金を使い、特に関心の高い分野については、しっかり評価もできます。
しかし、時間は無限に与えられてはいないので、政治や行政についてはよく知っていても知らなくても、有権者として選挙で行使できるのは一票に限られていているため、時間やお金を使う気になりません。
つまり、合理的無知とは、合理的に選択した結果として、政治や行政に対して無知であるということを現実の一側面として表しています。選挙においても、十分な政治知識を持って最良の政党や候補者を選出しているわけではありません。有権者は無能ではなく無知なのです。
先日の朝日新聞ジャーナリスト学校においても、この合理的無知という概念を含めて話しましたが、誰もが政治に関心を持っているわけでもないし、難しい話を聞こうという努力をしない人がほとんどだけれども、世の中は単純ではなく、複雑であるということを理解して、ポピュリズムを警戒してもらわなければなりません。
小泉さん以降、ワンフレーズのわかりやすさ、訴えやすさが受けていますが、イシューが単純化されてきたことで、政治を専門として扱う政治家においても全体像が見えなくなっている、見ようとしなくなっている人が増えているのではないかと懸念しています。
ところで、スペインの哲学者オルテガは、著書「大衆の反逆」のなかで、専門家といわれている人々こそが、実は最もやっかいな大衆だと書いてており、彼らが狭い専門知識しか持たないのに、広大な領域についても、あたかも幅広く専門知識があるかのように振る舞い、人々の要求をくみ上げるだけで、自らあらたな価値を提示しようとしない、極めて長期的展望に乏しい専門家といわれる人々の意見を安易に聴いて信じる危険性を指摘しています。
政治の専門家である政治家は選挙で当選しなければただの人になります。政治家であり続けるために合理的に考えて行動し、選挙に勝つためのイシューに取り組んでます。有権者に受けが悪い正論を述べることよりも、要求をくみ上げるだけで、得票を増やすために行動し、時間とお金を使っています。
つまり、最近の日本においては、有権者も多くの政治家も、無能なのではなく、合理的に選択した結果として無知の状況にあり、そこからも閉塞感が広がっているのではないかと考えています。
この閉塞感を打ち破るためには、誰もが知る努力をしなければならないと考えているのですが・・・・
マゼールの30枚セット
きょう、ロリン・マゼールのCD30枚組セットが限定版で発売され、送られてきました。30枚で3908円(実質3518円)という破格の安さで、発売とともにHMVでは完売のようです。
すでに、アマゾンでは、11,466円まで跳ね上がっています。アメリカでも100ドル30セントになっており、なんだか得をした気分です。
マゼールは個性の強い指揮者ですが、クリ―グランドとのプロコフィエフのロミオとジュリエットやブラームス、ベルリン・フィルとのブルックナーの7番はとても素晴らしい演奏で、他にも若い頃のウィーン・フィルとの一連の演奏なども愛好しています。
でも、マゼールに関しては、これまであまり熱心な聞き手ではなかったので、この30枚セットのCDのダブリはありません。
しばらく、マゼールの演奏を楽しむことができそうです。
CD1~5 ベートーヴェン:交響曲
第1~9番
ロリン・マゼール(指揮)、クリーヴランド管弦楽団
ルチア・ポップ(Sp)、エレナ・オヴラツォワ(Ms)、ジョン・ヴィッカース(T)、マッティ・タルヴェラ(Bs)
[録音:1977年-1978年]
CD6 《オーケストラ・スペクタキュラー》
チャイコフスキー:イタリア奇想曲 Op.45/序曲「1812」Op.49
ベートーヴェン:ウェリントンの勝利
リスト:交響詩「フン族の戦い」
ロリン・マゼール(指揮)、バイエルン放送交響楽団
[録音:1995年]
CD7 ベルリオーズ:幻想交響曲
ロリン・マゼール(指揮)、クリーヴランド管弦楽団
[録音:1977年]
CD8 《ドビュッシー:管弦楽作品集》
バレエ「遊戯」/交響詩「海」/夜想曲
ロリン・マゼール(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アルノルト・シェーンベルク合唱団
[録音:1999年]
CD9
グローフェ:組曲「グランド・キャニオン」
ハーバート:交響詩「ヘーローとレアンドロス」Op.33
オペレッタ名曲メドレー:
おもちゃの行進曲~アブサン・フラッペ~君は君なれば~君去りしとき~算数なんか大嫌い~
だれかと恋におちそうよ~ジプシーの恋の歌~イタリアの街の歌~もう一度キスして~
アイルランド人は今晩、大はしゃぎ(サンフォード編)
ロリン・マゼール(指揮)、ピッツバーグ交響楽団
[録音:1991年]
CD10 ホルスト:組曲「惑星」
ロリン・マゼール(指揮)、フランス国立管弦楽団 フランス国立女声合唱団
[録音:1981年]
CD11 マーラー:交響曲 第1番「巨人」
ロリン・マゼール(指揮)、フランス国立管弦楽団
[録音:1979年]
CD12 《ラヴェル:管弦楽作品集》
ボレロ/「ダフニスとクロエ」第1&2組曲/スペイン狂詩曲/ラ・ヴァルス
ロリン・マゼール(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
[録音:1996年]
CD13 《レスピーギ:ローマ三部作》
交響詩「ローマの松」/交響詩「ローマの噴水」/交響詩「ローマの祭り」
ロリン・マゼール(指揮)、ピッツバーグ交響楽団
[録音:1994年]
CD14
サン=サーンス:
交響曲 第3番 Op.78「オルガン付き」/交響詩「ファエトン」Op.39/交響詩「死の舞踏」Op.40
歌劇「サムソンとデリラ」より 第3幕「バッカナール」
ロリン・マゼール(指揮)、ピッツバーグ交響楽団、アンソニー・ニューマン(Org)
[録音:1993年]
(収録内容続き)
CD15~18 シベリウス:交響曲 第1~7番
ロリン・マゼール(指揮)、ピッツバーグ交響楽団
[録音:1990~1992年]
CD19~22 《R.シュトラウス:管弦楽作品集》
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」Op.30/楽劇「ばらの騎士」組曲 Op.59/交響詩「ドン・ファン」Op.20
家庭交響曲 Op.53/交響詩「死と変容」Op.24/交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」Op.28
交響詩「英雄の生涯」Op.40/アルプス交響曲 Op.64/交響詩「マクベス」p.23
ロリン・マゼール(指揮)、バイエルン放送交響楽団
[録音:1995~1998年]
CD23 R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
ロリン・マゼール(指揮)、クリーヴランド管弦楽団
[録音:1977年]
CD24 《ストラヴィンスキー:管弦楽作品集》
バレエ音楽「ペトルーシュカ」/交響詩「ナイチンゲールの歌」/幻想曲「花火」
ロリン・マゼール(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
[録音:1998年]
CD25 ストラヴィンスキー:組曲「兵士の物語」/三楽章の交響曲/詩篇交響曲
ロリン・マゼール(指揮&Vn)、バイエルン放送交響楽団
[録音:1995~1997年]
CD26~28 チャイコフスキー:交響曲 第4~6番
ロリン・マゼール(指揮)、クリーヴランド管弦楽団
[録音:1980~1981年]
CD29 《ワーグナー:管弦楽作品集
Vol.1》
歌劇「タンホイザー」序曲とバッカナール/歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
歌劇「ローエングリン」~第1幕への前奏曲/楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートの葬送行進曲
楽劇「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死
ロリン・マゼール(指揮)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ワルトラウト・マイヤー(Ms)
[録音:1997年]
CD30 《ワーグナー:管弦楽作品集
Vol.2》
歌劇「リエンツィ」序曲/歌劇「ローエングリン」~第3幕への前奏曲/序曲「ファウスト」
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~第1幕への前奏曲/ジークフリート牧歌
楽劇「神々の黄昏」~夜明けとジークフリートのラインへの旅
ロリン・マゼール(指揮)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
[録音:1999年]
すでに、アマゾンでは、11,466円まで跳ね上がっています。アメリカでも100ドル30セントになっており、なんだか得をした気分です。
マゼールは個性の強い指揮者ですが、クリ―グランドとのプロコフィエフのロミオとジュリエットやブラームス、ベルリン・フィルとのブルックナーの7番はとても素晴らしい演奏で、他にも若い頃のウィーン・フィルとの一連の演奏なども愛好しています。
でも、マゼールに関しては、これまであまり熱心な聞き手ではなかったので、この30枚セットのCDのダブリはありません。
しばらく、マゼールの演奏を楽しむことができそうです。

以下、30枚の内容です。
ロリン・マゼール(指揮)、クリーヴランド管弦楽団
ルチア・ポップ(Sp)、エレナ・オヴラツォワ(Ms)、ジョン・ヴィッカース(T)、マッティ・タルヴェラ(Bs)
[録音:1977年-1978年]
CD6 《オーケストラ・スペクタキュラー》
チャイコフスキー:イタリア奇想曲 Op.45/序曲「1812」Op.49
ベートーヴェン:ウェリントンの勝利
リスト:交響詩「フン族の戦い」
ロリン・マゼール(指揮)、バイエルン放送交響楽団
[録音:1995年]
ロリン・マゼール(指揮)、クリーヴランド管弦楽団
[録音:1977年]
バレエ「遊戯」/交響詩「海」/夜想曲
ロリン・マゼール(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、アルノルト・シェーンベルク合唱団
[録音:1999年]
グローフェ:組曲「グランド・キャニオン」
ハーバート:交響詩「ヘーローとレアンドロス」Op.33
オペレッタ名曲メドレー:
おもちゃの行進曲~アブサン・フラッペ~君は君なれば~君去りしとき~算数なんか大嫌い~
だれかと恋におちそうよ~ジプシーの恋の歌~イタリアの街の歌~もう一度キスして~
アイルランド人は今晩、大はしゃぎ(サンフォード編)
ロリン・マゼール(指揮)、ピッツバーグ交響楽団
[録音:1991年]
ロリン・マゼール(指揮)、フランス国立管弦楽団 フランス国立女声合唱団
[録音:1981年]
ロリン・マゼール(指揮)、フランス国立管弦楽団
[録音:1979年]
ボレロ/「ダフニスとクロエ」第1&2組曲/スペイン狂詩曲/ラ・ヴァルス
ロリン・マゼール(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
[録音:1996年]
交響詩「ローマの松」/交響詩「ローマの噴水」/交響詩「ローマの祭り」
ロリン・マゼール(指揮)、ピッツバーグ交響楽団
[録音:1994年]
サン=サーンス:
交響曲 第3番 Op.78「オルガン付き」/交響詩「ファエトン」Op.39/交響詩「死の舞踏」Op.40
歌劇「サムソンとデリラ」より 第3幕「バッカナール」
ロリン・マゼール(指揮)、ピッツバーグ交響楽団、アンソニー・ニューマン(Org)
[録音:1993年]
(収録内容続き)
ロリン・マゼール(指揮)、ピッツバーグ交響楽団
[録音:1990~1992年]
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」Op.30/楽劇「ばらの騎士」組曲 Op.59/交響詩「ドン・ファン」Op.20
家庭交響曲 Op.53/交響詩「死と変容」Op.24/交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」Op.28
交響詩「英雄の生涯」Op.40/アルプス交響曲 Op.64/交響詩「マクベス」p.23
ロリン・マゼール(指揮)、バイエルン放送交響楽団
[録音:1995~1998年]
ロリン・マゼール(指揮)、クリーヴランド管弦楽団
[録音:1977年]
バレエ音楽「ペトルーシュカ」/交響詩「ナイチンゲールの歌」/幻想曲「花火」
ロリン・マゼール(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
[録音:1998年]
ロリン・マゼール(指揮&Vn)、バイエルン放送交響楽団
[録音:1995~1997年]
ロリン・マゼール(指揮)、クリーヴランド管弦楽団
[録音:1980~1981年]
歌劇「タンホイザー」序曲とバッカナール/歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
歌劇「ローエングリン」~第1幕への前奏曲/楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートの葬送行進曲
楽劇「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死
ロリン・マゼール(指揮)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ワルトラウト・マイヤー(Ms)
[録音:1997年]
歌劇「リエンツィ」序曲/歌劇「ローエングリン」~第3幕への前奏曲/序曲「ファウスト」
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~第1幕への前奏曲/ジークフリート牧歌
楽劇「神々の黄昏」~夜明けとジークフリートのラインへの旅
ロリン・マゼール(指揮)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
[録音:1999年]
2011/11/01
もう11月、まだ11月
きょうから11月、きょうはあちらこちらでお話を聞かせていただくなかで、忠告やおしかりを受けたり、励ましを受けたりで、あるところでは、「市長選に出るぐらいの気構えがないのなら、議員も辞めてしまえ、ろくでもない市長に中途半端な議員ばかりではこのまちのためにはならん。」との厳しい調子の叱咤とともに、このまちの将来を憂う真摯な声を聞かせていただきました。
しかし、一方では、東北大震災やEUの金融不安などの大きな問題があるなかで、足元の京丹後市の行財政の課題がかすんでしまって見えていない方や、暗い問題が多いなかで明るく前を見なければだめだと、何が問題であるかに関わらず一致団結すること、がむしゃらに頑張ることを求められる方もおられ、温度差も強く感じました。
もう11月との声もあり、また、まだ11月との声もありましたが、後悔することのないように1日1日を行動していきたいと思っています。
しかし、一方では、東北大震災やEUの金融不安などの大きな問題があるなかで、足元の京丹後市の行財政の課題がかすんでしまって見えていない方や、暗い問題が多いなかで明るく前を見なければだめだと、何が問題であるかに関わらず一致団結すること、がむしゃらに頑張ることを求められる方もおられ、温度差も強く感じました。
もう11月との声もあり、また、まだ11月との声もありましたが、後悔することのないように1日1日を行動していきたいと思っています。
2011/10/31
下水道会計への繰り入れ(産業建設委員会)
下水道料金値上げについて、委員会審査がありました。
説明員には、上下水道部だけでなく財務部からも部課長に出席していただき、値上げのもととなる一般会計からの繰出し金について、考え方や他の自治体での事例などをもとに審査をしました。
先日伺ったさぬき市では、平成22年度の一般会計決算268億円の内、下水道事業(各会計合計)の繰出し金は、13億5450万円でした。さぬき市の整備率は88.47%水洗化率89.34%と、京丹後市に比べて高いですが、下水道料金は20㎥で2200円と低く、料金収入総額は3億1686万円で、維持管理費の3億5112万円を賄えていませんでした。
京丹後市では、審議会の答申において、整備済みの段階で維持管理費の全額と、公債費の30%を料金収入で賄うこととして段階的に料金を上げていくこととされていますが、私が調べたなかでは、この考え方は聴きません。
まず、この考え方の根拠は、一般会計から下水道事業への繰出しの限度を10億円としたから、10億円では賄えない維持管理費の全額と公債費の30%が繰り出し金の対象外になったことを言い換えているに過ぎないように思います。確かに財政の健全性は必要ですが、誰のための財政の健全性なのか、職員の給与水準も下げる必要があるでしょうし(公務員給与・京丹後市は271位をご覧ください)、事業の見直しも必要です。
また、下水道が整備中の状況下で、まだまだ水洗化率が低いなかでの料金改定には疑問もあります。合併後から、水洗化率が低いことが問題として取り上げられていましたが、成果は上がっておらず、これからも、急激に水洗化が進むことは見込めないと思います。
審議会で出されていた資料には疑問もあったので、京丹後市と類似した整備率、水洗化率での他の自治体と比較ができる資料の作成を求めました。
説明員には、上下水道部だけでなく財務部からも部課長に出席していただき、値上げのもととなる一般会計からの繰出し金について、考え方や他の自治体での事例などをもとに審査をしました。
先日伺ったさぬき市では、平成22年度の一般会計決算268億円の内、下水道事業(各会計合計)の繰出し金は、13億5450万円でした。さぬき市の整備率は88.47%水洗化率89.34%と、京丹後市に比べて高いですが、下水道料金は20㎥で2200円と低く、料金収入総額は3億1686万円で、維持管理費の3億5112万円を賄えていませんでした。
京丹後市では、審議会の答申において、整備済みの段階で維持管理費の全額と、公債費の30%を料金収入で賄うこととして段階的に料金を上げていくこととされていますが、私が調べたなかでは、この考え方は聴きません。
まず、この考え方の根拠は、一般会計から下水道事業への繰出しの限度を10億円としたから、10億円では賄えない維持管理費の全額と公債費の30%が繰り出し金の対象外になったことを言い換えているに過ぎないように思います。確かに財政の健全性は必要ですが、誰のための財政の健全性なのか、職員の給与水準も下げる必要があるでしょうし(公務員給与・京丹後市は271位をご覧ください)、事業の見直しも必要です。
また、下水道が整備中の状況下で、まだまだ水洗化率が低いなかでの料金改定には疑問もあります。合併後から、水洗化率が低いことが問題として取り上げられていましたが、成果は上がっておらず、これからも、急激に水洗化が進むことは見込めないと思います。
審議会で出されていた資料には疑問もあったので、京丹後市と類似した整備率、水洗化率での他の自治体と比較ができる資料の作成を求めました。
2011/10/30
おおみや生き活きフェスタ2011
朝起きると小雨が降っていましたが、大宮庁舎前のフェスタ会場に行き、奥大野村づくり委員会の出店の準備を手伝いました。
奥大野村づくり委員会の幟旗も立てました。
フェスタ開始の午前10時前には雨も止んで、ほんの時々小雨もあった曇天でしたが、午後3時の終了まで、花の苗と倉垣ラーメン、おからドーナツを販売しました。
終了後は奥大野公民館で反省会。今年は売り上げダウンの赤字でした。
奥大野村づくり委員会の幟旗も立てました。
フェスタ開始の午前10時前には雨も止んで、ほんの時々小雨もあった曇天でしたが、午後3時の終了まで、花の苗と倉垣ラーメン、おからドーナツを販売しました。
終了後は奥大野公民館で反省会。今年は売り上げダウンの赤字でした。
横石知二さんのTweetから
最近、気になる人のTweeterを拝見しています。横石さんもその一人で、短いつぶやきで情報をいただいたり、元気をいただいています。地域づくりに悩むなかで、共感したつぶやきの一部です。
「自分の考えを押しつける人は、聞く耳を持たないので真のプロデュサーにはなれない。学ぶこともしなくなるので考え方も片寄ってしまう。そうならんようにせなあかんなあ。」
「何か自分に迷いがあって、田舎で成功しているところを回って自分の目で確かめてみた。スローフードなんかどこもなかった。あるのは都会と変わらない戦場ばかりだった。」
「やる気のない人を駄目だと批判する。確かにそのとおりだと思うが、やる気のない人をその気にさせるのが経営者の仕事でもある。でも現実は難しいよなあ。」
「人は、いくら口で言っても自分のことにならなければわかるはずがない。だからぬるま湯につかっている時は、なにを言ってもあかんと思うわ。苦渋の選択が必要な時もある。」
「都会から『社会の役に立ちたい』と元気な若者が、田舎に集まってくる。だがそのもう一歩先の起業や経営者になるという人の少なさに驚きとはがゆさもある。どうしたらここにもっていけるかの答えがまだ見つからない。それは無理。そんな人は十年にひとりだといわれてしまった。」
「なぜやらないのか・・自分の尺度を自分で決めてしまうからだ。自分の尺度なんてやってみなきゃわかるもんか。やらなあかん。やってみてから、修正すればいい。」
「自分の考えを押しつける人は、聞く耳を持たないので真のプロデュサーにはなれない。学ぶこともしなくなるので考え方も片寄ってしまう。そうならんようにせなあかんなあ。」
「何か自分に迷いがあって、田舎で成功しているところを回って自分の目で確かめてみた。スローフードなんかどこもなかった。あるのは都会と変わらない戦場ばかりだった。」
「やる気のない人を駄目だと批判する。確かにそのとおりだと思うが、やる気のない人をその気にさせるのが経営者の仕事でもある。でも現実は難しいよなあ。」
「人は、いくら口で言っても自分のことにならなければわかるはずがない。だからぬるま湯につかっている時は、なにを言ってもあかんと思うわ。苦渋の選択が必要な時もある。」
「都会から『社会の役に立ちたい』と元気な若者が、田舎に集まってくる。だがそのもう一歩先の起業や経営者になるという人の少なさに驚きとはがゆさもある。どうしたらここにもっていけるかの答えがまだ見つからない。それは無理。そんな人は十年にひとりだといわれてしまった。」
「なぜやらないのか・・自分の尺度を自分で決めてしまうからだ。自分の尺度なんてやってみなきゃわかるもんか。やらなあかん。やってみてから、修正すればいい。」
2011/10/29
介護、道路整備事業の大罪(電車のなかで読んだ本その1)
今回も、移動中の電車のなかでは主に本を読んでいました。
最初に読んだのは、結城康博著「介護」です。
介護の社会化を実現する制度として生まれたはずの介護保険制度ですが、財政上の問題から2度の介護報酬の引き下げや、2006年の制度見直しによる介護予防の導入などが行われたなかで、介護の現場での事例を上げながら、入所が必要な方がなかなか入所することができない特別養護老人ホームの現状や、不足するなかでの新設特養の完全個室化・ユニット型化が低所得者の利用を阻害することなど問題提起をされています。私も、認知症の親を抱えて介護に対して不安があることと、実際に利用する上での制度の欠陥がわかってきたので、次の見直しでは、改善を求めていく必要があると思っています。
ただ、ここで結城氏は、特別会計の国債償還や地方交付税交付金を除く100兆円の予算の内から無駄を削減すれば、年金財源は確保でき、医療と介護に使途を限定して消費税の増税を考えればよいと書いていますが、この財源の議論は間違っています。
下の図をご覧ください。(http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare299.pdfより)
しかし、そのなかで最も多い68,5兆円は医療・介護・年金などの社会保障関係費であり、この部分は抑制されていて不足しているぐらいですから、削減は出来ません。財政投融資も削減すれば、政府の信用で資金の手当てをしないというだけであり、削減したから使えるお金が確保できるわけではありません。
また、その他の財源17,3兆円の内訳としては公共工事費や農林水産費、経済協力、エネルギー関連に雇用・労働保険関係などがありますが、これもそんなに簡単にバッサリ削減できるものはありません。
民主党が1割ぐらい簡単に削減できるといってできなかったように、なんとなく多いから削減できるだろうという議論では、小泉さんの時に社会保障関係費の伸びが抑制された二の舞になりかねないのが現実であり、高齢化による社会保障関係費の増加が避けられない現状においては、増税による財源確保を進めるしかないと思います。
次に読んだ「道路整備事業の大罪」は、ストロー効果による人口減少と経済的流出や、道路整備が進んだことによる心理的な距離感の短縮により、地域を離れやすくなること、車による移動が中心の社会になるなかで、市街地が拡散し人のふれあいが減少することと、近隣での買い物が不自由になることなど、道路整備後に生じた課題が事例として取り上げられています。道路整備によらないまちづくりを考え、まちづくりを見直す必要性が書かれており、デメリットの克服についての考え方をしっかり持っておく必要を感じました。
朝日新聞の記者の方々との懇談においても、道路が整備されて大都市からの日帰り圏になるなかでの観光地・商店街の衰退の話や、新幹線整備による並行在来線の町々の衰退、延長による終点から通過点への変化での人の流れの変わりようなどのことも聴いています。
印象に残った話として、馬路村での聞き取りが書かれています。「馬路村には道路整備はいらない、と村役場は言っている。道路を2車線にしたり、トンネルをつくったりしたら、馬路村が日帰り圏になってしまい、温泉旅館などは商売が成り立たなくなるからだ。そもそも馬路村は田舎らしさを売りにしている。その田舎らしさが道路整備で失われてしまう。わざわざ苦労してきてもらえるからこそ、馬路村の魅力が出る。」
行動圏の拡大による生活の利便性の追求と、地域内経済循環による地域経済の維持は相容れないものとして考えていく必要がありそうです。
(その2へ続く)
第2回 秋の村内道路一斉クリーン大作戦
今朝は、奥大野村づくり委員会主催の奥大野区内の道路の美化活動に参加しました。
村中の市道には、そんなにゴミは落ちていないのですが、奥大野バイパスや人家のないところには、ペットボトルや空き缶などのゴミが投げ捨てられています。
特に、大宮バイパスとの合流付近では信号待ち時の投げ捨てが多いようですが、前回に続き、今回も発泡酒の空き缶なども投げ捨てられていました。変わったものでは、醤油の1升瓶やリポビタンなどの空き瓶を入れた袋ごと道路わきの草むらに置き捨てにされていました。
少しでもポイ捨てが無くなることを意識していただくように、写真も掲載します。
村中の市道には、そんなにゴミは落ちていないのですが、奥大野バイパスや人家のないところには、ペットボトルや空き缶などのゴミが投げ捨てられています。
特に、大宮バイパスとの合流付近では信号待ち時の投げ捨てが多いようですが、前回に続き、今回も発泡酒の空き缶なども投げ捨てられていました。変わったものでは、醤油の1升瓶やリポビタンなどの空き瓶を入れた袋ごと道路わきの草むらに置き捨てにされていました。
少しでもポイ捨てが無くなることを意識していただくように、写真も掲載します。
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