2011/10/29

介護、道路整備事業の大罪(電車のなかで読んだ本その1)

 今回も、移動中の電車のなかでは主に本を読んでいました。

 最初に読んだのは、結城康博著「介護」です。
介護の社会化を実現する制度として生まれたはずの介護保険制度ですが、財政上の問題から2度の介護報酬の引き下げや、2006年の制度見直しによる介護予防の導入などが行われたなかで、介護の現場での事例を上げながら、入所が必要な方がなかなか入所することができない特別養護老人ホームの現状や、不足するなかでの新設特養の完全個室化・ユニット型化が低所得者の利用を阻害することなど問題提起をされています。

 私も、認知症の親を抱えて介護に対して不安があることと、実際に利用する上での制度の欠陥がわかってきたので、次の見直しでは、改善を求めていく必要があると思っています。

 ただ、ここで結城氏は、特別会計の国債償還や地方交付税交付金を除く100兆円の予算の内から無駄を削減すれば、年金財源は確保でき、医療と介護に使途を限定して消費税の増税を考えればよいと書いていますが、この財源の議論は間違っています。

 下の図をご覧ください。(http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare299.pdfより)
 結城氏の指摘の通り、国債費(78,9兆円)と地方交付税交付金(15,8兆円)を除いても予算は100兆円以上あります。

 しかし、そのなかで最も多い68,5兆円は医療・介護・年金などの社会保障関係費であり、この部分は抑制されていて不足しているぐらいですから、削減は出来ません。財政投融資も削減すれば、政府の信用で資金の手当てをしないというだけであり、削減したから使えるお金が確保できるわけではありません。

 また、その他の財源17,3兆円の内訳としては公共工事費や農林水産費、経済協力、エネルギー関連に雇用・労働保険関係などがありますが、これもそんなに簡単にバッサリ削減できるものはありません。

 民主党が1割ぐらい簡単に削減できるといってできなかったように、なんとなく多いから削減できるだろうという議論では、小泉さんの時に社会保障関係費の伸びが抑制された二の舞になりかねないのが現実であり、高齢化による社会保障関係費の増加が避けられない現状においては、増税による財源確保を進めるしかないと思います。



 次に読んだ「道路整備事業の大罪」は、ストロー効果による人口減少と経済的流出や、道路整備が進んだことによる心理的な距離感の短縮により、地域を離れやすくなること、車による移動が中心の社会になるなかで、市街地が拡散し人のふれあいが減少することと、近隣での買い物が不自由になることなど、道路整備後に生じた課題が事例として取り上げられています。道路整備によらないまちづくりを考え、まちづくりを見直す必要性が書かれており、デメリットの克服についての考え方をしっかり持っておく必要を感じました。

 朝日新聞の記者の方々との懇談においても、道路が整備されて大都市からの日帰り圏になるなかでの観光地・商店街の衰退の話や、新幹線整備による並行在来線の町々の衰退、延長による終点から通過点への変化での人の流れの変わりようなどのことも聴いています。

 印象に残った話として、馬路村での聞き取りが書かれています。「馬路村には道路整備はいらない、と村役場は言っている。道路を2車線にしたり、トンネルをつくったりしたら、馬路村が日帰り圏になってしまい、温泉旅館などは商売が成り立たなくなるからだ。そもそも馬路村は田舎らしさを売りにしている。その田舎らしさが道路整備で失われてしまう。わざわざ苦労してきてもらえるからこそ、馬路村の魅力が出る。」

 行動圏の拡大による生活の利便性の追求と、地域内経済循環による地域経済の維持は相容れないものとして考えていく必要がありそうです。

(その2へ続く)