正確には、「魚の目に水見えず人の目に空見えず」ということわざですが、口語体でより多く使われているようです。
このことわざにもあるように、なくてはならない大切なことだけど、普段、気にも留めていないことは多くあります。
健康もその一つで、普段は意識することは少ないと思います。そのため、健康のありがたさに気付き、健康を強く意識するようになるのは、病気がきっかけとなる人もありますが、健康診断(人間ドッグ)も健康を意識し見直すための良いきっかけになっていると思います。
きょうは、人間ドッグで要検診とされた泌尿器科を受診しましたが、幸いなことに、ドッグの際に検出された尿潜血はなく、エコー検査でも異常は認められないとのことでした。尿路結石などの心配もないようです。
これまでに尿潜血を指摘されたことはなく、少し不安を感じていましたが、これで安心できます。
でも、もうひとつ、コレステロール値も高いと指摘されているので、食べ物と運動を考えて健康には十分気を使っていきたいと思います。
ここで話は変わりますが、人の命も明日のことは誰もわかりません。人は明日も生きていることを当然のこととして前提にしています。かけがえのない身近な人が明日も身近にいることを疑いません。
次に紹介する「最後だとわかっていたなら」という詩は、作者が我が子を亡くした時に書かれた詩です。少し重い詩ですが、かけがえのない大切な存在であるはずなのに、空気のように当たり前に感じてしまっている家族や近くにいる人の大切さを意識し直すために書きこみます。
「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜し んだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと
だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を 持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)より