2011/11/29
日本企業の六重苦
日経ビジネスの最新号が発行され、特集として「数字が語る ニッポンの六重苦 日・米・韓企業財務徹底分析」が掲載されています。特集の見出しのみ引用します。
一般的には円高の為替差損が強く言われていますが、より問題なのは①と③だと思います。
韓国の法人税が低いだけではありません。フィンランドやスウェーデン、デンマークなどの福祉国家では、高い税負担を国民に課していますが、企業に対しては、福祉の源泉となる国富は企業活動から生み出され、企業の活力を政府は減ずるべきでないという政策意図から実効税率は20%台となっています。EU統合後は、EU全体での法人税などの企業負担を引き下げ、国際競争力を発揮していますが、日本企業はハンディキャップを負っています。
④は、新興国での弱さとしていますが、家電関連ではEUにおいても韓国製品のシェアは30%を超え、自動車においても現代がシェアを伸ばしています。以前日立のテレビ自社生産撤退に思うに書きましたが、フランクフルトをはじめ海外では、韓国メーカーの広告が占めており、市場のデータをした重視の戦略を進めています。日本企業のステータスはかなり落ち込んでいます。
また、投資効率と雇用の硬直化については、失われた20年のもたらした問題もあると思いますが、日本が企業にとって、コスト高の構造が強く、国際競争に極めて不利になっていることを認識しないといけないと思います。
これからやってくる超高齢化社会における福祉の源泉を生み出す企業活動において、活力を生み出すための政策が必要です。
2011/11/28
スピーカーの修理
最近なんだか音がおかしいなと思ってスピーカーのサランネットを外したら、スピーカーのエッジが経年劣化で破れていました。考えてみれば購入してから20年以上経過しています。
取り扱い代理店であるティアック修理センターに電話すると、ユニットを外して張り替え修理が必要ということでした。
1本が140kgもあるスピーカーなので、スピーカーユニットのみを修理に出します。フロントからはスピーカーが外せない構造になっていて、かつ、バックロードホーン形式なので、リア側から丁寧に分解していきます。
分解をはじめて1時間で、要約スピーカーの本体に到達しました。2ウェイ1スピーカーなので、スピーカーユニットは大きなものです。
スピーカーユニットを外して張り替え修理に出しました。(大きさ比較に新書を前に置きました。)
12月議会に向けて
きょうの午前は、文教厚生委員会の「地域福祉計画」の審査に委員外議員として参加し、委員会審査を傍聴させていただきましたが、最後に3項目の質疑もさせていただきました。
1点目は、計画のなかで具体的な取り組みとしてあげられている「社会参加を目指すノーマライゼーションなどの推進」について、バリアフリー化などの整備には財政の制約もあり時間がかかるが、人による支え合いの観点から介助のあり方など、出来ることについての検討と計画への反映をどのように考えているか。
2点目は、優先的な取り組みとしてあげられている「地域ふれあいサロン活動の充実」について、延べ参加人数は15,095人だが、実参加者数は1,人程度であり、このことをどのように評価しているのか、また、人と人のつながりが難しく、参加者の固定化による難しさもあるのではないかと思うが、現状をどのように把握し、充実を図ろうとしているのか。
3点目は、「災害時の対応」について、農山漁村集落では、日中の災害に対して非常に脆弱になっており、自主防災などを組織するとしても、老老援助で行わなければならない集落が増えていくのではないかと危惧しているが、市の計画として現状把握と、その対策について考え方を示すべきではないか。
京丹後市のなかで、地域によりそれぞれの課題があり、一律に対応したのでは効果が上がらない部分をしっかり認識して計画を実行に移してほしいという思いで質疑をしました。
午後は、スピーカーの修理をした後、12月議会に向けて、一般質問の準備と議案のチェックをしましたが、一般質問については思いが多くあり、何を切り捨てるかを考えねばなりません。
2011/11/27
一人っ子政策を緩和しても少子化は止まらない
読売オンラインにこんな記事がありました。
以下引用・・・・・・
一人っ子同士夫婦の第2子出産、中国全土で容認
読売新聞 11月27日(日)18時36分配信
【北京=大木聖馬】27日付の中国紙「北京晨報」によると、河南省人民代表大会(議会)常務委員会は25日、人口計画に関する条例を改正し、夫婦が共に一人っ子の場合や戸籍上、共に農民の場合、第2子の出産を認めることを決定した。
これで中国全土で一人っ子同士の夫婦の第2子出産が認められたことになる。
これで中国全土で一人っ子同士の夫婦の第2子出産が認められたことになる。
・・・・・引用終わり
中国の「一人っ子政策」には特異な背景があります。
中国では、1958年から1961年の農工政策「大躍進運動」が実施されたことによる強制的な集団農場化と過剰な取り立てに、非効率な農産物輸送が重なって1600万人から2000万人の非正常死が発生し、死亡率の上昇とともに出生率の低下という非常事態を招いています。
人口変化の経験則に、死亡率が著しく上昇した直後に出生利率がそれを補うように上昇するというのがありますが、「大躍進運動」後の中国では、出生率が6.0を超えて増えていきました。70年代に入って急速低下するのですが、中国政府は、当時、世界レベルでの開発途上国の人口爆発が問題視されていることに危機感を高め、1982年に「一人っ子政策」に踏み切っています。
しかし、「一人っ子政策」によって出生率が低下したというよりも、低下を加速させたとの見方が強く、これを裏付ける事実として、将来の高齢化に配慮して農村における第2子出産規定は数年で緩和されていますが、出生率の低下に歯止めをかけることが出来なかったことが挙げられます。
少子化は中国だけでなくアジア全体で進んでおり、韓国、台湾の出生率は1,1、シンガポールは1,2、香港は1,0となっています。
中国の「一人っ子政策」には特異な背景があります。
中国では、1958年から1961年の農工政策「大躍進運動」が実施されたことによる強制的な集団農場化と過剰な取り立てに、非効率な農産物輸送が重なって1600万人から2000万人の非正常死が発生し、死亡率の上昇とともに出生率の低下という非常事態を招いています。
人口変化の経験則に、死亡率が著しく上昇した直後に出生利率がそれを補うように上昇するというのがありますが、「大躍進運動」後の中国では、出生率が6.0を超えて増えていきました。70年代に入って急速低下するのですが、中国政府は、当時、世界レベルでの開発途上国の人口爆発が問題視されていることに危機感を高め、1982年に「一人っ子政策」に踏み切っています。
しかし、「一人っ子政策」によって出生率が低下したというよりも、低下を加速させたとの見方が強く、これを裏付ける事実として、将来の高齢化に配慮して農村における第2子出産規定は数年で緩和されていますが、出生率の低下に歯止めをかけることが出来なかったことが挙げられます。
少子化は中国だけでなくアジア全体で進んでおり、韓国、台湾の出生率は1,1、シンガポールは1,2、香港は1,0となっています。
老いてゆくアジア・消費するアジア
26日は、妻の希望もあり、夫婦で入院中の娘を見舞いました。日帰りでしたが、時間がゆっくり取れるように早朝に自宅を出て、福知山から電車に乗り、娘が入院している東京都大田区の東京労災病院まで出かけました。
お腹の張りがあり、きょうから点滴が変わったとのことでしたが、娘は元気で、夫婦仲良くやっているようでした。あとは、無事に元気な赤ちゃんが生まれることを願うだけです。
行き帰りの電車では夫婦して本を読んでいました。ここでは、私の読んだ本を紹介します。
「老いてゆくアジア」は、アジアでの高齢化が日本と同等、あるいは国によってはそれ以上のスピードで高齢化が進んでいることが書かれています。
アジアでの人口転換は、「多産多死」→「多産少死(人口爆発)」→「少産少死」→「少子化」の流れで家族形態の変化と都市への人口集中をともないながら進んでいます。日本では1995年から生産年齢人口が減少に転じていますが、NIESと中国、タイは2010~15年その他のASEAN諸国は2025~40年に減少に転じます。
同時に、アジアでは出生率の低下とともに平均寿命が短期間で伸びており、高齢人口は1950年の4729万人から、1980年には9615万人、2005年には2億1437万人まで増加しています。そして、今後の予測では、2025年には4億1207万人、2050年には7億5005万人まで増加すると予測され、高齢人口爆発の時代に入っています。
日本を除くアジアの国々は、人口ボーナス(一国の人口構成で、子どもと老人が少なく、生産年齢人口が多い状態。豊富な労働力で高度の経済成長が可能。子どもと老人にお金がかからないので貯蓄率も上昇し資金も増える。多産多死社会から少産少子社会へ変わる過程で現れる。)のなかにあり、かつての日本がそうであったように高い国内貯蓄率とともに成長を続けています。
一方、日本は人口オーナス(高齢人口が急増する一方、生産年齢人口が減少し、少子化で生産年齢人口の補充はできず、財政、経済成長の重荷となった状態。)に入りかけています。家計の貯蓄率は1990年の16%から2010年には2%へと減少しており、まもなく貯蓄率はマイナスとなり、貯蓄の取り崩しが始まります。
すでに、日本には国民皆医療制度や年金、介護などの社会保障制度が整備されていますが、アジアの国々は遅れており、これからの高齢化社会を見据えて福祉社会への転換が進められています。なかでも年金制度の確立は急がれていて、アジアの高齢者を誰が養うのかが大きな課題として指摘されています。
著者も書いていますが、繁栄は長続きしないのかもしれません。
「消費するアジア」も著者は同じなので、「老いてゆくアジア」と同じ人口動態の考えも示されていますが、激しい国際競争下にあって、日本のような地方への財源の還元ができていないため、大都市の富裕層と地方・農村との地域間格差が日本に比べて大きいことが指摘されています。
また、昨年、中国は1人当たりGDPでは約4500ドルと、まだ中所得国に入ったところですが、日本を抜きGDP(国内総生産)世界第2位の経済大国となりました。しかし、中国の先進国入りは難しいのではないかということが「中所得国のワナ」として指摘されています。
この「中所得国のワナ」は、発展途上国から抜け出した中南米や東アジアの国々が中所得国まで来たところで貧富差拡大や汚職、都市のスラム化など難題に直面し、長期停滞に陥る傾向がみられることから、世界銀行が2007年にまとめた報告「東アジアのルネサンス」で登場しています。
「中所得国のワナ」の先行例はチリやアルゼンチンなどの中南米諸国で、アジアではマレーシア、タイ、インドネシアで似た現象がみられるとして、なぜ体が政治不安に陥ったかが記述されています。そして中国も同じ失敗を繰り返すのではないかと懸念されています。
1人当たりGDPが1万ドルを超えた日本、韓国、台湾、シンガポールは、数少ない例外です。
議会改革への見えない壁
法政大学において「ひとりから始める議会改革」をテーマに市民と議員の条例づくり交流会議が開催され、冒頭「基調提起」として法政大学教授廣瀬克哉教授(自治体議会改革フォーラム呼びかけ人代表)より講演があり、議会改革には見えない壁が存在する」ことが課題提起されています。
「議会改革には見えない壁が存在する」
○当選回数の壁
当選1回であれ数回であれ議員としては対等の権利を有しますが、現実には一年生議員の発言力は軽視される傾向が窺える。
○制度と先例の壁
一般には常識と思われることも議会内では通用しない事がある。議会内では制度と先例で制約をかけられることがある。
○会派の壁
会派の人数の多寡で結論は決まっているのだから議員間で議論する必要性が認識されていない。
○(与党)意識の壁
首長議案は通す、という姿勢が二元代表制の緊張感を阻害し「議会改革」に理解が得られない。
○(野党)意識の壁
野党として首長提案を追求したり否定はするが、対案の提起は弱い。議会全体を動かそうとする改革に対しては懐疑的。
○チェック役専業意識の壁
政策づくりは役所の仕事という意識があれば、議会として一丸となって政策をつくろうとの動きになり得ない。
○自分は市民とつながっている、という認識の壁
自分は議員として個人活動はしっかりやっていて、市民(支持者)とつながっているのだから、あらためて議会報告会を行う意義を理解しない議員が存在。
○先進議会意識の壁
我々の議会は先進的にやってきた。最近の風潮として広がりを見せる改革手法に対しては懐疑的。
○危機意識の欠如の壁
従来の議会運営で何が悪い?と考える議員の存在。市民感覚とのずれ。
京丹後市議会では、これまで改革に取り組んできました。改革を進めてきた経験から感じることは、廣瀬教授が挙げておられる以外にも多くの壁があること、また、改革を進めてていくことにより新たな壁が見えてくるのが現状であり、まだまだ、改革を続けていかねばならないとの思いです。
また、議会改革は目的ではありません。改革することを目的としてしまうと、そのことが大きな壁をつくることになると思います。
議員は、議会改革を進めようと思うなら、同時に幅広く政策に精通していることが必要であり、議会改革をツールとして活用して、そのアウトカムとして市民の目に見える形で、行政の政策あるいは施策を改善することが必要です。
もちろん、全ての政策等を変えていく必要はありませんが、もし、全く何も変わらないとしたら、市民から見た議会改革とは議員の自己満足としか映らないと思います。
2011/11/25
臨時議会他
きょうは忙しい1日でした。
朝9時から10時までの予定で議会運営委員会があり、12月議会の議案の取り扱いについて協議しましたが、議案、陳情などの案件も多く時間が足らずに一旦休憩にしました。
10時からは臨時議会でした。まず、地域福祉計画が提案されましたが、ボランティアやサロン活動などについて、活動者の固定化や担い手不足、地域間に活動内容や参加者の差が見られることが課題として挙げられていました。
私は、地域間に格差があるという指摘を踏まえ、市として地域の活動レベルの基準を設定し、水準を上げていくことを働きかけていくことが必要であり、地域間の差を縮小するためには「小地域ネットワークの組織化」を小学校区単位、あるいは自治会単位などで進めていくことが考慮される必要があったのではないかと指摘しました。
昼の議会休憩時間に、議会運営委員会を再開し、日程等続きを協議して、再度休憩しています。
次に、健康増進計画では、高齢化とそれにともなう医療費の増加、介護費用の増加を考えると、健康寿命を延ばすことは行政にとって重要であるとの思いを強く持つなかで、事前に質疑の内容は担当課に通告しています。(でも答弁を聞いてその内容にがっかりしました。今後は通告はやめます。)
まず、百寿率について、沖縄県が陥った状況を踏まえて質疑をしました。百歳以上の方は全国で増えており、47,000人を超えていることから、百歳以上の方が多いということは全国で当然のこととなる、100歳の方が多いというだけでなく元気な自立した方が多いということが言えるのか、また、85歳以上の活動性生存率(元気に自立している人の割合)は高いのか、百寿率については京丹後市は高齢化率が高いなかで統計上のバイアスがないかなど、質疑をしました。
ちなみに、広島県の百寿率は、神石高原町の211・94人がトップ。安芸太田町172・30人、安芸高田市155・14人、大崎上島町153・41人、庄原市131・56人―と続いています。岡山県でも(町村除く)笠岡市94・1人、井原市87・7人―と続きます。
次に、12歳の虫歯が平均2.16本と多いことを取り上げました。子供の口腔崩壊は問題化しており、統計上、虫歯が多い子どもは学力が低く、経済的困窮家庭などの傾向も指摘され、ネグレクトの疑いもあるがあそれらについて問題視して対応されているのかについて質疑をしています。
ほかにも数点に渡って質疑をしました。これらについては別の機会に取り上げていきたいと思っています。
臨時議会終了後、議会運営委員会が再開され、議長からの諮問である、来期の議員報酬について、各会派での集約された意見が報告されました。
丹政会は、合併特例の交付税減額にともなう歳入縮小や、市民への負担増、職員の人件費についても削減が必要であることから、一割から4万円減額を提案しました。
以下、政和会は6~8万円減額、共産党は6万円減額、公明党は1割減額、同志会は6万円減額、清風クラブは4万円減額の意見でした。又、委員長については、別途増額を考えることで持ち帰りとなりました。
議会運営委員会終了後、産業建設委員会が開催され、市長との質疑をおこないました。一般会計からの繰り入れの制限も下水道料金引き上げも、最終的には、市長の政治的判断ということでした。
朝9時から10時までの予定で議会運営委員会があり、12月議会の議案の取り扱いについて協議しましたが、議案、陳情などの案件も多く時間が足らずに一旦休憩にしました。
10時からは臨時議会でした。まず、地域福祉計画が提案されましたが、ボランティアやサロン活動などについて、活動者の固定化や担い手不足、地域間に活動内容や参加者の差が見られることが課題として挙げられていました。
私は、地域間に格差があるという指摘を踏まえ、市として地域の活動レベルの基準を設定し、水準を上げていくことを働きかけていくことが必要であり、地域間の差を縮小するためには「小地域ネットワークの組織化」を小学校区単位、あるいは自治会単位などで進めていくことが考慮される必要があったのではないかと指摘しました。
昼の議会休憩時間に、議会運営委員会を再開し、日程等続きを協議して、再度休憩しています。
次に、健康増進計画では、高齢化とそれにともなう医療費の増加、介護費用の増加を考えると、健康寿命を延ばすことは行政にとって重要であるとの思いを強く持つなかで、事前に質疑の内容は担当課に通告しています。(でも答弁を聞いてその内容にがっかりしました。今後は通告はやめます。)
まず、百寿率について、沖縄県が陥った状況を踏まえて質疑をしました。百歳以上の方は全国で増えており、47,000人を超えていることから、百歳以上の方が多いということは全国で当然のこととなる、100歳の方が多いというだけでなく元気な自立した方が多いということが言えるのか、また、85歳以上の活動性生存率(元気に自立している人の割合)は高いのか、百寿率については京丹後市は高齢化率が高いなかで統計上のバイアスがないかなど、質疑をしました。
ちなみに、広島県の百寿率は、神石高原町の211・94人がトップ。安芸太田町172・30人、安芸高田市155・14人、大崎上島町153・41人、庄原市131・56人―と続いています。岡山県でも(町村除く)笠岡市94・1人、井原市87・7人―と続きます。
次に、12歳の虫歯が平均2.16本と多いことを取り上げました。子供の口腔崩壊は問題化しており、統計上、虫歯が多い子どもは学力が低く、経済的困窮家庭などの傾向も指摘され、ネグレクトの疑いもあるがあそれらについて問題視して対応されているのかについて質疑をしています。
ほかにも数点に渡って質疑をしました。これらについては別の機会に取り上げていきたいと思っています。
臨時議会終了後、議会運営委員会が再開され、議長からの諮問である、来期の議員報酬について、各会派での集約された意見が報告されました。
丹政会は、合併特例の交付税減額にともなう歳入縮小や、市民への負担増、職員の人件費についても削減が必要であることから、一割から4万円減額を提案しました。
以下、政和会は6~8万円減額、共産党は6万円減額、公明党は1割減額、同志会は6万円減額、清風クラブは4万円減額の意見でした。又、委員長については、別途増額を考えることで持ち帰りとなりました。
議会運営委員会終了後、産業建設委員会が開催され、市長との質疑をおこないました。一般会計からの繰り入れの制限も下水道料金引き上げも、最終的には、市長の政治的判断ということでした。
2011/11/24
地域福祉計画、健康増進計画他(明日は臨時議会)
明日は臨時議会と12月定例議会前の議会運営委員会、それに産業建設委員会と盛りだくさんです。
臨時議会では、地域福祉計画と障害者福祉計画、健康増進計画の3計画が提案され、質疑後に文教厚生委員会に付託されますが、私は、このうち地域福祉計画と健康増進計画について質疑を行います。
健康増進計画に関する質疑については、回答がいただきたいので担当課に通告がしてありますが、百寿率などについて細かく質疑していくつもりでいます。
少子化を加速させたのは自民党(野田聖子議員)
少し古いですが、自民党の野田聖子議員のインタビューが日経ビジネスに載っていました。ここでおっしゃられていることは至極ごもっともですが、かつて日本は、1974年にはっきりと少子化を目指す政策を打ち出していました。
その後、政府は合計特殊出生率が下がり続けても何の対応もせず、1989年に合計特殊出生率が1.57まで低下して、少子化が社会問題となってからようやく動き出しました。育児休業法が制定されたのも1991年になってからでした。
フランスの人口学・人類学者のエマニュエル・トッド - Wikipedia 氏は、日本のような男性優位で権威主義的な家族制度を持つ国で少子化が進行していることを指摘しています。 つまり、社会が子育てを母親の役割と決められてしまうため、共働きしながら出産や子育てをするのは難しくなります。(旧ソ連圏やドイツ語圏、儒教圏なども同じ分類になります。)
一方、権威主義的な家族制度がない地域では、以前から核家族化が進んでいます。共働きも多く、夫婦や地域が子育てを協力し合う風土があります。欧州の北海沿岸にそうした地域が多く、これがフランスや北欧で出生率が高い要因とする分析もあります。
少子化に対して、自民党はこれまでの政策の反省と転換が必要だと思います。そして、同時に、民主党も政策の転換が必要だと思います。
以下インタビューの一部を引用します。
―― 2006年から少し反転したとはいうものの、自民党政権時代、長い間少子化が進み続けたのはなぜでしょうか?
野田 少子化って、今も日本の中心的な課題ではないですよね。言葉は頻繁に出るけれど、少子化担当大臣が単独で権限を持っているかというとそうではない。国会で、子ども手当のいやらしさについての議論はあっても、少子化全般への議論をしているわけではない。経済界でも、取り組んでいるのは大企業の一部です。
肝心なのは企業の9割を占める中小・零細企業ですが、ここでまったくやっていない。大企業だって経団連・経済同友会で女性の幹部はゼロですから、口では色々言うけれど、心ここにあらずでは、というのが私の実感です。10年前に比べれば、男の人も少子化を口にするようになったという程度です。
自民党は本気の少子化対策には邪魔な政党だった
―― この問題については、世代間の価値観の差も激しいですね。
私なんか、上の世代の価値観を押し付けられる政党にいるので、死にそうですよ(笑)。
この国はずっと、自分の子どもは自分の家で育てろという価値観でした。何より、子どもには票がないけれど、高齢者には票がある。社会保障費で、これまで高齢者に使ってきたお金と子どもに使ってきたお金を見てください。あまりに違う。少子化対策なんてしていないに等しい。パイの大きさの差で言うと、児童向けはほとんどおまけレベルですから。
この国は年寄り天国です。でもそういう認識が国民にもなく、子どもにほとんどお金を使っていないことは、広く知られてこなかった。
子ども手当は、政権交代の導火線の1つでした。過去10年、自民党は若年対策をしていなかったし、子どもを産みたい人に対するエールもなかった。政権交代は仕方がない。悔しいけれど私も、頑張っても抜本的なことは出来ませんでした。
自民党が与党のままだったら少子化対策は破綻していたから、民主党のお手並み拝見です。本気で少子化対策をするには自民党は本当に邪魔な政党でした(笑)。自民党の根本思想は、「(少子化は)女性のせいだ」というものです。
経済との関連性などが分析できていなかった上、少子化でもしばらく経済成長率が下がらず、ずっと右肩上がりで来た。それを経験してきた自民党は「少子化が経済を傷めている」という認識を持たずにきた。だから、単なる女のわがままだと考えたのです。
人の数だけなら、移民を入れればいいですからね。移民を入れた国の内情がどうかはなかなか表立っては議論しづらい。
子どもがいなくても経済は大丈夫という意識の中で与党を経験し、少子化が国を破綻に導く要因の1つだという発想に、なかなか切り替えられなかった。ただ、日本の社会保障の負担は若い人依存なので、それが維持できないのが恐怖になってきました。
―― 「少子化は女性のせい」という意識は、日本の今の意思決定層の年代に蔓延していませんか。
政治だけでなく、経済界すべての業界に及んでいます。でも長寿国家ですから、その人たちがいなくなるのを待っていられません。待っていたら、子どもがますますいなくなる。だから、今どうにか頑張らなくてはいけない。
まずは民主党に、夫婦別姓が実現出来るかどうかです。子ども手当は今いる子にあげるお金ですが、少子化は子どもを増やす必要がある。子ども手当では子どもは増えないでしょう。高学歴・高所得の女性から生まれにくいのが日本の特徴で、そこが一番の問題点なのに改善されない。
フランスは子ども手当の前に、結婚制度を変えた
フランスでは子ども手当をあげたら子どもが増えた、と鳩山総理は言っているけれど、フランスではその前に結婚制度も変えた。子どもを作るのに結婚ありきではなくなり、恋人でも同棲でも嫡出子としての権利を与えるので圧倒的に増えた。
フランスで生まれている子どもの4割が法律上、シングルマザーです。日本は1~2%。この差が大きいことが分かっていない。
少子化対策は、「ありとあらゆること」をしなければだめだと思っています。夫婦別姓はその「あ」程度です。自民党政権では、それすらだめでしたから。
中絶の厳格化と、ピルの自由化を同時に進めよ
一方、1年間の中絶件数は公称で20数万人と言われています。保険適用外なので実際には2~3倍近い堕胎があるのではないかと、NPO(非営利団体)法人などが言っています。変な話、これを禁止したら、産まざるを得ない人が出てくる。
もちろんこれは相当極端な話で、現実には難しいです。私が言いたいのは、それぐらい「えぐい」テーマにしないとだめだと言う事です。今は、まだ議論がきれいごとで終わっています。
でも即効性を求めるなら、20万人のうちもし半分が中絶できなければ、10万人が生まれてきますよね? そういう極端な議論もひっくるめた、本気の、包括的な議論が必要だと言いたいのです。
でもそういう真正面の議論は出来ない。自民党はずるくて、「中絶は女性の権利だ」と言って逃げていた。でも本来、女性の権利はちゃんと避妊できることで、中絶できることではない。問題をすり替えている。
中絶を厳格化するのと引き換えにピルの自由化をしたら、適正に子どもが生まれてくるでしょう。でもなぜかしていない。ピルが認可されるまでに数十年かかりました。バイアグラは1年ぐらいで認可されたのに(笑)。
少子化は、今ないものを作ること。保育園を作るなど「今いる人」向けの対策を施しても増えません。
2011/11/23
寝たきり老人のいないヨーロッパ
豊かになった今日の日本において、最も疎外されているのは老人であり、(病)弱者ではないでしょうか。
昨年、ドイツとフィンランドで研修した際、寝たきり老人という言葉が通じず、はじめてヨーロッパに「寝たきり老人」がいないことを知りました。
日本は長寿世界一です。しかし、世界で一番長生きできる国は、実は、世界で一番苦痛な老後を送らなければならない国となっているだけでなく、ベッドの上で横たわったまま一番長く生涯の日々を送らねばならない国となっています。
日本は長寿社会ではなく、単に長命社会でしかないと、今世界で言われていますが、昔と比べて、物も豊富、金も豊富になったのに、まずしかった昔ほど敬われることもなく、粗末に扱われてしまいます。
戦後の貧困の中で夢見られた人間の幸せとは、物が豊富で、毎日うまいものを食べ、いい服を着て、いい家に住むということであったように思います。
だから、お金があれば夢が実現できると、一生懸命に働き、稼ぎに稼いできたが、年をとったら社会的な居場所がない、寝たきりになったというのでは、とても幸福とは言えません。
450年ほど昔、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが本国のイエズス会に書き送った手紙で、当時の日本を垣間見ることができます。
「日本人は今まで発見された民族、国民の中で、最も親しみやすく、善良で悪意がなく、財産よりも名誉を大切にし、礼儀正しく折り目正しい人々である。
大部分の人々は、読み書きができ、知識欲旺盛で、酒飲みの節度は緩やかで、賭博をせず、盗みを憎み、盗みについての節操が強い。
日本人は貧しい食事をしており、その内容は少量の米と麦を食べ、野菜はたくさん食べるが、家畜の肉は食べず、時々魚を食べ、数種類の少しの果物を食べるが、不思議なほど健康で、老人がたくさんいる。」
ザビエルは、日本人の生活を見ていると、たとえ満足でないわずかな食事でも、生きていけるものだということが良くわかり、他の国では生活用品が豊か過ぎて、人々は心身の害を受けているのだ、と指摘しており、美食すれば心身の害が出てくるのに、粗食すれば健康長寿で社会も平和であることに驚きを示しています。
教わった歴史観では、貧しく不幸であったと考えられる時代が、実は、老若男女を問わず、家族の一員としてかけがいのない人としての居場所が在り、今は何でも金がなければどうにもならないと勘違いしているが、むしろ金で買えない多くのものがあることを教えてくれるように思います。
しかし、昔に戻れと言っているのではありません。
理念上で、今ある現実を全て否定することは最も簡単なことですが、実際に現在を生きている人々が適応できなければ意味のないことであり、不安と不満を打ち消すことはできないと思います。
今の時代のありようの中で、人間の幸福・安心とは何かを真剣に考え直すことが求められていると思います。
日本は低福祉の国のままで良いのでしょうか。
昨年、ドイツとフィンランドで研修した際、寝たきり老人という言葉が通じず、はじめてヨーロッパに「寝たきり老人」がいないことを知りました。
日本は長寿世界一です。しかし、世界で一番長生きできる国は、実は、世界で一番苦痛な老後を送らなければならない国となっているだけでなく、ベッドの上で横たわったまま一番長く生涯の日々を送らねばならない国となっています。
日本は長寿社会ではなく、単に長命社会でしかないと、今世界で言われていますが、昔と比べて、物も豊富、金も豊富になったのに、まずしかった昔ほど敬われることもなく、粗末に扱われてしまいます。
戦後の貧困の中で夢見られた人間の幸せとは、物が豊富で、毎日うまいものを食べ、いい服を着て、いい家に住むということであったように思います。
だから、お金があれば夢が実現できると、一生懸命に働き、稼ぎに稼いできたが、年をとったら社会的な居場所がない、寝たきりになったというのでは、とても幸福とは言えません。
450年ほど昔、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが本国のイエズス会に書き送った手紙で、当時の日本を垣間見ることができます。
「日本人は今まで発見された民族、国民の中で、最も親しみやすく、善良で悪意がなく、財産よりも名誉を大切にし、礼儀正しく折り目正しい人々である。
大部分の人々は、読み書きができ、知識欲旺盛で、酒飲みの節度は緩やかで、賭博をせず、盗みを憎み、盗みについての節操が強い。
日本人は貧しい食事をしており、その内容は少量の米と麦を食べ、野菜はたくさん食べるが、家畜の肉は食べず、時々魚を食べ、数種類の少しの果物を食べるが、不思議なほど健康で、老人がたくさんいる。」
ザビエルは、日本人の生活を見ていると、たとえ満足でないわずかな食事でも、生きていけるものだということが良くわかり、他の国では生活用品が豊か過ぎて、人々は心身の害を受けているのだ、と指摘しており、美食すれば心身の害が出てくるのに、粗食すれば健康長寿で社会も平和であることに驚きを示しています。
教わった歴史観では、貧しく不幸であったと考えられる時代が、実は、老若男女を問わず、家族の一員としてかけがいのない人としての居場所が在り、今は何でも金がなければどうにもならないと勘違いしているが、むしろ金で買えない多くのものがあることを教えてくれるように思います。
しかし、昔に戻れと言っているのではありません。
理念上で、今ある現実を全て否定することは最も簡単なことですが、実際に現在を生きている人々が適応できなければ意味のないことであり、不安と不満を打ち消すことはできないと思います。
今の時代のありようの中で、人間の幸福・安心とは何かを真剣に考え直すことが求められていると思います。
日本は低福祉の国のままで良いのでしょうか。
ヤーコンの収穫
ヤーコンの収穫をしました。ヤーコンは南米原産のキク科の植物で、生で食べると甘くてしゃきしゃきした梨に近い食感です。そのため中国では「雪蓮果」の商品名で主に果実店で売られています。(我が家ではサラダや天ぷら、きんぴらなどにして食べます。)
ご存じない方も多いと思うので、ヤーコンに含まれる成分の比較表を掲載します。
*フラクトオリゴ糖とは
フラクトオリゴ糖は腸では吸収されず善玉菌ビフィズス菌の餌となり、ビフィズス菌を増加させ、 整腸作用を増進させます。便通を正常化(便秘解消)し、血液中の脂質(コレステロール)や血糖値、血圧等の改善を促進します。また、腸内細菌叢のバランスを整えることにより、老化やガンの予防にも効果を発揮するとされています。
*低カロリー
サツマイモ、馬鈴薯等のイモ類はデンブンを豊富に含んでいますが、ヤーコンはデンブンを殆ど 含んでいません。また、ヤーコンは低カロリーですが、フラクトオリゴ糖、食物繊維、ミネラルを豊富に含んでいます。
*ポリフェノール
抗酸化物質ポリフェノールには動脈硬化予防に効果があります。赤ワインと同等の豊富なポリフェノールが血液をきれいにし、動脈硬化を予防します。
*食物繊維
食物繊維が多いと云われるイモ類の中でもヤーコンは群を抜いています。
今年の収穫は、苗をつくるのが遅かったため、あまり多くはありませんが、一部、常吉村営百貨店さんが京都府農林水産フェスティバル(11月26~27日)で販売してくださいます。(数年前は「楽農くらがき」が収穫して販売していました。)
これぐらいの型の良いのが多いとよいのですが、 今年は3分の1程度でしょうか。
塊茎部は来年の苗をつくるために土をつけたまま籾殻をかぶせて来年の春まで保管します。ヤーコンは食用の部分から芽はでません。
農家民宿「素のまんま」
22日、アグリセンター大宮でグリーンツーリズム推進セミナー「農家民宿の魅力」講演会がありました。
最初に、綾部市の農家民宿「素のまんま」の取材テレビ番組のDVD が写され、その後、農家民宿を開かれている芝原きぬ枝さんが登壇されましたが、その語り口には人の良さが自然にあふれていました。芝原さんは、国の「農林漁家民宿おかあさん100選」に認定されています。
農家民宿「素のまんま」は、築100年の農家で、芝原さんが農業をしながら一人でされています。また、農家民宿をするために家の改装はされておらず、あるものを使っておられ、昔ながらの五右衛門風呂に薪を焚いておられます。
芝原さんは、「里山ねっと・あやべ」のスタッフ塩見さんに勧められたことがきっかけで、平成14年から農家民宿をはじめられていますが、そのことは、塩見さんの著書「半農半Xという生き方」にも紹介されています。
「『広い家に一人だから、都会の人が遊びに来てくれればいいのに』と何気なく漏らした芝原さんに、私は農家民宿を勧めた・・・芝原さんは自宅に『素のまんま』という屋号をつけた。『そのままのあなたでいいのです。本来の自分になれますように』という願いが込められている。いわば、『宿の女将』である芝原さんも一切飾らず、普段のままで旅人を出迎える。・・・・芝原さんとの話が楽しくてリピーターになる人も少なくない。・・・芝原さんは、広く古い家、五右衛門風呂、里山の自然環境、そして、社交的で人が好きな性格など『あるもの』を活用して都会から人を呼んでいる。」・・・詳しくは著書をお読みください。
「素のまんま」は、「里山ねっと・綾部」が窓口となっており、芝原さんは安心して受け入れができ、訪れる人も窓口があることで安心できると思いました。
また、芝原さんの話では、訪れる人の20~40代が80%、幼児や小学生が10%で最初から若い人がずっと多いということでしたが、ネットでなるほどと思った体験記があったので引用します。
引用・・・・・・
宿泊して農家民宿の魅力がどこにあるのか、はっきりと分かりました。それは、おかあさんの人柄に尽きます。到着時に満面の笑みで迎えていただき、子供への接し方も相手の目線で応対する姿勢をはっきりと感じられました。一泊という短い時間にも関わらず、子供が非常になついたことがおかあさんの人柄の良さを示す何よりの証明であると思います。
このおかあさんにまた会いたい応援したいと思い、毎年訪れているリピーターもいるようです。旅行業界では全体のパイが縮小する中、ホスピタリティ( おもてなし) を重視し如何にお客の満足度を上げリピーターを確保するかが求められていると言われています。このおかあさんは、これまでの自然と共に生活する厳しい実体験を通じて、人としてあらゆる物事に感謝するという慣習を身に付けられており、誰に教えられるわけでもなく自然とおもてなしの心を持たれています。
・・・・・引用終わり
きょうは、グリーンツーリズム推進セミナーでしたが、農家民宿を訪れる人は何を期待しているのか、なぜリピータとなるのかを見誤ってはいけない、「素のまんま」のように身に着いた本物であることが必要だと思いました。
開会の行政のあいさつでは、アンケートなどから団塊の世代が農業体験ニーズが高いということを話されました。それはそれで間違いではないことでもありますが、団塊の世代内の資産格差はひどく、余裕のある方は限られており、年金不安が強いことも知っていなければならないと思います。
最初に、綾部市の農家民宿「素のまんま」の取材テレビ番組のDVD が写され、その後、農家民宿を開かれている芝原きぬ枝さんが登壇されましたが、その語り口には人の良さが自然にあふれていました。芝原さんは、国の「農林漁家民宿おかあさん100選」に認定されています。
農家民宿「素のまんま」は、築100年の農家で、芝原さんが農業をしながら一人でされています。また、農家民宿をするために家の改装はされておらず、あるものを使っておられ、昔ながらの五右衛門風呂に薪を焚いておられます。
芝原さんは、「里山ねっと・あやべ」のスタッフ塩見さんに勧められたことがきっかけで、平成14年から農家民宿をはじめられていますが、そのことは、塩見さんの著書「半農半Xという生き方」にも紹介されています。
「『広い家に一人だから、都会の人が遊びに来てくれればいいのに』と何気なく漏らした芝原さんに、私は農家民宿を勧めた・・・芝原さんは自宅に『素のまんま』という屋号をつけた。『そのままのあなたでいいのです。本来の自分になれますように』という願いが込められている。いわば、『宿の女将』である芝原さんも一切飾らず、普段のままで旅人を出迎える。・・・・芝原さんとの話が楽しくてリピーターになる人も少なくない。・・・芝原さんは、広く古い家、五右衛門風呂、里山の自然環境、そして、社交的で人が好きな性格など『あるもの』を活用して都会から人を呼んでいる。」・・・詳しくは著書をお読みください。
「素のまんま」は、「里山ねっと・綾部」が窓口となっており、芝原さんは安心して受け入れができ、訪れる人も窓口があることで安心できると思いました。
また、芝原さんの話では、訪れる人の20~40代が80%、幼児や小学生が10%で最初から若い人がずっと多いということでしたが、ネットでなるほどと思った体験記があったので引用します。
引用・・・・・・
宿泊して農家民宿の魅力がどこにあるのか、はっきりと分かりました。それは、おかあさんの人柄に尽きます。到着時に満面の笑みで迎えていただき、子供への接し方も相手の目線で応対する姿勢をはっきりと感じられました。一泊という短い時間にも関わらず、子供が非常になついたことがおかあさんの人柄の良さを示す何よりの証明であると思います。
このおかあさんにまた会いたい応援したいと思い、毎年訪れているリピーターもいるようです。旅行業界では全体のパイが縮小する中、ホスピタリティ( おもてなし) を重視し如何にお客の満足度を上げリピーターを確保するかが求められていると言われています。このおかあさんは、これまでの自然と共に生活する厳しい実体験を通じて、人としてあらゆる物事に感謝するという慣習を身に付けられており、誰に教えられるわけでもなく自然とおもてなしの心を持たれています。
・・・・・引用終わり
きょうは、グリーンツーリズム推進セミナーでしたが、農家民宿を訪れる人は何を期待しているのか、なぜリピータとなるのかを見誤ってはいけない、「素のまんま」のように身に着いた本物であることが必要だと思いました。
開会の行政のあいさつでは、アンケートなどから団塊の世代が農業体験ニーズが高いということを話されました。それはそれで間違いではないことでもありますが、団塊の世代内の資産格差はひどく、余裕のある方は限られており、年金不安が強いことも知っていなければならないと思います。
2011/11/21
田舎暮らしはバラ色ではないけど・・・
「田舎で働き隊」のある方のtweetが目に留まりました。
以下引用・・・・・
「田舎暮らし」への過度な憧れは、二ヶ月経って、ちょうどいい具合に砕かれた。深い絆は素敵すぎるけど、それに伴う狭いコミュニティには言い知れないしんどさがある。いいことばかりじゃない、本当それに尽きる。だからと言って、嫌だ!とは思わない。それをひっくるめて、いいな!と思う瞬間がある。
・・・・・・引用終わり
田舎暮らしには、厳しい現実があります。畑で野菜をつくっても動物の被害にあったり、農作物は天候などの影響もうけて不安定でもあり、農業で簡単に食べていいけるという甘い考えでは通用しません。
また、人間関係が煩わしくもあり、田舎で働き隊の方が書かれているような狭いコミュニティ(世間が狭い)では、人づきあいが煩わしいとか嫌いだから田舎で暮らそうというような人では田舎に溶け込むことは難しいように思います。
でも、田舎も徐々に変わってきており、深い絆が失われはじめているのではないかと感じており、狭いコミュニティで絆が薄くなってしまったら、「それをひっくるめて、いいな!と思う瞬間が」なくなってしまうのではないかと危惧しています。
地域で絆が維持されていくようににしていかなければなりません。
開かれた議会と市民参加
きょうの京都新聞に福知山市議会の議会報告会と議会改革に関する記事が掲載されていました。
見出しには「開かれた議会」道険しとありますが、イベント参加は別として、まじめな話をしようという市民参加は、議会だけでなく行政にとっても難しい問題であり、そもそも市民参加や地域づくりの人材育成の土壌ができていない地域も多いと思っています。(そもそも、懇談・意見交換で人前で意見をはっきり表明することに多くの方は慣れておられないように思います。)
学校統廃合のような地域に直接かかわる課題があるなら、地域のなかで声を掛け合って参加者は増えますが、地域の喫緊の課題がないと(義理と厄介がなければ)参加しようという声は広がらないと思います。
市長が当初行っていた市政懇談会にしても地域で一定の動員がかかって人が集まっていましたし、現状は人のつながりと声掛けがないと人は集まらないので、地道に継続するなかで議会報告会の役割が市民に浸透していくしかないと思っています。
また、議会報告会で6町を回るようになって、住民性の違いなどもよくわかるようになり、ある程度の参加者が確保できているまちと、参加の働きかけが必要なまちの違いはデータ的に出すことができるのではないかと思っており、京丹後市では町によって取り組み方に工夫が必要ではないかと思っています。
市民参加の充実に時間がかかるとしても、開かれた市民が参加できる議会がこれからのあり方として間違いないと思います。
若者就労支援 「静岡方式」
ダイヤモンドオンラインhttp://diamond.jp/articles/-/14799の記事で読み、早速本は注文しました。素晴らしい取り組みであると思うので全文紹介します。
・・・以下引用
【働けない若者の約8割を働く若者に変えた!? 少年院の元教官が教えるウワサの「静岡方式」とは】 引きこもりたちの就労を無償で支援! 少年院の元教官が運営するNPO法人 (「静岡方式で行こう」 津富宏著、NPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡)
「居場所を持たない」「スタッフは皆、無償ボランティア」というユニークな「引きこもり」等の支援活動で注目されているNPO法人がある。それが、「青少年就労支援ネットワーク静岡」だ。先月末、同団体と理事長の津富宏氏は、『静岡方式で行こう!』(クリエイツかもがわ)を出版した。
同書の取材・執筆を担当したのは、長年「引きこもり」支援活動に関わり続けてきた、コピーライターの永冨奈津恵さん。そんな彼女が実践してきた支援ノウハウも、同書には詰まっている。
この「静岡方式」の最大の特色は、地域で引きこもる人たちを支援するサポーターが皆、それぞれの分野で地道に働いている「専門家」である一方で、そうした職業上の知識やスキルを活かして無償でボランティア貢献する「プロボノ」という新しい活動方法を取り入れていることだ。
なかでも、私が同書を読んで興味深いと思ったのは、同ネットワークが支援の拠点となる「場」を持たずに、直接、職場を紹介し、実際の職場で支援していること。そして、利用者に対して、実費以外の支援サービスを無償で提供している点だ。
その結果、同ネットワークが2002年に発足以来、9年間に支援した利用者300人余りのうち、その8割に「就労中」「就活中」「就学中」「就労体験中」のいずれかの“変化”が起きているというから驚きである。
支援者である「サポーター」のボランティア登録者は現在、50人余り。主な活動内容は年2回、半年間限定のセミナーを実施することだという。
受け入れる対象者は「40歳未満で、現在就職しておらず、すべてのプログラムに参加できる人」。条件は「必ず、本人が申し込み、“働きたい”という意思表示をすること」としているが、実際の参加者には、「引きこもり」「不登校」「身体障害」「知的障害」「発達障害」「精神的疾患」などの困難な問題を抱えている若者たちも多く含まれている。
しかも、セミナーの費用は、当事者も家族も、すべて無料。行政からの若干の補助と、「サポーター」のボランティアによって支えられているそうだ。
津富氏の前職は、意外なことに、少年院の教官。2002年に、現在の本職である静岡県立大学国際関係学部准教授に就任した。
津富氏が、こうした就労支援の仕組みをつくるにあたって、参考にしたのは、地域で非行少年の面倒を見る「保護司制度」。そんな少年院時代のノウハウを活かし、就労支援を一部の専門家のものとするのではなく、地域の人々がみんなで支えていく仕組みを作り上げたという。
・支援の拠点となる「場」を持たず、「無償」で支援を行う理由
ではなぜ、支援の拠点となる「場」を持たないのか。本書は、こう説明する。
≪「“場”に来なさい」という支援は、単純に失礼きわまりないし、本人にとっても“場”に来ること自体が、時間や費用の面でコストになるからだ≫
そして、こうも続ける。
≪そもそも、「場」を持ってしまうと、そこから送りだすための支援、いわゆる“出口支援”が必要になるのだ。「場」があるから、そこを運営するスタッフが必要となり、「場」への誘導支援(「場」に来てもらうための支援)が必要となり、「場」になじませるための努力が必要となる。対人関係に柔軟に対応するのが不得意な若者ほど、やっとの思いで獲得した居場所を離れるのは怖いから、そこに滞留してしまうことになる≫
確かに、ようやく外に出てきても、今度は安心できる居場所に引きこもってしまう人たちをこれまで何度も見てきた。何かしらの居場所を設置すれば、維持費や人件費などのコストもかかってきて、それらは当事者や家族の費用負担を強いることにもなる。
「就労支援でお金をとってはいけない」
同ネットワークは、最初のミーティングで、こう方針を決定。困窮した人たちが、サービスを受けられなくなることを避けた。
しかし、サポーター自身が失業することもあったという。それだけに、
≪支援者も被支援者も長期的に見れば、不安定雇用の時代を生き抜いていく同志である。就労支援は、市民相互の助け合いである≫
という理念が、何だか輝いて見えた。また、ときとして支援現場においては、見落とされたり、勘違いされたりしがちな部分のように感じられる。
とはいえ、会場費や交通費、講師の謝礼、備品代などの実費は、どうしても必要だ。そこで、同ネットワークでは、こうした実費分について、国や県、市などの自治体からの事業委託としてまかなっているという。
就労支援の実費費用は、本来、国や自治体が供給するべき社会インフラだという考え方には、筆者も共感できる。
元東京都副都知事で、明治大学公共政策大学院教授の青山やすし氏も、筆者が以前行った別のインタビューの中で、「日本の相互扶助的な機能を担うことができる基礎自治体は、本当はコミュニティー単位で作らないと、うまく機能しない」と話していた。
同書では、こう紹介している。
≪支援にかかるコストは、しばしば、サポーターの持ち出しとなる。若者1人を担当する経費として、各サポーターに1万円を支払っているが、私自身、メールを使えない若者が電話で支援を受けることを希望したので、月の電話代だけで2万円を超えたこともあった。行政には、今よりも手厚い支援を望みたい。若者1人が納税者となることによる利益を考えたら、この程度の費用は出せるに違いない≫
・サポーターは“素人”ばかりの新しい支援 「静岡方式」こそ、いまの時代に沿っている
さらに、大事にしている原則が、「すべての若者を受け入れる」と表明していることだ。「引きこもり」「障害」「非行」などの有無は関係ないという。
≪とにかく「できません」とは言わない。これは、既成の支援機関が拾いきれなかった若者から、決して逃げないという意思表明であった≫
と言いきってしまうところに、頭の下がる思いがする。
行政や社会が縛られている「縦割り」のシステムを乗り越えるために、「すべての若者を受け入れる」という切り口で、横へ横へと、既成の仕組みを取っ払うことを決めた。
そこで、特徴的なのが、伴走者である「サポーター」の態度。「若者と関わる姿勢は、自分で決めてよい」というものだ。
マニュアルはつくらない代わりに「就労支援にあたっての心得」を作成。同書の中に収録されているが、これも興味深い。
前にもふれたとおり、「サポーター」は、パソコン教室経営者、教員、行政書士、寺の住職夫婦、コンビニ経営者…と、多岐にわたる。たとえ、素人であっても、それぞれが皆、本業を別に持っている。大事なのは、「若者に影響を与え得る何かを持っていること」であり、この「素人性こそ重要」だと指摘する。
ボランティアであることの強みは、お金をもらっていないから、親に遠慮をしなくていい。親に対しても、ずけずけとモノを言う。一方、サポーターは地域で仕事もしているので、悪い評判が立つような適当な支援もしにくいことだろう。
本書には記されていないが、こうした本業と就労支援の「ダブルアイデンティティ」の考え方こそ、「プロボノ」という新しいボランティア活動だ。
1人の小さな力では、自分の職場の枠組みを横に越えることができない。でも、「ダブルアイデンティティ」によるネットワークが相互に重なり合えば、「縦割り」の壁を突き破って、重層的な支援を提供することが実現できるのだ。
そして、就労生活が安定しても、本人が支援を望む限り、「永遠支援」を提供し続けているというのも、現実に即している。
実際、引きこもっている人たちの半数以上は、就労経験のあった人たちであることが最近、様々な調査で明らかになってきた。「一旦、働いた後、社会から撤退するほどのダメージを受けた」人たちが、いかに多いかを物語っている。
そんな「永遠支援」は、地域づくりを目指しているというのも、大事なことである。
「ただちに職場につなぐ」理由の1つは、本人の好みこそ、重要だからだという。
「何ができそうかは、本人が経験を通じて学べばよいことで、その経験を積む支援をするのが私たち」という発想は、まさにその通りだと思う。
もう1つの理由は、本当に必要なスキルは、職場でしか身につけられないから。職場にしか、本物のスピード感や緊張感はなく、そこに行かないと、体感することができないのだ。
そのためにも、「間を置かない」ことである。
ボランティアであれば、そうした“変化”に純粋に感動することができるという。
≪一度、若者が変化する姿を見てしまうと、サポーターはやめられない。この感動に、はまってしまったのが、私たちである。お金をもらっていれば、就労支援は「仕事」になってしまうし、生活の手段になってしまうが、お金をもらわないので、就労支援は「趣味」であって、「生きがい」となる≫
会社のために、スキルを磨くことも大事だが、ボランティアの中で応用力を試されるのは楽しい。自分と社会とのつながりを実感できる瞬間でもある。
社会的課題の解決に向けての取り組みが注目される中で、これからの「引きこもり」状態にある人たちへの支援のあり方を考えると、こうした「静岡方式」のやり方は、いまの時代に沿っているように思える。
・・・以下引用
【働けない若者の約8割を働く若者に変えた!? 少年院の元教官が教えるウワサの「静岡方式」とは】 引きこもりたちの就労を無償で支援! 少年院の元教官が運営するNPO法人 (「静岡方式で行こう」 津富宏著、NPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡)
「居場所を持たない」「スタッフは皆、無償ボランティア」というユニークな「引きこもり」等の支援活動で注目されているNPO法人がある。それが、「青少年就労支援ネットワーク静岡」だ。先月末、同団体と理事長の津富宏氏は、『静岡方式で行こう!』(クリエイツかもがわ)を出版した。
同書の取材・執筆を担当したのは、長年「引きこもり」支援活動に関わり続けてきた、コピーライターの永冨奈津恵さん。そんな彼女が実践してきた支援ノウハウも、同書には詰まっている。
この「静岡方式」の最大の特色は、地域で引きこもる人たちを支援するサポーターが皆、それぞれの分野で地道に働いている「専門家」である一方で、そうした職業上の知識やスキルを活かして無償でボランティア貢献する「プロボノ」という新しい活動方法を取り入れていることだ。
なかでも、私が同書を読んで興味深いと思ったのは、同ネットワークが支援の拠点となる「場」を持たずに、直接、職場を紹介し、実際の職場で支援していること。そして、利用者に対して、実費以外の支援サービスを無償で提供している点だ。
その結果、同ネットワークが2002年に発足以来、9年間に支援した利用者300人余りのうち、その8割に「就労中」「就活中」「就学中」「就労体験中」のいずれかの“変化”が起きているというから驚きである。
支援者である「サポーター」のボランティア登録者は現在、50人余り。主な活動内容は年2回、半年間限定のセミナーを実施することだという。
受け入れる対象者は「40歳未満で、現在就職しておらず、すべてのプログラムに参加できる人」。条件は「必ず、本人が申し込み、“働きたい”という意思表示をすること」としているが、実際の参加者には、「引きこもり」「不登校」「身体障害」「知的障害」「発達障害」「精神的疾患」などの困難な問題を抱えている若者たちも多く含まれている。
しかも、セミナーの費用は、当事者も家族も、すべて無料。行政からの若干の補助と、「サポーター」のボランティアによって支えられているそうだ。
津富氏の前職は、意外なことに、少年院の教官。2002年に、現在の本職である静岡県立大学国際関係学部准教授に就任した。
津富氏が、こうした就労支援の仕組みをつくるにあたって、参考にしたのは、地域で非行少年の面倒を見る「保護司制度」。そんな少年院時代のノウハウを活かし、就労支援を一部の専門家のものとするのではなく、地域の人々がみんなで支えていく仕組みを作り上げたという。
・支援の拠点となる「場」を持たず、「無償」で支援を行う理由
ではなぜ、支援の拠点となる「場」を持たないのか。本書は、こう説明する。
≪「“場”に来なさい」という支援は、単純に失礼きわまりないし、本人にとっても“場”に来ること自体が、時間や費用の面でコストになるからだ≫
そして、こうも続ける。
≪そもそも、「場」を持ってしまうと、そこから送りだすための支援、いわゆる“出口支援”が必要になるのだ。「場」があるから、そこを運営するスタッフが必要となり、「場」への誘導支援(「場」に来てもらうための支援)が必要となり、「場」になじませるための努力が必要となる。対人関係に柔軟に対応するのが不得意な若者ほど、やっとの思いで獲得した居場所を離れるのは怖いから、そこに滞留してしまうことになる≫
確かに、ようやく外に出てきても、今度は安心できる居場所に引きこもってしまう人たちをこれまで何度も見てきた。何かしらの居場所を設置すれば、維持費や人件費などのコストもかかってきて、それらは当事者や家族の費用負担を強いることにもなる。
「就労支援でお金をとってはいけない」
同ネットワークは、最初のミーティングで、こう方針を決定。困窮した人たちが、サービスを受けられなくなることを避けた。
しかし、サポーター自身が失業することもあったという。それだけに、
≪支援者も被支援者も長期的に見れば、不安定雇用の時代を生き抜いていく同志である。就労支援は、市民相互の助け合いである≫
という理念が、何だか輝いて見えた。また、ときとして支援現場においては、見落とされたり、勘違いされたりしがちな部分のように感じられる。
とはいえ、会場費や交通費、講師の謝礼、備品代などの実費は、どうしても必要だ。そこで、同ネットワークでは、こうした実費分について、国や県、市などの自治体からの事業委託としてまかなっているという。
就労支援の実費費用は、本来、国や自治体が供給するべき社会インフラだという考え方には、筆者も共感できる。
元東京都副都知事で、明治大学公共政策大学院教授の青山やすし氏も、筆者が以前行った別のインタビューの中で、「日本の相互扶助的な機能を担うことができる基礎自治体は、本当はコミュニティー単位で作らないと、うまく機能しない」と話していた。
同書では、こう紹介している。
≪支援にかかるコストは、しばしば、サポーターの持ち出しとなる。若者1人を担当する経費として、各サポーターに1万円を支払っているが、私自身、メールを使えない若者が電話で支援を受けることを希望したので、月の電話代だけで2万円を超えたこともあった。行政には、今よりも手厚い支援を望みたい。若者1人が納税者となることによる利益を考えたら、この程度の費用は出せるに違いない≫
・サポーターは“素人”ばかりの新しい支援 「静岡方式」こそ、いまの時代に沿っている
さらに、大事にしている原則が、「すべての若者を受け入れる」と表明していることだ。「引きこもり」「障害」「非行」などの有無は関係ないという。
≪とにかく「できません」とは言わない。これは、既成の支援機関が拾いきれなかった若者から、決して逃げないという意思表明であった≫
と言いきってしまうところに、頭の下がる思いがする。
行政や社会が縛られている「縦割り」のシステムを乗り越えるために、「すべての若者を受け入れる」という切り口で、横へ横へと、既成の仕組みを取っ払うことを決めた。
そこで、特徴的なのが、伴走者である「サポーター」の態度。「若者と関わる姿勢は、自分で決めてよい」というものだ。
マニュアルはつくらない代わりに「就労支援にあたっての心得」を作成。同書の中に収録されているが、これも興味深い。
前にもふれたとおり、「サポーター」は、パソコン教室経営者、教員、行政書士、寺の住職夫婦、コンビニ経営者…と、多岐にわたる。たとえ、素人であっても、それぞれが皆、本業を別に持っている。大事なのは、「若者に影響を与え得る何かを持っていること」であり、この「素人性こそ重要」だと指摘する。
ボランティアであることの強みは、お金をもらっていないから、親に遠慮をしなくていい。親に対しても、ずけずけとモノを言う。一方、サポーターは地域で仕事もしているので、悪い評判が立つような適当な支援もしにくいことだろう。
本書には記されていないが、こうした本業と就労支援の「ダブルアイデンティティ」の考え方こそ、「プロボノ」という新しいボランティア活動だ。
1人の小さな力では、自分の職場の枠組みを横に越えることができない。でも、「ダブルアイデンティティ」によるネットワークが相互に重なり合えば、「縦割り」の壁を突き破って、重層的な支援を提供することが実現できるのだ。
そして、就労生活が安定しても、本人が支援を望む限り、「永遠支援」を提供し続けているというのも、現実に即している。
実際、引きこもっている人たちの半数以上は、就労経験のあった人たちであることが最近、様々な調査で明らかになってきた。「一旦、働いた後、社会から撤退するほどのダメージを受けた」人たちが、いかに多いかを物語っている。
そんな「永遠支援」は、地域づくりを目指しているというのも、大事なことである。
「ただちに職場につなぐ」理由の1つは、本人の好みこそ、重要だからだという。
「何ができそうかは、本人が経験を通じて学べばよいことで、その経験を積む支援をするのが私たち」という発想は、まさにその通りだと思う。
もう1つの理由は、本当に必要なスキルは、職場でしか身につけられないから。職場にしか、本物のスピード感や緊張感はなく、そこに行かないと、体感することができないのだ。
そのためにも、「間を置かない」ことである。
ボランティアであれば、そうした“変化”に純粋に感動することができるという。
≪一度、若者が変化する姿を見てしまうと、サポーターはやめられない。この感動に、はまってしまったのが、私たちである。お金をもらっていれば、就労支援は「仕事」になってしまうし、生活の手段になってしまうが、お金をもらわないので、就労支援は「趣味」であって、「生きがい」となる≫
会社のために、スキルを磨くことも大事だが、ボランティアの中で応用力を試されるのは楽しい。自分と社会とのつながりを実感できる瞬間でもある。
社会的課題の解決に向けての取り組みが注目される中で、これからの「引きこもり」状態にある人たちへの支援のあり方を考えると、こうした「静岡方式」のやり方は、いまの時代に沿っているように思える。
トップの心得・スタッフを守ること
ある方からのメールの引用です。
先日、某有名外資系のショッピングセンターで
明らかにスタッフにからんで、クレームを通り越して、
「イチャモン」をつけているシーンに遭遇しました。
典型的な「あー言えば、こう言う」のクレーマーで、
ようするに何だかんだ言って
「タダにさせてしまおう」という魂胆が丸見えでした。
商品やサービスのクレームを通り越して、
スタッフ自身のことを
「あれもダメ、これもダメ」と攻めまくります。
すると欧州系の支配人が出てきました。
どう対応するのだろう?と観察していると、
「出て行け!お前は客じゃない!」と
物凄い剣幕で怒りだしました。
(もう顔面が怒りで真っ赤でした)
支配人が出てくれば、あと一押しで「タダになる」と期待していた
ガラの悪いクレーマーは、ビックリ!
そして、
「スタッフはお前の奴隷じゃない、謝れ!」とまで言い放ちます。
結局、クレーマーが逆に謝罪することに。
後に話しを伺うと、
客も店を選ぶし、店も客を選ぶが、
「このラインを超えたら客じゃない、というのがある。
ラインまではスタッフに精一杯努力させる。
しかし、それ以上やらせるとスタッフがいじめられて心に深い傷を負う。
そして、この仕事に恐怖を感じるようになってしまう。
それは絶対に避けなければならない。
だから、私たちはこのラインを超えてくるクレーマーがいたら、
その瞬間からスタッフを守るのが義務だ」とのコメント。
スタッフとトップは選ぶ・選べないということではない。
トップの姿勢でスタッフは活かされる。
スタッフを守るというトップの姿勢と責任感が必要だということでしょう。
先日、某有名外資系のショッピングセンターで
明らかにスタッフにからんで、クレームを通り越して、
「イチャモン」をつけているシーンに遭遇しました。
典型的な「あー言えば、こう言う」のクレーマーで、
ようするに何だかんだ言って
「タダにさせてしまおう」という魂胆が丸見えでした。
商品やサービスのクレームを通り越して、
スタッフ自身のことを
「あれもダメ、これもダメ」と攻めまくります。
すると欧州系の支配人が出てきました。
どう対応するのだろう?と観察していると、
「出て行け!お前は客じゃない!」と
物凄い剣幕で怒りだしました。
(もう顔面が怒りで真っ赤でした)
支配人が出てくれば、あと一押しで「タダになる」と期待していた
ガラの悪いクレーマーは、ビックリ!
そして、
「スタッフはお前の奴隷じゃない、謝れ!」とまで言い放ちます。
結局、クレーマーが逆に謝罪することに。
後に話しを伺うと、
客も店を選ぶし、店も客を選ぶが、
「このラインを超えたら客じゃない、というのがある。
ラインまではスタッフに精一杯努力させる。
しかし、それ以上やらせるとスタッフがいじめられて心に深い傷を負う。
そして、この仕事に恐怖を感じるようになってしまう。
それは絶対に避けなければならない。
だから、私たちはこのラインを超えてくるクレーマーがいたら、
その瞬間からスタッフを守るのが義務だ」とのコメント。
スタッフとトップは選ぶ・選べないということではない。
トップの姿勢でスタッフは活かされる。
スタッフを守るというトップの姿勢と責任感が必要だということでしょう。
2011/11/20
「国保だより」へ中国亳州市から指示
ここ数日いろいろな話を聞かせいただいています。
先日、所用で市役所を訪れると、「課長、これは市長の決済をもらわなくては・・・・・」と、市長指示に異議あり!に書いた市長決済に関する現実の場面にたまたま遭遇しました。少し距離があり書類の内容を見たわけではありませんが、職員の真剣な表情を見て、やっぱり大変なんだなと思わずにはいられませんでした。
ブログを見られた幹部OBの方からも、「これまでも議員に言われた直後だけですぐに元に戻った。職員にはもう言っても駄目だという空気があり委縮している。市長と職員の意思疎通もできていないが、市長と議員の意思疎通ができていないことで、職員が市長と議会の板挟みにあってやりきれない閉塞感がある。彼は政治家ではない・・・・・・・」という話がありました。
また、すでにこのブログで書いているきょうたんご「国保だより」について、京丹後市と友好都市提携を結んでいる中国亳州市に市長も一員として訪問している最中に、亳州市の要人を待たせ、「国保だより」の原稿について細かく指示をしていたという話を聞きました。
あの「国保だより」に市民目線は全く感じません。議員への説明資料かと見間違える行政用語のみでの記述であり、「いくら国保会計が黒字だからといって(市民にはそう見えるようにしか書いてない)、市民からは見てもわからないようなものを配布するような無駄なことに税金を使わないでほしい。」との声もありました。市長が細かく手を入れてあの程度なんですねえ・・・・・・
試みに数人の市民の方に、私が収集した他市の国保税の広報を読んでもらい比較してもらいましたが、一目でわかりやすいグラフや、普通の言葉でわかりやすい文章で書かれていれば、よくわかるという意見でした。
市長が職員に任せれば、他市の広報などを研究して市民にわかりやすいものがつくれると思いますが、市長に怒られることを恐れて市長を向いて仕事がなされているように思います。
このことは何回も言っているのですが・・・・・
先日、所用で市役所を訪れると、「課長、これは市長の決済をもらわなくては・・・・・」と、市長指示に異議あり!に書いた市長決済に関する現実の場面にたまたま遭遇しました。少し距離があり書類の内容を見たわけではありませんが、職員の真剣な表情を見て、やっぱり大変なんだなと思わずにはいられませんでした。
ブログを見られた幹部OBの方からも、「これまでも議員に言われた直後だけですぐに元に戻った。職員にはもう言っても駄目だという空気があり委縮している。市長と職員の意思疎通もできていないが、市長と議員の意思疎通ができていないことで、職員が市長と議会の板挟みにあってやりきれない閉塞感がある。彼は政治家ではない・・・・・・・」という話がありました。
また、すでにこのブログで書いているきょうたんご「国保だより」について、京丹後市と友好都市提携を結んでいる中国亳州市に市長も一員として訪問している最中に、亳州市の要人を待たせ、「国保だより」の原稿について細かく指示をしていたという話を聞きました。
あの「国保だより」に市民目線は全く感じません。議員への説明資料かと見間違える行政用語のみでの記述であり、「いくら国保会計が黒字だからといって(市民にはそう見えるようにしか書いてない)、市民からは見てもわからないようなものを配布するような無駄なことに税金を使わないでほしい。」との声もありました。市長が細かく手を入れてあの程度なんですねえ・・・・・・
試みに数人の市民の方に、私が収集した他市の国保税の広報を読んでもらい比較してもらいましたが、一目でわかりやすいグラフや、普通の言葉でわかりやすい文章で書かれていれば、よくわかるという意見でした。
市長が職員に任せれば、他市の広報などを研究して市民にわかりやすいものがつくれると思いますが、市長に怒られることを恐れて市長を向いて仕事がなされているように思います。
このことは何回も言っているのですが・・・・・
市民と議会の懇談会(11月20日)
きょうの1班は、朝9時から弥栄町の堤集会施設での懇談会です。今回、土・日は日中に開催することとして取り組んでいましたが、開始時間が朝9時と早いので、出席される方が少ないのではないかと心配していましたが、この4日間の内で一番多くの方に出席していただけました。
きょうは、私が報告者となり、約20分間に渡って9月議会の報告をさせていただきました。
報告に対しては、議員定数について22人よりもっと減らすべきだという意見とともに質問があり、22人に決定した経緯と、財政や人口を見ながら段階的に削減していくことを提案に盛り込んでいることを説明しました。また、報酬についても削減すべきとの意見がありましたが、すでに報酬は削減していることを答えました。
TPPへの参加に反対する陳情を不採択とした理由についての質問に対しては、TPPへの理解不足に書きこんだ内容を説明しています。(16日、19日もTPP交渉とともに農政のアメリカ・EU型の直接保障への大転換が必要であることと、このままでも日本の人口っ減少していく子tにより米の消費は減少するため、さらに減反が必要なことを話し、輸出型の農業への転換と、製造業などには自由貿易体制が必要であるという思いではんたいしたことを説明しました。)
つぎに、幼保一元化やし尿、下水道利用料金の引き上げについて資料をもとに説明し、懇談会に入りました。
懇談会での主な意見は、下水道料金については値上げに反対する意見、公共下水道の水洗化率を上げることと、水洗化しない人に負担を求める意見、保育所の申請について簡略化を図る意見、市民にとって幼保一元化も幼保一体化も関係なく、幼児の修学前教育を考えた分かりやすい制度とすることを求める意見、100歳健康大長寿などといって大風呂敷を広げているなかで敬老会補助金を下げることについて反対する意見、民間の丹後中央病院の増築、機能強化が図られているなかで、公立病院についてもしっかりと継続をしていくことを求める意見などがありました。
きょうで9月議会後の「市民と議会の懇談会」は終了しましたが、1班においては17日以外は広く市政全般に関して市民と意見交換をするという目的が果たせたと思います。
2011/11/19
市民と議会の懇談会(11月19日)
今日は朝9時30分から、丹後町竹野集会所での懇談会です。開催時間が早いので、参加者が少ないのではないかと懸念していましたが、10人の方に参加いただきました。
みなさん端に座られていますが、活発な発言があり、11時過ぎまで懇談ができました。
竹野地区は、下水道計画の変更の際に集合処理区から、浄化槽による個別処理区に変更になりました。しかし、海に面し平地の少ないところであり、各家の空き地は広くありません。1戸に1浄化槽という考え方では整備が不可能な地域であり、数戸で合同の浄化槽の設置が必要ですが、京都府の条例が妨げとなっており条例改正を求めています。
きょうの会場でも発言があり、数戸での合同の浄化槽設置は国土交通省も認めており、他府県ではできるが、なぜ京都府でできないのか、議員は現状をどう認識しているのかなど、厳しい意見と、早期実現を求める要望がありました。
また、下水道審議会に出られている方から発言があり、一般会計から10億円程度を繰り入れするのが限界という説明のなかで、値上げの答申となっていること、審議会では出来るだけ繰り入れをするように意見を述べたこと、決算は黒字であったので、経済状況も悪いなか市民の負担を仰ぐのではなく、黒字分を負担減に充てるべきだと言った意見があり、これに対して産業建設委員会での審査の状況と繰り入れに対しての意見などを説明させていただきました。
他にも、敬老会補助金の減額についての区長会への説明に対して発言があり、健康大長寿など言葉では長寿をことほぐなどといっており、施策としてやっているのなら、財政が厳しい云々と理屈が違うこと、広報等で財政の黒字が書いてあったので、黒字分を市民の福祉のために使うべきだといった意見でした。旧竹野小学校跡施設の活用についても意見、要望がありました。
2011/11/18
下水道料金値上げの審査(産業建設委員会)
委員会の最初に市長の出席があり、事前に通告していた質問の回答を含めて20分間の質疑時間がありました。
市長からは「審議会の答申を基本としつつ、将来に渡ってこの考え方でいくわけではない。加入率の向上や、国・府からの補助金の確保、他市の状況や財政状況、他の政策との優先順位など総合的に判断して対処していく。」、「下水道使用料での公債費30%や3年ごとの料金の見直しは目安であり相互的に判断する。」、「料金、繰入金ともどちらも固定すべきでないと考えている。」などの答弁をいただきましたが、短時間で十分な質疑ができるわけもなく、また、納得できるものではなく、25日に再度市長に出席してもらうことになりました。
市長退席後も、前回の委員会で請求した資料をもとに質疑をしましたが、平成13年に供用開始した地区においても水洗化率が52.2%しか達していない状況で、どうやってこれから10年で70%を超える水洗化率に持っていくのか、実現可能性に強く疑義を感じました。
下水道事業開始当初は、供用開始後3年で70%の水洗化率達成が想定されていましたが、現実は40%です。そして7~8年でようやく50%という状況です。これでは、当初見込んでいた利用料収入が入るわけはありません。
質疑の経過で、一般会計からの繰り入れを固定したうえでの、加入者増による収入で不足分を補うシュミレーションも提示されましたが、大規模な事業であるため、整備事業を進めるための人員配置に偏り、最初から加入促進に力点がおかれていなかったのが現実であったと思います。
普及推進員の取り組みも昨年の5月からであり、合併後に危機感を持って水洗化率向上に取り組まなかったことが、現状を招いています。
市民生活を支えるために行政がある中で、加入義務を果たしている方にのみ負担がのしかかるのはおかしいと思います。
(この項書きかけ)
市長からは「審議会の答申を基本としつつ、将来に渡ってこの考え方でいくわけではない。加入率の向上や、国・府からの補助金の確保、他市の状況や財政状況、他の政策との優先順位など総合的に判断して対処していく。」、「下水道使用料での公債費30%や3年ごとの料金の見直しは目安であり相互的に判断する。」、「料金、繰入金ともどちらも固定すべきでないと考えている。」などの答弁をいただきましたが、短時間で十分な質疑ができるわけもなく、また、納得できるものではなく、25日に再度市長に出席してもらうことになりました。
市長退席後も、前回の委員会で請求した資料をもとに質疑をしましたが、平成13年に供用開始した地区においても水洗化率が52.2%しか達していない状況で、どうやってこれから10年で70%を超える水洗化率に持っていくのか、実現可能性に強く疑義を感じました。
下水道事業開始当初は、供用開始後3年で70%の水洗化率達成が想定されていましたが、現実は40%です。そして7~8年でようやく50%という状況です。これでは、当初見込んでいた利用料収入が入るわけはありません。
質疑の経過で、一般会計からの繰り入れを固定したうえでの、加入者増による収入で不足分を補うシュミレーションも提示されましたが、大規模な事業であるため、整備事業を進めるための人員配置に偏り、最初から加入促進に力点がおかれていなかったのが現実であったと思います。
普及推進員の取り組みも昨年の5月からであり、合併後に危機感を持って水洗化率向上に取り組まなかったことが、現状を招いています。
市民生活を支えるために行政がある中で、加入義務を果たしている方にのみ負担がのしかかるのはおかしいと思います。
(この項書きかけ)
政策検討会議の創設(議会運営委員会)
25日に予定されている臨時議会での議案の取り扱いなどに関して議会運営委会が開催されました。
臨時議会では、地域福祉計画(第2次)、障害者計画(第2次)、健康増進計画中間評価と見直しの3議案が上程され、質疑ののち、文教厚生常任委員会に審査が付託することになりました。また、会計実地検査結果の報道に係る説明を受けて、臨時議会で報告事項として取り扱うこととなりました。
それから、「政策検討会議」について、執行部との協議が必要なため、9月議会での議会基本条例改正から削除し、具体的な規定について検討していましたが、きょうの委員会で決定することができました。12月議会で議会基本条例に追加して盛り込むことができると思います。
これで、議員間の討議による政策提案・立案について、具体的には試行錯誤しながらの運用になると思いますが、道筋を開くことができます。
2011/11/17
市民と議会の懇談会(11月17日)
1班は久美浜町農業センターでした。
久美浜町出身の議員によると、久美浜では17日は各地区常会の日で、きょうは参加者はないだろうとのことでしたが、本当に参加者が少なく、1時間で終わってしまいました。
2階の会場を片付け1階に下りると、1階の会議室では地域の方が集まって会議をしておられ、これでは懇談会に来ていただくのは無理だと実感しました。
地域の予定を考慮せずに市民と議会の懇談会の日程が組まれていたことは大きな汚点です。これでは、地域のことなど議会にはわかるわけがないと言われたとしても、返す言葉がありません。
反省するのみです。
電車のなかで読んだ本他
少し日にちが開いてしまいましたが、先日の東京での研修の行き帰りに電車のなかで読んだ本を取り上げます。
「高齢者医療難民」は、介護療養病床の必要性と、後期高齢者医療制度の問題点、社会保障費削減政策の誤りを指摘しており、財政再建問題のなかで並行的に議論されている限り、現場を反映し得ないし、政治の責任においてヨーロッパ並みの負担増を求めた税制の抜本改革なくしては、保険制度が成り立たないことがかかれています。
「信州の福祉暴走族」は、制度の網の目から漏れてしまう人へのサービスをしたいと、小さな民家を借りて始められた「宅老所かいご家」の5年間の歩みが書かれています。一人ひとりの利用者への的確なサービスの提供を基軸に据えて、共生ケアも含めた小回りの利くサービスを行っていますが、「かいご家代表」の車イスでの介護には驚くと共に、熱意のすごさを感じました。
「痴呆老人は何を見ているか」は、認知症の病理について理解を深めたいと思って手に取った本ですが、筆者は「認知症」という表現が、痴呆老人への誤ったマイナスイメージを背景にした ラベルの張り替えにすぎず、「認知症」と表現することによって、世間の誤った認識を改善させる効果はないとして、あえて「痴呆老人」という表現を使い、多くの患者に接するなかでその病理に迫るだけでなく、痴呆における人とのつながりの喪失という観点から現代の人間心理の病理や「ひきこもり」などとの関連について分析しています。
印象に強く残ったところを引用します。
以下引用・・・・・・・・・・・
エルウィン・べルツ(明治9年から26年間東大医学部の教師)は、日本びいきでその文化を尊重し、西洋の文化をそのまま植え付けるのに慎重でした。しかし、彼が会った日本のエリートたちの態度にびっくりしています。
「ところが―なんと不思議なことには―現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人はそれを恥じてさえいます。『いや、何もかもすっかり野蛮なものでした』私に言明した者があるかと思うと、またある者は、私が日本の歴史について質問した時、きっぱりと、『我々には歴史はありません、我々の歴史は今から始まるのです』と断言しました。なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑を浮かべていましたが、私が本心から興味を持っていることに気がついて、ようやく態度を改めるものもありました。」
残念ながら現在でも、明治のエリート達の亜流と末裔が日本には満ちています。「つながりの自己」も「つながりの倫理意識」も、江戸時代という完全な閉鎖社会での生存を通じて完成させられました。もし江戸時代の日本が、完全な閉鎖系社会での優れた「適応」を実証し代表する者ならば、「封建的」とであるからと、戦後何の価値もないかの如く捨てられてしまった我々先祖たちの思想や生存戦略に込められた知恵を学び直す必要がありましよう。
・・・・・・・・・・・・・引用終わり
もう1冊の「社会保障の政策転換」は慶応大学の権丈教授の著作で、以下の4冊を含め、社会保障政策を勉強するうえでたいへん参考になりました。
これまでに、セミナー等で2回権丈教授の講演を聞きましたが、しっかりデータを踏まえたものであり、政策にとって都合の悪い事実が多くは隠されていることやマスコミの無責任さがよくわかりました。権丈教授の著作もわかりやすいものです。ぜひ読まれることをお勧めしますが、権丈教授のホームページhttp://kenjoh.com/をまずご覧ください。
「高齢者医療難民」は、介護療養病床の必要性と、後期高齢者医療制度の問題点、社会保障費削減政策の誤りを指摘しており、財政再建問題のなかで並行的に議論されている限り、現場を反映し得ないし、政治の責任においてヨーロッパ並みの負担増を求めた税制の抜本改革なくしては、保険制度が成り立たないことがかかれています。
「信州の福祉暴走族」は、制度の網の目から漏れてしまう人へのサービスをしたいと、小さな民家を借りて始められた「宅老所かいご家」の5年間の歩みが書かれています。一人ひとりの利用者への的確なサービスの提供を基軸に据えて、共生ケアも含めた小回りの利くサービスを行っていますが、「かいご家代表」の車イスでの介護には驚くと共に、熱意のすごさを感じました。
「痴呆老人は何を見ているか」は、認知症の病理について理解を深めたいと思って手に取った本ですが、筆者は「認知症」という表現が、痴呆老人への誤ったマイナスイメージを背景にした ラベルの張り替えにすぎず、「認知症」と表現することによって、世間の誤った認識を改善させる効果はないとして、あえて「痴呆老人」という表現を使い、多くの患者に接するなかでその病理に迫るだけでなく、痴呆における人とのつながりの喪失という観点から現代の人間心理の病理や「ひきこもり」などとの関連について分析しています。
印象に強く残ったところを引用します。
以下引用・・・・・・・・・・・
エルウィン・べルツ(明治9年から26年間東大医学部の教師)は、日本びいきでその文化を尊重し、西洋の文化をそのまま植え付けるのに慎重でした。しかし、彼が会った日本のエリートたちの態度にびっくりしています。
「ところが―なんと不思議なことには―現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人はそれを恥じてさえいます。『いや、何もかもすっかり野蛮なものでした』私に言明した者があるかと思うと、またある者は、私が日本の歴史について質問した時、きっぱりと、『我々には歴史はありません、我々の歴史は今から始まるのです』と断言しました。なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑を浮かべていましたが、私が本心から興味を持っていることに気がついて、ようやく態度を改めるものもありました。」
残念ながら現在でも、明治のエリート達の亜流と末裔が日本には満ちています。「つながりの自己」も「つながりの倫理意識」も、江戸時代という完全な閉鎖社会での生存を通じて完成させられました。もし江戸時代の日本が、完全な閉鎖系社会での優れた「適応」を実証し代表する者ならば、「封建的」とであるからと、戦後何の価値もないかの如く捨てられてしまった我々先祖たちの思想や生存戦略に込められた知恵を学び直す必要がありましよう。
・・・・・・・・・・・・・引用終わり
もう1冊の「社会保障の政策転換」は慶応大学の権丈教授の著作で、以下の4冊を含め、社会保障政策を勉強するうえでたいへん参考になりました。
これまでに、セミナー等で2回権丈教授の講演を聞きましたが、しっかりデータを踏まえたものであり、政策にとって都合の悪い事実が多くは隠されていることやマスコミの無責任さがよくわかりました。権丈教授の著作もわかりやすいものです。ぜひ読まれることをお勧めしますが、権丈教授のホームページhttp://kenjoh.com/をまずご覧ください。
おむつ代は医療費控除の対象
義父の介護保険・要介護認定結果通知書が送られてきました。今までは要介護1でしたが、新たに要介護3に認定されていました。
介護保険における認知症の審査の現状や、他の方の事例などを調べていたので、義父の認知症の進行から考えても介護度が要介護1のままはないと考えていました。
悲しいことですが、義父は家で一人にしておくことができない状態にあり、義母(週4日デイサービス利用)と二人の時も、昼間の長時間はおれなくなってきています。
新聞や手紙がとんでもないところから出てきたりもします。また、何かを探している間に何を探しているかを忘れ、そして、探し物をして散らかしたことを忘れ、散らかった部屋を見て泥棒が入ったと思いこみ、ボタンひとつで直通でつながる親戚の家に電話し、親戚に来てもらってなだめていただいたこともあります。不幸なことなのか幸いなことなのか、もはや110番をする能力はありません。
頭のなかを過去の記憶が脈絡なくつながるようで、ありもしないことを言い出したり、行動に移そうとしたりもします。日曜日以外は、デイサービスを利用していますが、水曜日と土曜日は早く帰ってきていたので不安でしたが、要介護3に認定されたことで時間延長してもらえれば、私も妻も安心して働くことができます。
それから、今回の通知書には、おむつ代を医療費控除の対象とするための説明が入っていました。(今までにも見ていたかもしれませんが、その状況に置かれないときにとめなかったのかもしれません。)すでに義父は紙おむつなしには生活ができなくなっているので、早速、「おむつ使用証明」を書いてもらい、これからの分は控除してもらうように手続きしたいと思います。
2011/11/16
市民と議会の懇談会(11月16日)
9月定例会後の市民と議会の懇談会が始まりました。今回も試行的に昼の部と夜の部に分けて12会場で開催されますが、昼の部については前回の平日の開催から土日の開催に変わり、3班に分かれ1日3会場で4日間に渡っています。
私の所属する1班は大宮町河辺自治会を担当しました。まず最初に9月議会の報告を行いましたが、きょう新聞の折り込みで入れられていた国保会計について質問があり、「黒字なのに国保税を上げるのはなぜか」と問われたので、監査委員の報告にもあるが実質は6998万円の赤字だが、基金繰り入れにより黒字となっていること、基金が不足するようになればさらに引き上げが必要な状況にあること、4億円もの滞納があり、徴収率に問題があることを話しました。きょうたんご「国保だより」についてに書いたように、市民にはわかりにくい、誤解される新聞折り込みといわざるを得ません。
また、滞納に対する対応を聞かれたので、滞納者には短期の保険証(短期証)を出し、窓口に来てもらう機会を増やすことによって督促の機会を持っていること、それでも保険証を取りに来られない方には電話で督促していることを話しました。また、議会で問題になったのは本当に困っていて払えないのか、払えるのに払わないのかが精査できていないことであり、悪質な方に対しては、他の自治体のように資格証(窓口で実際の医療費の全額を払わなければならない。保険税を納めればその後自己負担の3割以外が還付となる。)の発行などの厳しい対応を求めています。
他にもジェネリック医薬品の普及や、森本工業団地の企業誘致、子育て支援、敬老会補助金のことなど多くの意見があり、2時間に渡って実のある懇談会でした。
私の所属する1班は大宮町河辺自治会を担当しました。まず最初に9月議会の報告を行いましたが、きょう新聞の折り込みで入れられていた国保会計について質問があり、「黒字なのに国保税を上げるのはなぜか」と問われたので、監査委員の報告にもあるが実質は6998万円の赤字だが、基金繰り入れにより黒字となっていること、基金が不足するようになればさらに引き上げが必要な状況にあること、4億円もの滞納があり、徴収率に問題があることを話しました。きょうたんご「国保だより」についてに書いたように、市民にはわかりにくい、誤解される新聞折り込みといわざるを得ません。
また、滞納に対する対応を聞かれたので、滞納者には短期の保険証(短期証)を出し、窓口に来てもらう機会を増やすことによって督促の機会を持っていること、それでも保険証を取りに来られない方には電話で督促していることを話しました。また、議会で問題になったのは本当に困っていて払えないのか、払えるのに払わないのかが精査できていないことであり、悪質な方に対しては、他の自治体のように資格証(窓口で実際の医療費の全額を払わなければならない。保険税を納めればその後自己負担の3割以外が還付となる。)の発行などの厳しい対応を求めています。
他にもジェネリック医薬品の普及や、森本工業団地の企業誘致、子育て支援、敬老会補助金のことなど多くの意見があり、2時間に渡って実のある懇談会でした。
きょうたんご「国保だより」について
京丹後市では、議会において12対11という僅差で条例改正を可決し、平成22年に国保税率を引き上げました。また、引き上げ後の平成22年度決算も12対11という僅差で認定されました。
きょう、京丹後国保だよりが新聞に折り込まれていました。
しかし、一般市民の方が読まれて京丹後市の国保の問題が分かるとは思えない内容でした。
まず、7億8889万円という繰入金の内容が解説されていないことは問題です。国保会計は基金の取崩しにより繰入金の確保ができなくなる時点で、再引き上げが必要な状況にあり、会計の持続性がないなかで、単年度の黒字のみを書くのは市民の誤解を招きます。監査報告においても、実質的には6,998万円の赤字であることが指摘されています。
それから、「保険給付費と保険税収入額」のグラフがありましたが、平成17年から平成20年のものであり、平成21年は示されておらず、平成20年度に国保税収入が3億円も減少した理由の説明もありません。一般市民の方がこのグラフを見れば、不景気の影響などによる税収減を類推されます。(実際にそう思われた方がおられました。)これだけ税収が減ればやむを得ないとの判断をしてもらいたいとの思いが伝わって来ます。
しかし、実際は平成20年度の後期高齢者制度の創設により、被保険者が平成19年の29,052人から、22,220人に減少したことから国保税収入が減少していますが、同時に医療費の伸びも減少しています。つまり、それ以前から会計の持続性は失われていたのです。
国保税については、合併協議の段階から、基金減少の推移を見ながら引き上げを検討する必要があるとの認識があり、議会でもそれ以前の決算の審査等で国保税の引き上げの必要性が指摘されていましたが、引き延ばしてしまったことが、引き上げ幅を大きくしています。
また、滞納に関しての記述は極めて弱く感じました。大きな問題である4億円を超える未収金があることが書かれていません。4億円を超える滞納の状況を書かずして、現年度の収納率の目標などを書いたり、加入者の資格管理に関して書かれていても、市民には問題が見えないと思いました。
最後に、国での検討の話が書かれていますが、これを書く必要がないと思います。京丹後市民が将来も関わる以上、まず、現在の制度を適切に持続可能に運営することに全神経を注ぐことが必要です。適切に運営すれば、制度がどう変わろうと対応できるはずです。
2011/11/15
入院、娘の里帰り出産ならず
我が家では、里帰り出産のために帰ってくる娘を待つばかりとなっていましたが、里帰り前の最後の検診で子宮口が開いていると診断され、破水の危険もあるので入院してしまいました。
予約がいっぱいで通常分娩ならば受け入れられないから、里帰りして出産してくださいと言われていた病院に入院しなければならないとは、あまりよいことではありませんが、病院の医療体制ははるかに整っており、医療面での心配は必要ないと思っています。
メールによると、娘はトイレに行くのも車いすとのことで、これから1か月あまり安静にしていなければならないようです。
妻も、娘が帰ってくるのを楽しみにしていたので、帰ってこれないとなると、こちらから行って手伝ってやらねばならないのですが、両親の介護の問題もあり、これから年末に向けてショートスティ等の利用についても相談しなければなりません。
距離的に遠いこともあり、現実的には娘婿の親族に甘えるしかないとは思っています。でも、娘と生まれて来る孫のために、出来るだけのことをしてやりたいと思っています。
2011/11/14
南あわじ市議会で研修会講師
きょうは、南あわじ市まで来ています。南あわじ市議会とは、これまでにもご縁があったので、研修会の講師の依頼を引き受けました。
午後1時30分から4時まで、議会改革の経緯と議会基本条例の運用の課題、議会報告会や自由討議、長期計画の議決などについて京丹後市で取り組んできたことを事例にして話しをさせていただきました。
南あわじ市議会では、昨年議会報告会を1回5箇所で実施して課題があったとのことで、その後は実施が見送られているとのことでしたが、私が知っている他市の事例も参考にしながら、最初から完璧を目指すと何も出来なくなるので、京丹後市議会のように、懸念されることがあってもとにかくやってみて、少しづつ修正していく方がベターであり、市民からも取り組みが見えてよいのではないかと話をしました。
事前に南あわじ市議会の議会改革の状況は資料としていただいていたので、肝心な部分は押さえて話すことが出来たと思っているのですが、南あわじ市の議会改革委員長からエネルギッシュですねといわれたので、かなり早口の熱弁(?)だったのかなと思います。
2011/11/13
ええ里づくり2011
ええ里づくりに出品されたジャンボ白菜です。
HB-101施肥による栽培です。
農事組合法人「楽農くらがき」による奥大野産の野菜販売。10時の開会と共に、俟っていたお客さんが野菜を手に取りレジ前に並びました。レジ係は5人でてんてこ舞いでしたが、30分ほどでほとんどが売れてしまいました。
自主防災会のきじめし、ししめしも早くに売り切れました。老人会がテント前で薪をくべてふるまいの焼き芋をしています。
奥大野からおおみや苑に入所されているお年寄りの方もお越しいただいています。地域のお年寄りの方が懐かしい顔を見かけて話しかけておられました。
朝方は少し雨がぱらつきましたが、開会後は晴れ間も見え、多くの方に楽しんでもらえたと思います。緑友会による餅まきのあと、楽しみ抽選会を最後に予定通りに「ええ里づくり2011」は終了しました。
2011/11/12
「ええ里づくり」準備、丹後大宮駅の花壇2
はじめに余談ですが、きょう、このブログのページビューが10,000を超えました。
きょうは昼から、明日開催される奥大野公民館主催の「奥大野ええ里づくり2011」の準備でした。
小学校のテントも借りて、地域の団体が飲食の提供やバザーなどを行うテントを奥大野公民館前のグランドに8梁建てました。
公民館の2階では文化部が展示の準備をしています。
調理場では、緑友会のみなさんが明日販売する善哉に入れる餅を丸めています。
明日は朝方少し雨も降るようですが、大きくくずれはしないようです。多くの方お越しくださり、楽しんでいただけたら幸いです。
西舞鶴のグランドホテルで開催される「谷垣禎一推薦議員連盟」の総会に出席のため、準備の途中で失礼して丹後大宮駅4時48分発のKTR乗り西舞鶴に向かいました。京丹後市議会からは私を含め3人の議員が参加しました。総会では谷垣議員からの報告もあり、課題が山積するなかで何もすんなりとは決まっていかないようにも思えました。
最後に、丹後大宮駅の花壇の現況です。
市長指示に異議あり!
昨日、ある職員から来年度事業に関する市長指示について、話を聞きました。最近、雑談をするなかで同じような話を複数の職員から聴いていましたが、詳しく聞くなかであまりにも問題が大きいと感じ、広く知ってもらい、問題を明らかにするために書かざるおえないと思いました。
財政課からは、厳しい財政状況のなかで来年度予算の編成にあたって、物件費を5%カットすること、新たに事業を立ち上げる場合は、事業のスクラップアンドビルドをすることが指示されています。(この指示にも問題があります、例えば、毎年対象者が増加している高齢者関連の予算については平成22年度の5%カットという考えは成り立ちません。)
ところが、市長からは、来年度の事業は今ある事業を縮小することなく、各部でそれぞれに新たな事業を提案することを指示しており、さらには、過去に議会答弁などで検討するとした項目についても、精査することも指示されています。
一方で、議会では下水道料金、し尿汲み取り料金の値上げの議案が審査されています。これらの値上げは財政が厳しいなかで市民に負担を求めているはずであり、今後数年内には、水道料金、国民健康保険税などの値上げや、行政サービスの削減が必要となっているときに、市長の安易な姿勢は極めて問題です。
また、私は、過去に幾度か一般質問で、決裁権を下ろすことを取り上げました。その都度、少しの間は改善したのですが、今は市長に苦言を言える幹部職員がいなくなったこともあるのか、A決済(市長決済)が増えており、市長協議の時間がとれずに多くの決裁案件が積み上がり、事務も遅れ気味になっていると聴きました。
行政事務には課長決裁の案件、部長決済の案件などが本来定められているのですが、市長は、それらに手を突っ込み、相談なく決めたと怒ります。これでは、職員はやってられないので、決済を市長までもっていきます。
私が議長の時、議長室で幹部職員の方が涙を流して決済の件で話をされたこともありました。その都度市長に注意に行きましたが、治りません。ある方が言われましたが、人を信頼して任せることができない性格なのだと思います。
しかし、これでは組織が有効に機能しません。こんなことが延々と続いても市民が不幸になるだけです。
以前にも書きましたが、山田方谷はその書「理財論」の一節に、「事の外に立ちて事の内に屈せず」と書いています。これは「(財務を取り仕切るものは)一事にかかずらわって全体を見失わず、全般を見通す識見を持ち大局的立場に立つ」ということであり、また、物事の明確な基準を立てて財を運用すれば、争いも奪い合いも起こらないとも書いています。今、市長のやろうとしていることとはあまりにも違います。
今、議員として責任ある行動が求められていると考えています。
私はルビコン川を越えることにしました。
2011/11/11
義父と入れ歯
食事中に差し歯が抜けてしまい、(部分)入れ歯がおかしくなったと義父が言ってきたので、歯医者に連れて行ったのは、昨年の今頃でした。
歯医者さんの判断は早く、上顎の残り3本も悪いので抜歯して総入れ歯にすることになりました。認知症なので総入れ歯に慣れるのに努力はいるとのことでしたが、早くした方が良いので、久美浜病院に3日間入院して、3本の歯を一回で抜歯することになりました。
しかし、久美浜病院での3日間は大変でした。
義父は病院に歯を抜きに来ていることがわかっており、大丈夫だといっていたので、それを信じていったん家に帰ったのですが、歯を抜いて麻酔が切れると点滴を外して動き回り、看護師さんが注意しても聞かず、家族が交代で24時間付き添うことになりました。
目が覚めているときは、一時たりとも目を離すことができず、「ここはどこか」、次には「なぜ病院にいるのか」、次には「なぜ医者は診察に来ないのか」と、同じ質問を延々と繰り返し、手を押さえていないと点滴を抜こうとします。安静にしないため出血しますが、訳が分からず「わしは帰る」と怒り出します。人の言うことを聞こうとしません。もう、全く環境の変化に対応できなくなっていることが分かり、認知症がかなり進んでいることを実感しました。
家に帰ってからは、以前の部分入れ歯を使おうとし、歯が合わないといって怒ります。その都度、歯医者さんに行って抜歯してもらったこと、これから総入れ歯をつくるためには、歯茎が固まるのを待たなければならないことを説明するのですが、理解できません。しかし、時と共に歯のないことに慣れて怒らなくなりました。
それから、ようやく歯茎も安定し、総入れ歯をつくってもらったのですが、総入れ歯に慣れるまでがまた大変でした。毎晩、寝る前に入れ歯を外し、朝起きてはめるようにするのですが、真夜中に起きて入れ歯をはめてみたり、義母の入れ歯をはめようとしたり、歯が無くなったと騒いだりしました。
そして、入れ歯は、歯茎の変化に合わせて調整が必要なこともあるようですが、義父は口内炎も何もかもを歯の具合がおかしいと言うため、具合がよくわかりません。
きょうは、午前中、義父を歯医者さんに連れて行き、歯の調整をしてもらいました。入れ歯の磨きが必要となり、時間がかかるため後から取りに行ったのですが、他の所要も済ませ家に帰ると、歯医者さんの診察後にデイサービスに送って行った義父が帰っており、入れ歯が無くなったと騒いでいます。
研磨された入れ歯を差し出すと、すでに義父には歯医者に行った記憶はなく、勝手に入れ歯を持ち出したと怒られ、そして、歯医者に行って診察を受けたことを話しても、「わしは行っとらん。」の一言。
認知症になってからの総入れ歯は本人が慣れるまで大変と聞いていましたが、本人だけでなく家族も大変です。
でも、歯がなければ食べる楽しみがなくなり、認知症の進行も早くなります。
2011/11/10
最終で帰って来ました
丹後大宮駅22時57分着の最終で帰って来ました。今日も研修は午前9時から午後5時まで盛りだくさんでした。
今回、研修会場への電車での連絡が良かったので、駅から近くて人気の高いスーパーホテルJR池袋西口に2泊しました。料金は2泊連泊無料朝食付きで12,960円で、内装も新しく、快適な睡眠というコンセプトで人気が高いのも納得しました。2日とも満室でした。
下の写真は研修会場の中庭です。
研修会場です。
研修の詳しい内容は明日以降に書きこみます。
車上荒らし
7時40分過ぎ、研修会場に向かうため、ホームで電車を待っていると、妻から電話。
「乗用車の助手席の窓が割られ、中が荒らされている。」
すぐに警察に被害に遭ったことを連絡することと、代車の確保と修理を頼むことを連絡するように言って、満員電車の中に押し込まれました。
以前は、ロックをしていなかったので、ガラスを割られることまではなかったのですが・・・・・ロックをしても犯罪を防ぐことができる訳ではなく、ガラスに26,000円の出費となりました。
2011/11/09
2030年超高齢社会の予測と課題
朝9時から17時30分の終了まで、途中1時間の昼食休憩と午後に5分間の休憩が1回だけのハードな研修でした。
最初に2012年問題について提起され、団塊の世代が65歳以上の年金受給者となるなかで、年金財政の厳しい見通しや、これからの持続可能な社会保障に関する科学的データの提示がありました。
そして、超高齢社会に向けて、社会保障費用の増加を抑制するための産官学による共同研究が始まっており、その経過報告がありました。
福井県では、東京大学高齢社会総合研究機構と共同で、高齢者の生きがいづくり、健康づくり、介護を含む在宅医療、移動に関する社会実証実験が進めらており、千葉県柏市(人口40万人)でも、東京大学とUR都市機構との社会実証実験が進められ、地域包括ケアシステムでの地域全体での在宅医療の実現と高齢者の生きがい就労に取り組まれています。
また、死亡者数の増加が始まっていて、年間の死亡者が平成52年には倍増することが見込まれています。このピーク時にはその内の5分の4を75歳以上が占めることが予測されていますが、終末期医療などの対応状況を考えると、都市部での深刻な医師不足が懸念されます。
高齢者の自立度についても追跡調査がされています。データの蓄積が進んでおり、男性は血管の老化、女性は骨と筋の老化への対応が必要であり、対策として、しっかり動き、しっかり食べること、特に肉・魚の摂取が不足していることと、体重の維持が必要なことなどがデータにより実証されていました。
2011/11/08
2011/11/07
TPPへの理解不足
TPPについて少し議論をしました。
日本は市場が十分に開かれていて、これ以上は譲らなくてもよい、最悪の場合でも、韓国のようにFTAで交渉に臨めばよいといわれる方がありました。
確かに、日本は工業製品については関税はほとんどありませんが、アメリカは関税が残っています。かつて、日本が非関税障壁(行政指導の活用、メートル表記の義務付けによるインチ表記の排除など)を張り巡らせてアメリカから激しい抗議を受けて、何度も交渉を繰り返すなかで徐々に障壁をなくしたように、アメリカも(非関税障壁はないが)自国産業を守るために関税をかけています。
多くの方はここで勘違いをします。お互いの貿易額が均衡していれば関税率も同じで問題は生じないですが、一方の国が恒常的に貿易赤字であるとき、公平に考えるならば、もう一方の貿易黒字国の関税を下げて、貿易赤字国の関税を上げなければ話はまとまりません。アメリカは恒常的な貿易赤字国として間違っていないと思います。日本が逆の立場であったと考えたならわかることです。
たとえば、アメリカはトラックに25%の関税をかけています。これで実質的に海外からの参入を防いでいますが、韓国とのFTAでは年数をかけて0%にします。しかし、日本製のトラックは25%の関税がかかり続けます。
他にも、乗用車2,5%、工業用部品4%と一見低く見える関税もありますが、競争が激しく利益率が低い状況下にある分野であり、企業の死活問題になります。
私は、関税率表をすべて見たわけではありませんが、あまりにも何も調べずに反対されています。
TPPに日本が参加すれば、アメリカの農業関係者の一部は喜ぶかもしれませんが、工業分野は関税撤廃により損失を被る方が多く、金融・サービス分野も言葉の壁と文化の壁が大きな障壁になります。(平成に入ってから多くの金融分野の外資企業が日本から撤退し、東京はロンドンのような世界の金融センターになれなかった事実を忘れています。)
また、TPPに加入して日本政府がアメリカと同様に農家への直接補助に踏み切り、農家の生活を守りながら市場価格を下げれば、アメリカの米農家にとって脅威となるだけでなく、関税撤廃による輸入飼料と肥料の価格下落がもたらす畜産農家や農業全般への利益のほうが大きくなると思います。農業政策を転換し、欧米のように農業を輸出産業にしなければ、農業は日本の人口減少とともに縮小の道を選ぶことになります。(日本が参加すれば、アメリカの内から完全自由化に反対の声が上がって来ると思います。)
それから、野菜の輸入関税は3%から10%ぐらいで、実際の市場価格に換算すると1%にもなりません。しかし、野菜は今の3割程度の価格で輸入品が売られると思われていますが、売値ベースで数%の関税撤廃で70%引きで販売できるわけはありません。それに、日本に輸入されている生鮮野菜は、東南アジア各国から特恵関税で無税で輸入されているものがあることを知っていません。
そして、アメリカとのFTA交渉に遅かれ早かれ臨むとするならば、TPPも同じことだということが理解されていません。
TPPへの新規参加を希望する国は、(1)交渉に参加するか否か、だけでなく、(2)交渉の結果できあがった協定に政府が署名するか、(3)政府が署名した協定を議会が批准するか、(4)協定に参加した上で不都合が生じた場合、協定の修正を要求するか、(5)修正交渉が実らない場合、最終的に脱退するか、と様々な段階で自国の利益を踏まえた判断をすることが出来ます。不都合なら、国会の場で、協定案を批准しなければ良いわけです。民主的な手続きに則った日本の判断をアメリカが否定することは出来ません。門前払いの方が、遙かに非民主的だと思います。
議論を通じて、TPPについて、情報不足、理解不足を強く感じました。
日本は市場が十分に開かれていて、これ以上は譲らなくてもよい、最悪の場合でも、韓国のようにFTAで交渉に臨めばよいといわれる方がありました。
確かに、日本は工業製品については関税はほとんどありませんが、アメリカは関税が残っています。かつて、日本が非関税障壁(行政指導の活用、メートル表記の義務付けによるインチ表記の排除など)を張り巡らせてアメリカから激しい抗議を受けて、何度も交渉を繰り返すなかで徐々に障壁をなくしたように、アメリカも(非関税障壁はないが)自国産業を守るために関税をかけています。
多くの方はここで勘違いをします。お互いの貿易額が均衡していれば関税率も同じで問題は生じないですが、一方の国が恒常的に貿易赤字であるとき、公平に考えるならば、もう一方の貿易黒字国の関税を下げて、貿易赤字国の関税を上げなければ話はまとまりません。アメリカは恒常的な貿易赤字国として間違っていないと思います。日本が逆の立場であったと考えたならわかることです。
たとえば、アメリカはトラックに25%の関税をかけています。これで実質的に海外からの参入を防いでいますが、韓国とのFTAでは年数をかけて0%にします。しかし、日本製のトラックは25%の関税がかかり続けます。
他にも、乗用車2,5%、工業用部品4%と一見低く見える関税もありますが、競争が激しく利益率が低い状況下にある分野であり、企業の死活問題になります。
私は、関税率表をすべて見たわけではありませんが、あまりにも何も調べずに反対されています。
TPPに日本が参加すれば、アメリカの農業関係者の一部は喜ぶかもしれませんが、工業分野は関税撤廃により損失を被る方が多く、金融・サービス分野も言葉の壁と文化の壁が大きな障壁になります。(平成に入ってから多くの金融分野の外資企業が日本から撤退し、東京はロンドンのような世界の金融センターになれなかった事実を忘れています。)
また、TPPに加入して日本政府がアメリカと同様に農家への直接補助に踏み切り、農家の生活を守りながら市場価格を下げれば、アメリカの米農家にとって脅威となるだけでなく、関税撤廃による輸入飼料と肥料の価格下落がもたらす畜産農家や農業全般への利益のほうが大きくなると思います。農業政策を転換し、欧米のように農業を輸出産業にしなければ、農業は日本の人口減少とともに縮小の道を選ぶことになります。(日本が参加すれば、アメリカの内から完全自由化に反対の声が上がって来ると思います。)
それから、野菜の輸入関税は3%から10%ぐらいで、実際の市場価格に換算すると1%にもなりません。しかし、野菜は今の3割程度の価格で輸入品が売られると思われていますが、売値ベースで数%の関税撤廃で70%引きで販売できるわけはありません。それに、日本に輸入されている生鮮野菜は、東南アジア各国から特恵関税で無税で輸入されているものがあることを知っていません。
そして、アメリカとのFTA交渉に遅かれ早かれ臨むとするならば、TPPも同じことだということが理解されていません。
TPPへの新規参加を希望する国は、(1)交渉に参加するか否か、だけでなく、(2)交渉の結果できあがった協定に政府が署名するか、(3)政府が署名した協定を議会が批准するか、(4)協定に参加した上で不都合が生じた場合、協定の修正を要求するか、(5)修正交渉が実らない場合、最終的に脱退するか、と様々な段階で自国の利益を踏まえた判断をすることが出来ます。不都合なら、国会の場で、協定案を批准しなければ良いわけです。民主的な手続きに則った日本の判断をアメリカが否定することは出来ません。門前払いの方が、遙かに非民主的だと思います。
議論を通じて、TPPについて、情報不足、理解不足を強く感じました。
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