2013/08/31

バイエルン 未来を追う旅 ~南ドイツのエネルギー革新&夢への挑戦!~

BSフジの特別番組「バイエルン 未来を追う旅 ~南ドイツのエネルギー革新&夢への挑戦!~」を見ました。

バイエルン州は50%の電力を原子力発電所に頼っていますが、2022年の脱原発を目指し、再生エネルギーの導入が積極的に行われています。

 上のグラフを見ていただけばわかりますが、太陽光とともに風力・水力が大きく伸びます。バイエルン州はドイツの南に位置しているので日照時間に恵まれ、南部に山岳部もあるので水にも恵まれています。

川の水量が多く、水流も早いのでリバーサーフィンが楽しまれています。

また、ドイツは再生可能エネルギーの普及だけではなく、エネルギー利用の高効率化と省エネも一種の代替エネルギーとみなすことで、この政策によって、同時に再生エネルギーの発電拠点と利用を分散化させることで地域経済の活性化にも役立てています。

しかし、グラフにあるように再生エネルギーで全てをまかなえるわけではなく、残りの50%近くは火力発電でまかなわなければならないので、放送では触れられていなかったですが、再生エネルギーの導入とともに火力発電所の増設(原発20基分2000万キロワット)が進められています。

2013/08/30

丹後の暮らしをのぞいてみよう~丹後は女性の輝くところ!

『静かな田舎で暮らしてみたい。』
『憧れの京都で、しかも自然豊かな場所で暮らしてみたい。』
『移住に興味はあるけれど何から調べればいいのかわからない』
『女性ひとりで移住ってとても不安・・・』

そんな方を対象にした【京の田舎暮らし講座】が9月7日に、シティプラザ大阪で開催されます。


しかも、我が奥大野から3人の女性、扇田さん、川口さん、安田さんがパネラーで参加します。

丹後の暮らしをのぞいてみよう


丹後は女性の輝くところです~。

2013/08/27

ラセン水車発電機の動画


石徹白の小水力発電研修

8月24~25日は、関西広域小水力利用推進協議会の小水力視察に参加しました。

日本の小水力発電のポテンシャルは高く、利用可能な小水力発電量は1160万キロワットあり、原発の基分に相当すると試算されています。

小水力発電が先進的に導入されているEU諸国のデータを見ると、EU27カ国で1359万キロワットが発電されており、さらにドイツには,統計には出てこないような小規模な小水力発電(数10kW以下)が1.5万~2万あり,これだけで数10万~100万kWの出力があるとの推計もあります

水利権や売電での規制などの課題がクリアされ、遅れている技術開発が進めばコストも下がり、メンテナンスも地域で取り組めるので大きな潜在力があります。

24日は郡上市白鳥町石徹白地域の発電施設を視察しました。
 発電能力800W。常時500W発電のらせん型水車発電機です。
毎秒0.2トンの水量で80センチの落差、ラセンスクリューの直径は90センチです。
この発電機は坂道の途中にあり、発電により水がなくなるのではないので、まだまだたくさん設置することが可能ですが、ドイツのようにたくさん作られていないのでコスト高であることが課題です。


上掛け水車発電機。発電能力常時2200W。落差は3メートル、毎秒0,07~0,12トンの水量で分7回転、直径3メートル、総事業費700万円。
このモーターを交換するだけで3000Wの発電が可能だそうです。
制御盤は地域の方の手づくりです。電気に詳しい方がおられたので、地域で小水力発電に取り組みやすかったと思われます。

 とても小さな環境教育用発電機ピコピカ。3~5W街灯の発電に使われています。

石徹白地域では、小水力発電の実績を積み上げてきて、次の段階にきていました。

この道路から約70メートル上に用水路があり、流末までの高低差を活用して100キロワットの発電機2基の建設計画が進んでいます。

まず、やってみようからスタート、続ければ展望は開けます。

2013/08/19

羽衣国際大学放送・メディア映像学科学生とのコラボ

8月11日から15日まで、羽衣国際大学の放送・メディア映像学科の学生を奥大野に受け入れていました。


毎日新聞からも取材を受けましたが、自然農法の青木さんでの農業体験(苗作り、収穫作業、出荷作業、ハウス修繕)、オーガニック野菜の自炊体験、農家民泊体験、バラ寿司やおくおおの納涼祭での手伝いなど、学生たちは奥大野を楽しんで帰りました。

アオキさんから、自然農法の説明を受ける
 畑で説明を受けながら生野菜を試食。花オクラやオクラ、ピーマンなどを生で食べて驚いていました。

ピーマンとトマトを食べれない学生が挑戦して、「ぜんぜん違う。これなら食べれる!」といっていたのが印象的でした。
 学生が感想を映像にとっています。

 ふだんはそれほど料理はつくっていないという女子学生による手料理。

事前に打ち合わせた提供可能なオーガニック野菜の資料をもとに、食物栄養学科の教授の協力でオーガニック料理のレシピが準備されていました。

女子学生の手料理をいただきました。「こんなに野菜を食べるのははじめて」という声や、「こんな調理のキュウリははじめて食べた(サイコロ切り)」という声も。

 農家民泊体験での共同調理でバラ寿司をつくっています。

 農家民泊体験班以外の学生にもバラ寿司は食べてもらいました。

学生たちが苗作りして2日で、もう芽が出ています。

おくおおの納涼祭の準備作業。学生たちはよく働きました。


 納涼祭がはじまり、学生たちは納涼祭の様子を撮影する担当と、手伝いに分かれて、最後の片付けまで頑張ってくれました。



2013/08/17

カラヤン1970S

ちょっと贅沢をしてCDを買いました。

「カラヤン1970S」CD82枚組みで、HMV予約で14,950円(10%ポイント付き)でした。


70年代のカラヤン ベルリン・フィルは素晴らしいですね。オーケストラの上手さはピカイチで録音もいい。高校生の頃から評論家の影響を受けて10年ほど前まではアンチカラヤンだったのと、同一曲の異録音が多いので、あまり熱心ではなかったのですが、今はその分新鮮にお安く聴かせてもらえます。

82枚のうち40枚はダブリでしたが、中古CDで売れば40枚で少なくとも8,000円にはなるので、82枚の中にあまり聴かないだろうCDが数枚あってもお得なセットなので大丈夫です。

はじめからファンだったら、LP買って、CDに買い直して・・・すごい金使っているなとも思いますが、日本の評論家って役に立ちませんね。


最近は、気分転換したいときに、アメリカかイギリスアマゾンで、お気に入りの作曲家や演奏家のCDのCustomer Reviewsを読みます。Customer Reviewsで評価の高いものは趣味の違いはあったとしてもクオリティーにほとんど間違いがなく、日本の批評家よりもとても参考になります。

カラヤンは、多くが高く評価されています。




終戦の日について思う

NHKのアンケートで33%が終戦の日を知らないと答えています。最初は驚きましたが、調べてみると納得しました。小・中学校の教科書では終戦の日を8月14日(ポツダム宣言受諾の日)か8月15日としていて、高校の日本史教科書の多くは終戦の日を9月2日としているそうです。

第2次大戦の終戦の日。

ヨーロッパでは、連合軍もドイツも終戦の日は降伏文書に調印された5月8日で、ドイツ連邦共和国はこの日を「第二次大戦終戦の日」("Ende des Zweiten Weltkrieges")と呼称し、敗北の日として重く受けとめられています。

一方、太平洋では、降伏文書が調印されたのは9月2日で、米・英連合軍の終戦の日は調印の日である9月2日ですが、日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催していますが、ドイツのように「終戦の日」と定めてはいません。

資料を見ると、8月15日で戦争は終結していません。

1945年8月15日正午に「 玉音放送」が公にされると、大本営は、陸軍部隊に対して大陸命第一三八一号を発令しています。

大陸命第一三八一号
命令
一、大本営ノ企図スル所ハ八月十四日詔書ノ主旨ヲ完遂スルニ在リ
ニ各車軍別二命令スル迄各々現任務ヲ続行スヘシ
但シ積極進攻作戦ヲ中止スヘシ

この命令は全面的な停戦命令ではないことは明らかで、海軍部隊に対して発令された大海令第四七号も大陸命と同じく、「 積極進攻作戦」の中止のみを命じています。

大本営は統帥権の独立を貫き
日本本土( 北海道は除く)を作戦地域としている第一・ 第二・ 航空総軍には、8月22日零時をもって「一 切ノ武力行使ヲ停止」するように命じ、第一・ 第二・ 航空総軍以外の外地と北海道の作戦軍にたいしては、22日に大陸命第一三八八号が発令され、それらの部隊は、8月25日零時をもっての全面的停戦に移行することが命じられましたが、その際に中国に展開する支那派遣軍(対ソ連戦闘部隊ではありません)に対してのみ例外が認められています。

そして、9月2日、降伏文書調印後に大本営は、大陸命特第一号とそれに基づく大陸指特第一号を発令しています。

大陸命特第一号
命令
( 一 )敵対行為ヲ直チニ終止シ武装ヲ解除シ且現態勢ノ変更ヲ中止ス
( 二)兵器及装備ヲ関係聯合国指揮官ノ指定スル時期及場所二於テ現状ノ侭且安全良好ナル状態二於テ該指揮官又ハ其指定者二交付ス・・・
( 五)一切ノ兵器、弾薬及戦争用具ノ製造拉分配ヲ直チニ終止ス

中国大陸や北方戦線では命令で8月末までは戦闘が続いており、そこで犠牲になられた方が多くおられ、9月2日の大陸命特第一号により、全面的な武装解除が命令されています。調べてみると、終戦の日が教科書によって違うのも理解できなくもありません。

8月15日は、戦闘は終結していません。しかし、玉音放送により日本の降伏が国民に公表された日であり、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、今後も黙祷を捧げ、平和を願いたいと思います。

2013/08/13

[JMM752Sa]「従軍慰安婦問題と日米関係、一つの提言」from911/USAレポート 作家・冷泉彰彦さんのUSAレポートの要約引用

[JMM752Sa]「従軍慰安婦問題と日米関係、一つの提言」from911/USAレポート 作家・冷泉彰彦さんのUSAレポートの要約引用

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全米各地の州議会で「非難決議」がされたり、慰安婦像や記念碑が建立されたりしているが、「悪しき古い日本」と「親しみのある新しい日本」というのは、アメリカの政府と世論においては驚くほど明確に区別されています。それは、戦後の日本が振舞ってきた平和志向の行動パターンや、ソフトパワーのためだ。

しかし、橋本発言や河野談話の見直しは、「新しい日本」と「古い日本」の区別を危うくするものとなっています。

朝鮮半島における慰安婦の「募集」というのが、軍や警察が「嫌がる女性やその家族を銃剣で追い立てて」集めたという「強制という事実はなかった」という「事実関係の訂正」を行うことで「名誉回復」をするという考え方には問題があります。

軍による強制はなかったという訂正が、「広義の強制はあった」ということを改めて認めることになってしまいます。
つまり「親の借金を肩代わりに身売りと言う名の人身売買が行われた」とか「売春業者の『財産』である女性の逃亡は財産権の侵害になるという理由で警察が妨害した」とか「安全確保を口実に派遣先からの脱走・逃亡は軍によって禁止された」という「事実」を「こっちが正しかったのです。良く理解して下さい」とアピールしても、「そんな非人道的なことを制度として認めていた社会の名誉をどうして認めなくてはならないのか?」という、より一層の困惑を引き起こすだけだということです。

現在でも、アジアから日本に入国した女性たちが人身売買さながらの身体的な拘束を受けていることが国連や米国国務省などから問題視されています。勿論そうした問題を根絶するだけでなく、日本人による日本人のトラフィッキングに対しても厳しいメスを入れていくべきです。

一つの提言をしたいと思います。それは「古い日本」の名誉回復をするのではなく、「現在の日本」の名誉を高める、いや名誉だけでなく実質的に社会を良くしていくということです。そして、この場合は「女性の人権」あるいは「女性の名誉」を改善するということを、改めて国策として打ち出していくのです。そうすれば、韓国の一部の団体などが「過去の日本と現在の日本」をゴチャ混ぜにして「現在の政府による公式謝罪や公費での救済をせよ」というような主張をしても、事実上そうした主張は宙に浮くことになると思います。

実は、こうした女性の地位や名誉という問題に関しては、現在の中国は多くの問題を抱えつつも、日本よりはやや進んだ社会を実現していると思います。今後も日本が中国を相手に、心理的なナショナリズムの「突きつけ合い」を続けていくのであれば、少なくともこうした問題に関しても、改善を競い合うということはあっても良いと思うのです。
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冷泉さんの提言に強く同意します。

過去の名誉回復をしようとするよりも、これから世界に認められる名誉ある国を築くことが必要だと思います。

石橋を叩けば渡れない

11日読了「石橋を叩けば渡れない」。第1次南極越冬隊長の西堀さんの本です。

面白いですね。

日本の教育には「教」はあるが、「育」がない。
「理屈」がわかっても、「直感」がない。
「欲」があっても、「望」がわかない。
「組織」があっても、「運営」がうまくいかない。
知っちゃいるけど、行なわない。
石橋を叩けば渡れない。

物事には最初があり、最初のないものはない。
万全の準備など有り得ないことで、
やってみなければ何も変わらない。新しいことはできない。

昭和史の決定的瞬間

11日読了。先週「終戦のエンペラー」を見たので、戦前の歴史が勉強したくなり、坂野潤治氏の「昭和史の決定的瞬間」を読みました。
日本は昭和6年の満州事変から軍国主義一辺倒だったのではなく、批判的言論の自由もまだあり、民政党の斎藤隆夫議員による「粛軍演説」は、反戦・反軍拡・反ファシズムの有名な演説で、昭和12年には、戦争阻止内閣が生まれる寸前まで行きながら、流産している。

昭和11年末の時点では、資本家団体(財閥)の意向に忠実な民政党と政友会は反軍拡・反戦・反ファシズムであったが、労働者の生活改善のために反財閥であった社会大衆党は陸軍と結んで「広義国防」を掲げ、軍拡に賛成し、戦争阻止内閣の樹立を妨害し、自派の林銑十郎大将の内閣が樹立、蘆溝橋事件以降は戦時体制へとなっていく。

昭和11年~12年は昭和史の決定的瞬間であった。

2013/08/07

近況報告

留守が多かったのと、ブログに不都合がありノートパソコンから投稿ができなくなっているため更新ができていません。

近況のみ報告します。

7月23日以降の動きのみを簡単に書きます。

7月24日 東京 PHP研究所にて「マニフェスト講座1日目」
  
  25日 東京 PHP研究所にて「マニフェスト講座2日目」

  26日 大木満和さんの葬儀に参列

  27日 東京 法政大学にて「市民と議員の条例づくり交流会議1日目」(運営委員)


  28日 東京 法政大学にて「市民と議員の条例づくり交流会議2日目」(運営委員)

  29日 羽衣国際大学メディア映像学科との協働事業学生受け入れの事前協議

  30日 おくおおの納涼祭実行委員会

  31日 奥大野区防災訓練打合せ会議

8月 1日 東京 PHP研究所にて「マニフェスト講座3日目」

   2日 東京 PHP研究所にて「マニフェスト講座4日目」

   3日 三重県津市にて「自治体職員有志の会」

   4日 東京 NTTデータ本社にて「LM推進地方議員連盟サミット1日目」

   5日 東京 早稲田大学にて「LM推進地方議員連盟サミット2日目」