2014/08/18

水子〈中絶〉をめぐる日本文化の底流

「水子(中絶)をめぐる日本文化の底流」を読了しました。教えられることが多い本でした。


「水子」という言葉と概念は、8世紀に書かれた「古事記」と「日本書紀」の「ヒルコ」の記述まで遡れ、国づくりの神話のなかに子どもの数を減らすこと、望まれない胎児を水際などに返す事例などがいくつも出てきます。

日本的な生命倫理感が仏教に受け入れられるなかで、生活水準を維持し、さらに向上するための現実的な選択肢として、家庭や母親が胎児や赤子の命を絶つという習慣が踏襲され、罪の意識とともに供養されています。この本の仏教についての記述は大変勉強になります。

江戸時代のはじめの100年、農地開墾などで農業生産が飛躍的に拡大したことから人口が倍に増えましたが、それ以降は人口は停滞します。

もしも、それ以降もお隣の中国のように人口の増加が続いていたら、食料不足から国内紛争と流血の事態が続いただろうと予測されていますが、日本の人口が増加しなかったのは飢餓でも疫病でも戦争でもなく、慣習として定着していた嬰児殺しと中絶により人口増加が抑制されていたことで、平和が謳歌されています。

しかし、明治の幕開けとともに間引きと堕胎を禁止する法律が発布され、権力機構による徹底した取り締まりが進められています。それとともに、徐々に各地域の女性に広く受け入れられて世話がされていた地蔵信仰の集まりが消えていきます。

明治に入って、産めよ増やせよと人口が増加し、兄弟数も増えましたが、戦後になって人工中絶が認められるようになると爆発的に人工中絶が増えていきます。僕が生まれた1960年の中絶件数は1,063,256件、中絶実施率は全妊娠の42%と驚くべき数値です。その後は、出生率の減少が続いて今日にいたっています。

この本を読めば、明治以降の富国強兵によって政府から強制された時代を除き、生活水準を犠牲にしてまで子どもをつくるというのは日本の伝統にはない考え方であり、生活水準と人口が密接に関連していて、少子化対策として、結婚適齢期にある若者の生活水準の向上が必要だと思います。