彼岸花・・・そのまま食べれば中枢神経が麻痺して死に至ることもある強い毒を持っているが、昭和20年代までは球根を半透明になるまで茹でて、二昼夜ほど流水に晒して毒を抜き、餅にして食べていた。
多くは飢饉などの時の救荒食物だったが、毒があるため年貢がかからない作物だったので、山間では日常の食べ物になっていて、阿波藩、土佐藩などでは栽培が奨励されていたと、宮本常一さんの本には書かれていました。
しかし、貴重な食べ物でもあった彼岸花は、実は日本に自生していた植物ではなく、中国から帰化したもので、日本に生えているすべての彼岸花が遺伝的に同一のものということらしい。
中国から伝わった一株の球根から株分けされて全国に広がっていったなんて・・・はるか昔から貴重な栄養源だったんだという意外な事実と同時に、彼岸花のイメージが変わりました。
みなさんは御存知でしたか?