2012/09/05

村の遊び日

きょうは3冊の本を読んでいます。1冊目は読みかけで置いてあった本です。
「村の遊び日」、著者は古川貞夫さんです。

私が学校で習った日本史はゆがんだものでした。長い間、江戸時代の農民は圧政に苦しみ、休むことなく農作業に従事させられ、悲惨であったと思いこんでいました。

そして、「女工哀史」などからも、休みなく働かされるのが当たり前だったのだろうと思っていましたが、江戸時代はどうもそうではなかったらしいということが、いろいろな本を読むなかで分かってきました。

明治政府による中央集権体制が大きく日本を変えています。富国強兵のために犠牲になったことがあまりにも多いのではないか。最近はそう思ってもいます。

さて、本の話に入ります。私の思い込みのなかでは、江戸時代は盆、正月ぐらいしか休みがないと思っていましたが、江戸時代、幕藩体制下では、民衆の休日を一律に規制していません。

著者は、日本各地の古文書から、当時の休日とその食事を調査しています。

17世紀の後半には、村によって差がありますが、年間20日から30日以内の遊び日(休日)が一般的であったようです。

その後、遊び日は農業生産力の増加とともに増えていきます。休日を決めるのは村の自治の範囲であり、若者組が村役人を説得し増えていきますが、領主からは増えすぎないように規制もはたらきます。

しかし、規制に対しては祭礼を工夫したりして、実質的には休みは増加していきます。

驚くことに、仙台藩の1805年の休日規制令では、「全休」の公認休日が80日に達しており、これ以外に「半日」の休日が存在し、藩領の休日実態はこの規制を上回り、年間休日が100日に達した事例が少なくなかったようです。

しかし、国内での地域差が大きく、少ないところは年間30日台であったようですが、これに天候などによる労働不能日を加えると、それなりにかなりの日数が休みであったようです。

しかし、明治維新後に休日は激減します。祝祭日は盆、正月以外はほとんど無くなっています。戦後になってようやく変わり始めていますが、江戸時代からも遅れています。