2012/05/30

明日は京丹後市議会の6月定例会初日

明日は、始めて議会の外から京丹後市議会をケーブルテレビで見ます。といっても明日は議会人事で、休憩をはさみながらになるのでしょうから、しっかり見れるかどうかはわかりませんが、一市民として、今後2年の議会の方向を決める人事がどうなるのかを見させていただこうと思います。

また、25日の定例記者会見の報道資料平成24年京丹後市議会6月定例会提出補正予算(PDF:583KB)を見て、私なら補正予算の修正を含めた協議を始めるところですが、どのように今の議会が判断されるのかも、注目して見たいと思います。

いずれにしても、議員各位の活発な発言を期待しています。

資料・書類の仕分け整理

これまで、議員になってから保存していた資料・書類を整理しました。平成11年から16年の合併までの大宮町の議案資料等は、今回ほとんど廃棄処理することにし、市議会議員になってからの資料は、確認しながら仕分けしました。資料・書類も多く、仕分け整理に3日以上かかりました。下の写真のように、廃棄する書類が山積みになりました。

仕分け整理をしていて、思いで深い書類もありました。議員になってすぐに、当時の建設省に単身で出向いて勉強させてもらい、その後、関連する資料を送っていただきました。担当していただいた若林さんとは、その後も時々お会いしています。

他にも、農林水産省や自治省、厚生省、国土庁にも電話でアポを取って出向き、勉強させてもらいました。(その後、省庁も再編されましたが、政策も変わっています。資料を確認していると、大きくぶれているものもありました。)

遠慮せずに思いをどんどんぶつけていけば、大抵の人が応えてくれます。話を聴きたい人には直接会って、話をするのが一番効果があるということを実感して、その後、思い立ったらほとんど実行しました。

また、学会やセミナーなどに参加した時は、私自身はあまり飲めないけれども必ず懇親会には参加し、出来るだけ2次会も参加して、いろいろな人と話すようにしていました。

大宮町議会議員時代は、議員報酬は、研修費用に消えていたと思います。

資料・書類を仕分け整理していて、改めて、妻の理解に感謝しなければならないと思いました。

2012/05/27

畑作業3

夕方から畑に出て、トマトなどのわき芽の摘み取りや草取り、水やりをしました。

今、畑で育てている野菜は、トウモロコシ、トマト、ミニトマト、キュウリ、ナス、パプリカ、ピーマン、オクラ、モロヘイヤ、ズッキーニ、カボチャ、ジャンボカボチャ、スイカ、ウリ、ヤーコン、サトイモ、ホウレンソウ、ラディッシュ、ニンジン、モロッコ、ブロッコリー、サニーレタス、ツルムラサキ、シソ、バジル、長ネギ、玉ねぎ、ニンニク、自然薯とじゃがいもです。

じゃがいもはダメもとで植えることができずに残っていた種イモを少し連休に植えました。遅れながらも大きくなっているので、少しは食べれそうです。


あとは、近いうちに金糸ウリ(そうめんカボチャ)とセニョールの苗と、サツマイモの蔓を植える予定です。

区内一斉河川清掃美化事業

きょうは、奥大野区内一斉の用水路・側溝の泥上げ、草刈り作業でした。

天候も良く、7時から全戸が参加して作業を行い、区役員が2tダンプ2台と軽トラック2台で集め、泥やゴミなどは市の最終処分場に運び、草などは農家のたい肥に活用するために農場に運びました。私も区役員の一員として作業し、10時過ぎに終了しました。


吉田秀和さん死去

評論家の吉田秀和さんが、今月22日に急性心不全で自宅で亡くなっていたと昼のNHKニュースが伝えました。

吉田秀和さんの本を初めて読んだのは、中学2年の時、先輩から借りたベーム指揮のモーツァルト「レクイエム」のLPを聴いて衝撃を受け、モーツァルトを聴きだした頃でした。

その頃読んだのが、吉田秀和編「モーツァルト頌」でした。もうすでに35年以上前のことで、ずいぶんその本も傷んでいます。
その頃は「モーツァルト頌」にも取り上げられているゲーテやアンドレ・ジッド、ヘルマン・ヘッセ、スタンダールなどの小説も読んでいたので、モーツァルトが同時代や後世に与えた影響に関心を持ち、吉田さんの他の本も読みましたが、同時期に小林秀雄の「モーツァルト」アンリ・ゲオンの「モーツァルトとの散歩」、スタンダールの「モーツァルト」なども読んでいます。

他にも吉田さんの本とNHK・FMの「名曲のたのしみ」は、クラシックの名曲を聴く上で、広く参考にさせていただき、素直に楽しむことができました。


最後に、「モーツァルト頌」の中のアインシュタインの言葉を引用します。

「死とはどんなものだとお考えですか?」という問に対して、アインシュタインは答えています。


「 死とは・・・・・、モーツァルトを聴けなくなることです。」


吉田秀和さんのご冥福を祈ります。

2012/05/24

財源は「なんともならない」と知った2年間――内閣府参与・湯浅誠さんの辞任の弁

「週刊社会保障」2012年5月14日号のNHKチーフ・ディレクター 小宮英美さんの取材ノートに湯浅さんのことが書かれていました。『財源は「なんともならない」と知つた2年間~内閣府参与・湯浅誠さんの辞任の弁~』です。

湯浅さんが社会政策の財源について、自らの認識の甘さを吐露された部分を引用します。

以下引用・・・・・

財源の問題については、それまでは「何とかなるはずの課題と簡単に考えていた。参与としての2年間は、それが『なんともならない』ことを知った2年間でもあった。その点で『なんとかなる』といって政権を取り、そうはならなかった民主党と同じ」、と正直に告白されています。 

「新規の予算を要求しようと思う省庁は自分たちの所管する予算を削って捻出しなければならない、それに加えて、政策的経費は毎年10%カットしなけれ
ばならないので、他から奪ってこなければならない」その厳しさを知らなかった、というのです。

「政府の中に無駄なお金が大量にあると信じている人が今でもたくさんいて、その矛先は公務員バッシングに向かうが、官の経費を削ることは、長い歴史的背景と長期的展望に立った設計能力が低下していくことを意味する。日本という超高齢社会に見合った財源規模の確保と所得再分配機能の強化をするべきで、増税や社会保険料負担を受け入れていくべきではないか」と、主張されています。

・・・・・引用終わり

民主党の小沢グループは、消費税選挙になれば、小沢チルドレンと呼ばれる一年生議員の大半が落選するとみられるので選挙を避けたいだけです。「総選挙が今あったら、特攻状態だ。出撃したら、何機が戻ってこられるかわかったもんじゃない(小沢)」というのが本音で、財源問題を建前に使っています。

小沢議員はマニフェストの責任を取るのが先(12月3日)」にも書きましたが、湯浅さんのように正直に告白して政治家を辞めてくれる方が良いのですが・・・・・

2012/05/23

坂野潤治氏の本

きょうは、早朝から義父が高熱を出したので、ディ・サービスを利用することができず、家にいました。一人にしておかれないので、私も1日ほとんど家にいました。時間があるので、坂野潤治氏の新書を3冊読みました。

著者は戦前、日中戦争直前まで、民主化が進んでいたことを明らかにしています。二・二六事件の1週間前の総選挙で民正党は大勝します。輸出依存の資本家を支持層に持つ民政党は、一貫して平和を重視し、軍部批判を強め、軍拡に歯止めをかけようとしています。

しかし、本来は平和勢力であるはずの労働者の社会福祉の改良要求に冷淡であったため、資本家を批判し議席を大幅に増やした社会大衆党(社会主義政党)は、陸軍による社会福祉の改良に希望を託して、広義国防論を掲げ軍拡を支持し、ファシズムを後押しして、戦争に突入しています(社会大衆党は社会福祉の改良という政策実現のため陸軍を利用しようとしたのですが、陸軍は支持を利用して軍拡のみに走ります。)。

この本を読んで、昭和12年7月の盧溝橋事件までは民主主義の盛り上がりのなかで、戦争勢力が一方的に平和勢力を圧倒していったのではないことが分かりました。ただ、それだけに問題の根が深いと思うのですが・・・・・

下の2冊は明治維新を扱っています。(後で感想は書きます。)






区費審議会

22日の夜、奥大野区費審議会がありました。

昨年1年間をかけて、これまで明確でなかった区費(自治会費)の基準をつくり、それに基づいて全世帯に新しく決まった区費を通知し、全世帯の区費の閲覧と異議の申し立ての受付をしていました。

機能の審議会では、個人から出された異議申し立てに対し、奥大野区費負担基準要綱に基づき、審査をしました。

個人情報が保護されているなかで、障害者や要介護の状況などについて、区(自治会)では把握できておらず、個人からの異議申し立ての中で適切に区費に反映するしかできません。

また、これまで区費の明確な基準がなかったため、見かけ取り的な部分がありました。新たな基準により大きく区費が変動された方も多かったのですが、不平による異議は少なかったので、良かったと思います。

区域内の住民相互の連絡や、環境の整備、集会施設の維持管理などの地域的な共同活動は必要であり、そのために各世帯の区費負担は必要ですが、住民の理解が前提です。ただ、それぞれの世帯の状況も違い、多様化・高齢化しています。減免規定の見直しなどは今後も必要だと思いました。


(参考)奥大野区の各世帯の区費負担額基準表

義父の発熱

5月6日の孫に感謝に書きましたが、義父は、選挙後に総胆管結石症のため高熱を出し、与謝の海病院に2回入院し結石治療を受けました。

治療していただいて胆管の結石はなくなったのですが、胆のう内には胆石が残っているので、また症状が出るかもしれないとの説明があり、それが原因ではないですが、その後もあまり体調がすぐれない状態が続いていました。

そして、また発熱が続くようになったので、義父の消化器科受診を介助しました。

普段はディサービスに義父を預けて、ゆっくり相手をすることもないのですが、きょうは車いすを押して、採血、検尿、レントゲン、エコー、CT、そして診察、点滴と5時間一緒でした。

アルツハイマーで自分の中の世界にいる義父と、会話になっていないような会話をして、おむつを2回替えて、つくづく、もう自分の中の世界から普通の世界には戻ってこないけれど、本人にとっては関係のない大きなお世話で、義父が自分の時間を生きているのを見ているしかないのだと思いました。

しかし、点滴を受けるまでは、身体がだるかったのか多動ではなかったので助かりましたが、点滴後は、あまり動けないのに何やかやと動こうとするので、目が離せないので困りました。

2012/05/21

再び教育と競争(不平等)を考える

5月12日に書き込んだ教育と競争(不平等)を考えるに関して、ブログを読んでくれている方から意見をいただきました。

その方の考えでは、日本の子ども達は受験戦争で厳しい競争にさらされ、結果平等を目指した教育の中にあるとは思えないとのことでした。

確かに、欧米の先進国では、日本のように、個々の大学が入学選抜において、それぞれ志願者の高校教育達成度を試験で測定するようなことはしていません。欧米では高校卒業という資格と卒業時の試験の成績がそのまま大学入学選抜に使われています。

日本との大きな違いは、12~15歳の観察期間の後に、大学に行ける子どもといけない子どもが実質的に分けられており、早い段階でチャンスを奪ってしまいます。欧米の初等・中等教育の基本的かつ最大の目的とされているのは「知識」と「技能」であり、「心」や「人格」は目的とされていません。

一例をあげれば、それぞれ到達点の異なるいろいろな子どもがいることを前提に、それぞれが不利な扱いを受けないことが「格差のない平等な教育」であるとするフィンランドの高校進学率は57%、大学進学率は31%と日本に比べると低いですが、国民の学力平均は日本より断然高いのが現実です。

フィンランドでは他人が出した成績には関心がないそうです。子ども達の目標は、より高い点数を取ることではなく、将来のために実力をつけることであり、実際に学ぶのは自分であり、自分が何を学びたいのかが重要なので競争は起こらず、個人差は当然あるということを理解しているということです。

日本のように、学力が身についてなくても留年することもなく、中学を卒業した子どもの98%以上が高校に進学し、90%が大学入学資格を得るというのは、世界のなかで比較してみると結果平等に見えます。

2012/05/20

絶対指標ではない幸福度、既得権益者を利する恐れも

日経ビジネスに、「絶対指標ではない幸福度、既得権益者を利する恐れも~大竹文雄・大阪大学社会経済研究所教授に聞く」という記事がありました。京丹後市の幸福度の指標の考え方に疑義を持っている(他に優先すべきことがあると思っている)ので一部を引用します。

以下引用・・・・・・・・

―― ブータン国王が昨年、来日しました。同時にブータンのGNH(国民総幸福度)が注目を浴びました。ではブータンのような暮らしを日本人がすれば幸せになれるのか、という疑問をよく聞きました。

大竹:幸福度の計測には、たくさん問題がありますので、指標として単体で使うというのはとても危険だと思います。それだけを目標にするというのはもっと危険で、変な再分配がいっぱい起こり得ます。

 例えば日本では、中高年の自殺が多いですね。リストラされて、あるいは商売に失敗して自殺する人で、今、年齢的に一番多いのが中高年です。若い人たちの方が低所得で非正規社員の比率が高いという問題があっても、彼らの自殺率は低いです。実は、幸福度も若い人たちの方が高いのです。

では、低所得の若者からかわいそうな中高年に所得を再分配すればいいのか。実際にそうなっているのです。年金の仕組み、つまり若い人の払った保険料で引退した人の生活費を賄うというのは、結局そういうことをやっているわけです。ですから幸福度をもとに再分配政策を行うとすると、年金の世代間格差を放置するのは、正しい政策ということになります。

―― なるほど。幸福度指標から判断すると正しいと。それは変な話です。

大竹GNHだけで何か政策を決めるのは無理でしょう。幸福度の測り方をうまく設計すればできるのかもしれませんが、たぶん限界があると思います。一番簡単なのは、あなたは全体でどのぐらい幸福ですかと聞く設問です。また今日1日にどんな活動をしたか、それぞれについてどのぐらい幸福度を感じたかというのを逐一チェックすればもう少し正確だということで、そうした計測方法を開発したのがノーベル賞経済学者・心理学者のダニエル・カーネマン米プリンストン大学教授です。
しかし、それでも問題が出てきます。人間の幸福感には、現在置かれている状況にだんだん慣れていくとか、周囲にいる他人との比較に左右されるという特長があります。それから、聞かれたらつらいと答えるが、本当はうれしいという感情もありますよね。例えば、子育てをしている最中というのは、もう寝られないしとてもしんどい。

―― 確かにしんどいです。

大竹:聞かれたらそう答えますよね。けれど、基本的には楽しいはずですね、子育ては。だからこそ子どもを持ったのですから。そういう感情もうまく反映できないところがあります。測れないものはたくさんあるのです。答えにくい部分もあるでしょうし。
 ですから経済学者が言う、意思決定のベースとなる効用、満足度をもたらすものは、単にどれだけのものを買ったとか、消費したかという行動だけでは判断がつかないのは当然です。

―― 制度の変更が幸福度にどのように影響するかも、重要なテーマですね。

大竹:現在の雇用システムから違う雇用システムになった方が、みんな幸せになるかもしれない。けれども、今の制度で皆が最適化しているから、制度が変わったら不幸になる人が大勢出ます。一方、解雇や転職が簡単になったら幸福になる人もいる。
 一生懸命、つらいながらも最適化行動を取ってきて、嫌な仕事に慣れた、あるいは結婚後に夫と趣味を合わせたと言う人も大勢いる。せっかくここまでやってきたのに、明日からクビを切られる、あるいは離婚することになった、などと環境が変わったらみんな困るでしょう。でもこれから結婚しようとか、会社に入ろうという人にとっては、つらくなったら離婚できる方がいい、あるいはつらくなったら簡単に転職できる方がいいと言うかもしれない。

―― 様々な経緯を経て現状がある。諦めたこともあるでしょう。その中で幸福感の水準を自分で設定してきたのに、いきなりこっちがいいからこうしましょうと言ったら…

大竹:極端な場合は自殺する人だって出てくるかもしれません。経済学者は、第1にどちらが一番理想的かと考えます。しかし現実には、現状に最適化した人たちが大勢いる。この人たちは悪くいうと既得権者です。しかしそこに現実的な問題があります。その人たちは、新しいシステムに変わった途端に不幸になりますからね。


他にカナダの調査会社と中国の調査による幸福度についての記事を引用します。

幸福度1位はフィジー 加調査会社、日本は中程度
2011.12.31 17:52
 カナダの世論調査会社「レジェ・マーケティング」は30日、世界各国で幸せと感じる人が不幸と感じる人をどれくらい上回るかを比較した調査結果を発表、1位は南太平洋の島国フィジー、2位はアフリカのナイジェリアだった。最下位は東欧のルーマニア。

 平均所得が低い国が高い国を上回る例も多くみられ、同社は「幸福感は、どれだけお金を持っているかではなく、個人が社会で享受する相対的地位によって決まる」と指摘している。今回の調査によって、文化、年齢、宗教などが幸福感に違いをもたらすことがわかった。財政危機に見舞われているスペインも、国民はこれを楽観的に受け止めており、幸福指数は55となった。東日本大震災を経験した日本の幸福指数は47と、カナダと同程度となった。

 調査は2011年11~12月、58カ国の男女5万2913人に対面、電話、インターネットで実施。「幸福に感じる」人の比率から「不幸」の比率を差し引いた「純粋幸福度」で比べた。1位のフィジーは85、最下位のルーマニアはマイナス10だった。その他は、日本47、南スーダン46、アフガニスタン35、米国33、中国25など。世界平均は40だった。(共同)

 中国家庭における幸福感に関する調査研究報告
20111226日、中国社会科学院などが共同でこのほど発表した「中国家庭における幸福感に関する調査研究報告」で、およそ7割の家庭が「わりと幸せ」と感じていることがわかった。幸福の条件は家族の心身の健康と、隣人との良好な関係にあるという。北京晨報の報道。

調査では「家族が心身ともに健康」「両親と仲が良い」「隣人と良好な関係を築いている」と回答した家庭はより幸福感を感じている傾向が見られた。興味深いのは、収入の増加が幸福感に直結するとは限らないとの結果が出たこと。中流層のほうが富裕層よりも幸福と感じている世帯が多かった。

親子での交流時間が長ければ長いほど幸福感は増し、隣人と一切関わりをもたないよりも近しくしていたほうが、安心感という幸福が得られる。最も家庭における幸福を感じている年齢層は3034歳、男性より女性のほうが多かった。

反対に、幸せでないと感じている人々の「不幸の原因」は、「義父母との不和」「夫婦間のコミュニケーション不全」「仕事のプレッシャー」という結果が出た。(翻訳・編集/愛玉
)

2012/05/19

畑仕事2(長ネギの植え替え)

畑仕事は遅れています。

今日、ようやく長ネギの植え換えをしました。他の作物も含めて連作障害を避けるように輪作をしています。 

長ネギを植え換えた後、自然薯の畝が草だらけになっていたので草取りをしました。

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ追悼


 戦後のドイツを代表するバリトン歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウさん(86歳)が18日に亡くなられたとのニュースがありました。1992年には歌手としての活動からは身をひかれ、後進の指導などをされていました。

 ディースカウさんはドイツ・リート(歌曲)の大家でしたが、私が中学生でクラシックを聴きだした頃は、リートは聴かなかったので、リート歌手としてよりもオペラ歌手として、特にモーツァルトのオペラを聴くなかで、「フィガロの結婚」のアルマヴィーヴァ伯爵、「魔笛」のパパゲーノとして繰り返し聴きました。

 その後、ディースカウさんの影響でリートも聴くようになりましたが、リートを聴くようになって「神に近い存在」といわれていた彼の演奏解釈と声質・声の陰影に富んだ音色の素晴らしさが良くわかり、多くの名曲を聴くこともできました。ディースカウさんに感謝しています。

まず、リートです。シューベルトの歌曲集「冬の旅」、「美しき水車小屋の娘」、「白鳥の歌」(上2点と下左)は代表作だと思います。EMIの11枚組セット(下右/限定版・廃版)は、録音は上記より古いですがシューベルト、シューマン、ブラームス、マーラー、ヴォルフ、R.シュトラウス、レーヴェ、メンデルスゾーン、ワーグナー、リスト、コルネリウスのリート作品を聴くことができます。このほかにも、数点聴いています。

次に、テノールとアルト版の方が断然多いマーラーの「大地の歌」(上2点)も素晴らしいもので、左がクレツキ指揮、右はバーンスタイン指揮、どちらも愛聴版です。バッハの「マタイ受難曲」(下2点)は、左がクレンペラー指揮、右はリヒター指揮のどちらも名盤として有名なものです。

オペラでは、モーツァルトの「フィガロの結婚」 のアルマヴィーヴア伯爵(上2点)が素晴らしく、他にも、海賊版ですが、1972年ザルツブルグ音楽祭での「コシ・ファン・トゥッテ」(下左)のアルフォンゾもはまり役と思います(今、これを聴きながら書き込んでいます。ベームの1974年の正規版よりもこちらの方が好きです。)。また、シリアスな役では、R・シュトラウスの「サロメ」(下右)のヨカナーンも素晴らしい歌唱でした。

代表作としては、アルバン・ベルクの「ヴォツェック」の題名役も忘れることができません。非常に強い緊張感に貫かれた演奏で圧倒されました。

 ディースカウさんの冥福を心から祈ります。

「空気」の研究

18日は京都までは電車で行きました。往復に3冊の本を読んでいます。

3冊目は、山本七平著『「空気」の研究』でした。
意思決定にかかわる日本独特の空気について書かれています。一部文章を引用してこの本の紹介します。

統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精緻に組みたてておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが「空気」に決定されることになるかも知れぬ。


もし日本が破滅へと突入していくなら、それを突入させていくものは戦艦大和の場合の如く「空気」であり、破滅の後にもし名目的責任者がその理由を問われたら、同じように「あのときは、ああせざるを得なかった」と答えるであろう。

われわれの社会は、常に、絶対的命題をもつ社会である。「忠君愛国」から「正直ものがバカを見ない世界であれ」に至るまで、常に何らかの命題を絶対化し、その命題を臨在感的に把握し、その"空気"で支配されてきた。そしてそれらの命題たとえば「正義は最後には勝つ」そうならない社会は悪いと、戦前も戦後も信じつづけてきた。そのため、これらの命題まで対立的命題として把握して相対化している世界というものが理解できない。そしてそういう世界は存在しないと信じ切っていた。だがそういう世界が現実に存在するのである。否、それが日本以外の大部分の世界なのである。

「経団連をデモで包囲して全工場をとめて公害を絶滅せよ」という玉砕主義を主張する者は、確かに〝純粋〟である。だがこれで公害が絶滅したということは、「公害という問題が解決した」ことではない。それは人が死ねば病気はなくなるということと同じで、「病気という問題の解決」とは無関係なのである。

太平洋戦争で、「敵」という言葉が絶対化されると、その「敵」に支配されて、終始相手にふりまわされているだけで、相手と自分とを自らのうちに対立概念として把握して、相手と自分の双方から自由な位置に立って解決を図るということができなくなって、結局は、一億玉砕という発想になる。そしてそれは、公害をなくすため工場を絶滅し、日本を自滅さすという発想と基本的には同じ型の発想なのである。

多数決原理の基本は、人間それ自体を対立概念で把握し、各人のうちなる対立という「質」を、「数」という量にして表現するという決定方法にすぎない。日本には「多数が正しいとはいえない」などという言葉があるが、この言葉自体が、多数決原理への無知から来たものであろう。正否の明言できること。たとえば論証とか証明とかは、元来、多数決原理の対象ではなく、多数決は相対化された命題の決定にだけ使える方法だからである。

これは、日本における「会議」なるものの実態を探れば、小むずかしい説明の必要はないであろう。たとえば、ある会議であることが決定される。そして散会する。各人は三々五々、飲み屋などに行く。そこでいまの決定についての「議場の空気」がなくなって、「飲み屋の空気」になった状態での文字通りのフリートーキングがはじまる。そして「あの場の空気では、ああ言わざるを得なかったのだが、あの決定はちょっとネー......」といったことが「飲み会の空気」で言われることになり、そこで出る結論は全く別のものになる。

われわれの祖先が、この危険な「空気の支配」に全く無抵抗だったわけではない。少なくとも明治時代までは「水を差す」という方法を、民族の知恵として、われわれは知っていた。

限界集落の真実

18日は京都までは電車で行きました。往復に3冊の本を読んでいます。

2冊目は、山下佑介著「限界集落の真実―過疎の村は消えるか?」でした。
マスメディアでの扱いから、限界集落はいずれ消えていく集落という否定的なイメージが強くありますが、著者は全国を調査したデータをもとに、まだ高齢化が行き詰まって集落が消滅する事態にまでは至っていないと否定しています。

むしろ、危機をあおりたて、過疎対策としてハード整備や補助金の問題に矮小化してきたこれまでの過疎政策のあり様が問題であるとしています。


過疎地の住民も、長期にわたって補助金行政・メニュー行政に慣らされてきたため、「役場は何をしてくれるのか」としか話ができないようになっているが、こうした根本のところからの発想の転換が必要であり、集落の外や雲の上でなく、限界集落とされるその場所から発する再生論を構想しなければならないと訴えています。私もその通りだと思います。

限界集落対策は坂の上の雲を見るのではなく、集落に関わる人々が今何を考え、どんな行動をし、どこを目指しているのかを起点として考えていくべきですが、そのためには、行政が現場をよりよく知り、現場とつながりを持つ必要があります。

合併しなかった過疎自治体では、過疎債を返す体力もなくなり、有利であっても借りれないところもできています(京丹後市も、交付税の特例が切れると厳しい財政となります。)が、強い危機感がよい意味での意識変化を生みだすきっかけとなり、行政の職員が動き、お金をかけずに手間暇をかけて地域の再生に取り組み始めているところもあるとのことです。繰り返しますが、本書に書かれているように現場を起点に変わっていく必要があります。

他にも、深谷地区活性化委員会での実践を通して、地域再生を始めるにあたって「自分たちが良く見えること」は、欠かせない重要な認識だとも書いています。研修で外へ出ることは、同時に、自分たちを再認識することにもなり、やはり必要です。

また、著者は、「中心にいる人ほど、周辺が見えない構造があり、全体が見えないまま、思い込みから行う実践が、破滅に導くことがありうると思うからだ。不理解から来る破壊的作用。実際、既にこの二十年ほど、我々はそれをどれだけ日本各地で見たことだろう」と指摘していますが、この中心とは、地方から見た霞が関というだけでなく、合併市町村における周辺と中心の関係も同じであるとしています。

そして、「中心の側からは、周辺が見えない。それに対して、周辺は全てを見通している」とも指摘していますが、今回選挙において多くの地域を歩き、多くの方と接してみて、全くその通りで、関係を新しくつくり直すために行政が動くことが必要だと思います。

日本はなぜ敗れるのか ―敗因21カ条

18日は京都までは電車で行きました。往復に3冊の本を読んでいます。

1冊目は、山本七平著「日本はなぜ敗れるのか ―敗因21カ条」を読みました。
「過去を正しく分析しなければ、現在の出来事を正しく見ることはできない」とはチャーチルの言葉ですが、現在の出来事を正しく見ることができないということは、未来を見誤ることでもあると思います。この本は正しく見るために読んだほうが良い本の1冊だと思います。

著者は、陸軍の下級士官として第二次大戦で戦い、終戦後フィリピンで捕虜収容所生活を体験されています。この本では、自身の体験も含交えながら、ガソリンが枯渇するなかでサトウキビから代替燃料ブタノールを精製するために陸軍の技術者として昭和19年1月にフィリピンに派遣された小松真一氏が、終戦後、捕虜収容所で書き、骨壺に入れて日本に持ち帰った「虜人日記」と、そのなかで小松氏が掲げた敗因21カ条をもとに、本書「日本はなぜ敗れるのか」を書いています。

本書のタイトルが、なぜ敗れたのかではなく、なぜ敗れるのかであることに、著者が日本が勝てる見込みのなかった太平洋戦争に戦争に突入し敗れたけれど、戦後も希望的観測で物事を進めようとすることなど日本社会が本質的に全く変わっていないことに対して警鐘を鳴らされていることが分かります。

著者が小松氏の「虜人日記」をもとにこの本を書かれたのは、小松氏が軍人ではなく技術者として戦地に派遣されていたので、軍の名誉とか上官や部下などに気兼ねする必要がなく、結果的に軍を客観的に見て書くことができていたことが大きな理由であり、敗因21カ条もその視点で評価されています。

小松氏の敗因21カ条です。

1.精兵主義の軍隊に精兵がいなかったこと。然るに作戦その他で兵に要求されることは、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやっていた。
2.物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった。
3.日本の不合理性、米国の合理性。
4.将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)
5.精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)
6.日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
7.基礎科学の研究をしなかった事
8.電波兵器の劣等(物理学貧弱)
9.克己心の欠如
10.反省力なきこと
11.個人としての修養をしていない事
12.陸海軍の不協力
13.独りよがりで同情心が無い事
14.兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
15.バアーシー海峡の損害と、戦意喪失
16.思想的に徹底したものがなかったこと
17.国民が戦いに厭きていた
18.日本文化の確立なき為
19.日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
20.日本文化に普遍性なき為
21.指導者に生物学的常識がなかった事

日本は精兵主義で、職人技で体得した兵士でないと扱えない兵器で、しかも、敵が見えないジャングル戦での使用が考慮されていませんが、アメリカは新兵が簡単に扱えるように兵器が設計されており、戦場の状況に対応した兵器があります。

日本軍はあまりに兵士の命を粗末にするので、終いには上の命令を聞いたら命はないと兵士が気づいてしまっているのに、なお機械的に繰り返し続け、自己正当化するのみで、可能な新しい方法を試みるなどの行為には敗北主義のレッテルを張るので、士気は上がりません。

長期戦を呼号していた日本軍には長期戦に耐える準備は何もなく、食料を奪うなど、現地人を敵に回してしまいますが、短期のゲリラ戦を想定していたアメリカ軍の方が山岳地に自給のための畑をつくり何年も耐えうる準備をしており、彼我の差を痛烈に感じます。

日本軍は外面的組織ではすべてが合理的に構成されていて、組織に位置づけられないものは、必要であっても原則として存在しない。しかし、そんなことはあり得ないわけで、全ての組織が現実には不合理性を持ってしまいます。

「生物学的常識」という条項は奇異な印象を受けますが、要は兵士といえども生身の人間であり、食料が必要である、ということなのですね。生物学的な生存の条件が満足されなくては軍隊という組織を維持することができないということが考慮されていません。

組織の外面的な合理性ゆえに、ひとたび無能な人物が重要なポジションに付くと、実行可能性を判断することなく、指示を下へ流します。上から流れてきた指示は実行されなくてはならず、部下が実行可能性に疑問を唱えたところで、耳を傾けることはありません。

組織がひとたびこのような状態に陥った場合、見掛けの上では粛々と運営されているかにみえる組織も、現実と建前が遊離し、実態はぼろぼろであるということにもなりかねません。まさにそういう状況に陥ったのが太平洋戦争の際の日本軍であった、ということです。

このことは、今日の経営組織全般にも当てはまるケースが多いように、わたしには思われます。形式重視の組織形態は、物事が予定通り進んでいる場合は、内部に少々の問題を抱えていたところでうまく運営できるのですが、ひとたび齟齬が生じると、これへの対応がうまくできないことになります。経済危機や大震災への対応も、同じことが繰り返されているように思います。

また、きわめて個人的な体験と絡んだことですが、164ページに卑怯者という見出しで、「卑怯者は危険が近づけば必ず病気になる。」という記述があり、勇敢な者が死ぬ確率が多くなる理由とされていました。最近の自分の体験がオーバーラップし、言わんとしていることに深く納得させられてしまいました。

まだまだたくさん書きたいこともありますが、まずこの本を読んでください。

甲賀市土山町 すごいえぇのう鮎河(農事組合法人)

18日は、知人とともに滋賀県甲賀市土山町鮎河に行き、農事組合法人「すごいえぇのう鮎河」の代表理事組合長小倉剛さん(52歳)から、2時間以上にわたってお話を伺いました。

「すごいえぇのう鮎河」は小倉さん(前列右から3人め)をはじめ、40~30代のメンバーを中心にまとまっておられ、耕作放棄地はありません。。下のパンフレットにあるように20年30年先を見据えた魅力ある地域農業を目指されており、次々と新たな事業に取り組んでおられます。

 鮎河米の香港への輸出が今年度から本格化するとのことで、輸出米については100%が転作にカウントされることと、取引価格も農協の買い取り価格よりも高いことから力を入れておられます。リーダーである小倉さんに脱帽です。

 以下パンフレットと季刊紙です。



上段の写真を見ていただくと、有害鳥獣対策に木製の杭に金網で農地が囲われているのが見えます。鮎河の有害鳥獣対策はしっかりしていました。

  地酒の名前は、上の季刊紙では?となっていますが、地名の「鮎河」になりました。

2012/05/17

社会保障と税の一体改革

 社会保障と税の一体改革に関する衆院特別委員会は、消費増税法案など関連7法案の実質審議に入りました。

 しかし、マスコミが報じるのは、一体改革の中身の話よりも、主には消費税と政局の話のように思えます。

 ですから、国民の関心の多くは、消費税率の引き上げに向けられていますが、健康保険や年金の制度改革が、消費税と同等の負担増になることがあまり知られていません。実際は、消費税を5%上げるだけでは財源が全く足らないのです。

 大和総研の試算では、健康保険や厚生年金の料率変更などによって給与から天引きされる金額が増え、夫婦の一方だけが働く年収500万円(手取り429万円)の4人世帯では、可処分所が2016年に年間で17万円も減少するそうです。同じように、年収1,000万円(手取り781万円)の世帯では、可処分所が年間55万円減少するそうです。

 また、厚生年金への加入義務の対象を広げる動きもあります。2016年度からは週20時間以上で、勤続1年以上、年収94万円以上(従業員501人以上の企業のみ。)に広げようとしています。

 健康保険料率の引き上げや年金の加入枠の拡大は増税と変わらない影響があり、多くの方には、むしろ、こちらの方が負担感が重いかもしれません。

 そして、健康保険や厚生年金の料率変更は労使折半ですから個人だけでなく、企業にとっても大きな負担増になります。

 これまで企業は国際競争に打ち勝つために、総人件費を上げないように努力してきましたが、健康保険や厚生年金の料率変更による人件費の膨張は、確実に企業の競争力を弱めることになると思いますが、対策は議論されていません(北欧ですら、企業に対し競争力を弱める負担を求めていないのに、日本の無策にはあきれます。)。

 小沢一郎は消費税増税に反対していますが、増税が無くてもそれ以外で負担は増えていきます。財政の持続性と世代間の公平性などを考えても、政府案以上の消費税増税は避けられないと思います。

 社会保障と税の一体改革に関する衆院特別委員会での中身の徹底した審議をお願いしたいと思います。

ブータンは幸福な国なのか?~京丹後市がブータン参考に「幸福度」

 今朝のNHKニュースを見ていたら、京丹後市がブータンを参考に「幸福度」導入するとのニュースが流れました。

 以下ニュースの引用です。・・・・・

ブータン参考に「幸福度」導入

 京都府京丹後市は市民が感じる幸福度を重視した市政を進めようと、ヒマラヤのふもとの国、ブータンが提唱している「国民総幸福」という指標を参考に、市民の幸福度を測る指数を市政に導入することになりました。

 京都府北部の京丹後市は、人口の30%を65歳以上の人が占め過疎化が進む地域もあり、市民所得は減少傾向が続いています。


 しかし地元には人のつながりや豊かな自然など都市部と違った魅力もあるとして経済成長だけでなく市民の幸福度をより重視した市政を進めることになりました。


 その一環として、国王による国民の幸福度を重視した国づくりで知られるブータンが提唱しているGNH=「国民総幸福」という指標を参考に市民の幸福度を測る指数を市政に導入することになりました。


 京丹後市は、今年度中に幸福度の測定方法について具体的な検討を進める計画で、必要な経費を補正予算案に計上する方針です。

                                            05月17日 07時05分

 ・・・・・ニュース引用終わり。


ブータンは幸福な国なのか?

 ブータンの「幸福度(国民総幸福量GNH)」は1972年に国王が提唱した国民全体の幸福度を示す尺度で、経済面だけでなく精神的幸福を重視した持続可能で公平な社会経済開発、自然環境の保護、有形・無形文化財の保護、そして良い統治という柱からなるそうですが・・・・・同時に、支配階層のドゥクパ族の優位政策が進められています。

 1985年に国籍法(1958年)を下敷きに公民権法(国籍法)が制定され、国籍付与条件が厳しくなり、国籍を実質的に剥奪された住民が特に南部在住のネパール系住民の間に発生しました。

1988年に国勢調査によって支配民族が少ない事がわかった結果、大きく流れが変わり同化政策が強化されることになりました。

 1989年、「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」を施行し、チベット系の民族衣装着用の強制(ネパール系住民は免除)、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守、教育現場でのネパール語の禁止などが実施されました。ここでの伝統的礼儀作法はあくまでも支配階層ドゥクパのものでしかありません。

 これに反発して、南部ブータンにおいて一部ネパール系住民による反政府デモが展開され、反政府活動グループと警官隊との衝突で死傷者が出る事件も発生しています。その後、デモ弾圧の取り締まりが強化され、ネパール系ブータン人に対する、恣意的逮捕、拷問が激しくなります。

 1991年に入り事態は一応沈静化したものの、1992年には、国家保安令が出され、自主的移住用紙にサインさせられ国外追放にされる難民が増えています。

 人口約67万人のブータンから、総人口の5分の1にもあたる12万人以上の難民が発生しています。ネパール国内にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が建設した7箇所のブータン難民キャンプが存在し、ここに約10万6,000人が生活しています。

 その後、ブータン難民問題は、国連の人権会議に挙げられたり、EU代表団からブータン政府を非難するコメントが発表され、難民問題についての解決を促す欧米からの強力な外交圧力がブータン政府に対して加えられていますが、ブータンがUNHCRのブータン入国を拒否し、難民のブータン帰還プロセスがモニタリングできないため、帰還は不可能になりました。

 2007年11月より第三国定住プロセスが開始されていますが、故郷を奪われた10数万人を排除したままブータンで行われる民主選挙に対し、2008年1月20日、4ヶ所で爆弾テロが行われ、女性1名が負傷しました。

 そして、2011年8月までに,約5万人の移住が完了しています(米約4万2,000人,カナダ約2,400人,豪約2,000人等)。難民の第三国定住プログラムとしては世界最大規模となっています(国連UNHCR協会の公式サイト等参考)
 
 それからブータンの識字率は、なんと42.3%(2009年,人口15歳以上)です。これは世界でも最低のレベルであり、国民の半分以上が、文字が読めないことから、学校教育が無料という名目でも、実際には多くの子供が学校に通っていないのが実態と思われます。

 他にも、集団主義により強制されているなかで、幸福度の調査に問題があることも指摘されています。

ブータンの国王による上からの国民の幸福度を重視した国づくりには光とともに暗い影もあります。

京丹後市は、上から目線であまりにも単純に考えていないか?「ブータン参考に幸福度導入に」疑問を感じます。

市民の幸福度を測る指数を市政に導入するよりも先に、「まちの幸福論 コミュニティデザインから考える」山崎亮著にも書かれているように、地域の課題をそこに住む人が解決すること、多様な生活観を創り出すためのまちと人のあり方を考えるべきだと思うのですが……

2012/05/16

アルトゥーロ・トスカニーニ コンプリートRCAコレクション


 クラシックの話題が続きますが、トスカニーニのセットも買いました。発売予告は1月にあり、本来なら3月には販売される予定であったものが、再三の発売延期となり、きょうになりました。

 トスカニーニ・コンプリートRCAコレクションは、RCAが所有するトスカニーニの録音をリマスタリングしたCD84枚とDVD1枚のセットです。この内容で、予約した時点で6,773円でした。

 トスカニーニはイタリアを代表する指揮者ですが、残念ながらその録音の多くは1940年代と古いものです。クラシックのレコードを聴き始めた最初の頃はベートーヴェンを中心に聴いていましたが、音質は時代相応のものであっても再生するオーディオも粗末なもので、録音が古くても気にならず、すばらしい演奏を追体験できることに感激していました。

 しかし、3000枚を超える大量のレコードの維持管理に困るようになり、すべてのレコードを売却処分してCD に切り替えた時、トスカニーニに関してはCDに買い替えて聴くことはなかったのですが、初期CDとは違いリマスタリングが施されていることと、トスカニーニの演奏が引き締まった素晴らしいものだったのは覚えているので、今回買いました。

 レコードの頃は、録音が古くても高かったと思いますが、リマスタリングの音質も良好で(聴きながら書いています)、85枚で6,773円なら、値打ちはあると思います。

 ただ、カラヤンのセットと一緒になってしまったので、聴き通すのに相当時間がかかりそうです。

 下記のDisc44のみ、重複してCDがあります。トスカニーニの指揮だけでなく、ホロヴィッツのピアノの熱演を聴く事ができます。
収録内容

 【Disc1:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」』(1949年11月28日&12月5日, カーネギー・ホール)
『ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調Op.21』(1951年12月21日, カーネギー・ホール)

【Disc2:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92』(1951年11月9&10日, カーネギー・ホール)
『ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調Op.36』(1949年11月7&9日&1951年10月5日, カーネギー・ホール)

【Disc3:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」』(1952年1月14日, カーネギー・ホール)
『ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調Op.60』(1951年2月3日, カーネギー・ホール)

【Disc4:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」』(1952年3月22日, カーネギー・ホール)
『ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調Op.93』(1952年11月10日, カーネギー・ホール)
『ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番』(1939年11月4日, Studio 8H)

【Disc5:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱」』(1952年3月31日&4月1日, カーネギー・ホール)
[アイリ-ン・ファーレル(Sp), ナン・メリマン(Ms), ジャン・ピアース(T), ノーマン・スコット(Bs), ロバート・ショウ合唱団]

【Disc6:NBC交響楽団】
『ブラームス:交響曲第1番ハ短調Op.68』(1951年11月6日, カーネギー・ホール)
『ブラームス:大学祝典序曲 Op.80』(1948年11月6日, Studio 8H)
『ブラームス:ハンガリー舞曲第1, 17, 20, 21番』(1953年2月17日, カーネギー・ホール)

【Disc7:NBC交響楽団】
『ブラームス:交響曲第2番ニ長調Op.73』(1952年2月11日, カーネギー・ホール)
『ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲Op.56a』(1952年2月4日, カーネギー・ホール)
『ブラームス:悲劇的序曲Op.81』(1953年11月22日, カーネギー・ホール)

【Disc8:NBC交響楽団】
『ブラームス:交響曲第3番ヘ長調Op.90』(1952年11月4日, カーネギー・ホール)
『ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調Op.102』(1948年11月13日, Studio 8H)
[ミッシャ・ミシャコフ(Vn),フランク・ミラー(Vc)]

【Disc9:NBC交響楽団】
『ブラームス:交響曲第4番ホ短調Op.98』(1951年12月3日, カーネギー・ホール)
『ブラームス:ワルツ集「愛の歌」Op.52』(1948年11月13日, Studio 8H)
『ブラームス:運命の女神たちの歌Op.89』(1948年11月27日, Studio 8H)

【Disc10:NBC交響楽団】
『モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲K.492』(1947年11月8日, Studio 8H)
『モーツァルト:交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」』(1946年11月4日, Studio 3A)
『モーツァルト:ファゴット協奏曲変ロ長調K.191』(1947年11月18日, Studio 8H)
『モーツァルト:ディヴェルティメント第15番変ロ長調K.287』(1947年11月18日, Studio 8H)
[レオナード・シャロウ(Fg)]

【Disc11:NBC交響楽団】
『モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調K.543』(1948年3月6日, Studio 8H)
『モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550』(1938年3月7日&1939年2月27日, Studio 8H)
『モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」』(1945年6月22日&1946年3月11日, カーネギー・ホール)

【Disc12:NBC交響楽団】
『ハイドン:交響曲第88番ト長調「V字」Hob.I-88』(1938年3月8日, Studio 8H)
『ハイドン:交響曲第94番ト長調「驚愕」Hob.I-94』(1953年1月26日, カーネギー・ホール)
『ハイドン:交響曲第98番変ロ長調Hob.I-98』(1945年5月25日, Studio 8H)

【Disc13:NBC交響楽団】
『ハイドン:交響曲第101番ニ長調「時計」Hob.I-101』(1946年10月9日&11月6日, 1947年6月12日, Studio 3A)
『ハイドン:交響曲第99番変ホ長調Hob.I-99』(1949年3月12日, Studio 8H)
『ハイドン:協奏交響曲変ロ長調Hob.I-105』(1948年3月6日, Studio 8H )
[ミッシャ・ミシャコフ(Vn), フランク・ミラー(Vc), パオロ・レンツィ(Ob), レナード・シャロウ(Fg)]

【Disc14:NBC交響楽団】
『シューベルト:交響曲第8(7)番ロ短調D.759「未完成」』(1950年3月12日&6月2日, Studio 8H )
『シューベルト:交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレイト」』(1953年2月9日, カーネギー・ホール)

【Disc15:NBC交響楽団】
『シューベルト:交響曲第5番変ロ長調D.485』(1953年3月17日, カーネギー・ホール)
『シューベルト:交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレイト」』(1947年2月25日, カーネギー・ホール)

【Disc16:NBC交響楽団】
『シューマン:交響曲第3番変ホ長調Op.97「ライン」』(1949年11月12日, Studio 8H )
『シューマン:劇音楽「マンフレッド」Op.115』(1946年11月11日, カーネギー・ホール)
『ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲J.291』(1951年10月29日, カーネギー・ホール)
『ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲J.277』(1952年1月3日, カーネギー・ホール)
『ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲J.306』(1952年8月5日, カーネギー・ホール)

【Disc17:NBC交響楽団】
『メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調Op.90「イタリア」』(1954年2月26~28日, カーネギー・ホール)
『メンデルスゾーン:交響曲第5番ニ長調Op.107「宗教改革」』(1953年12月13日, カーネギー・ホール)
『メンデルスゾーン:劇音楽「夏の夜の夢」Op.61~スケルツォ』(1946年11月6日, Studio 3A)
『メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲変ホ長調Op.20~スケルツォ』(1945年6月1日, Studio 8H)

【Disc18:NBC交響楽団】
『チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」』(1947年11月24日, カーネギー・ホール)
『チャイコフスキー:バレエ「くるみ割り人形」組曲Op.71a』(1951年11月19日, カーネギー・ホール)

【Disc19:NBC交響楽団】
『チャイコフスキー:交響曲「マンフレッド」Op.58』(1949年12月5日, カーネギー・ホール)
『チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」』(1946年4月8日, カーネギー・ホール)

【Disc20:NBC交響楽団】
『フランク:交響曲ニ短調』(1940年12月14日&1946年3月24日, Studio 8H)
『サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調Op.78「オルガン付き」』(1952年11月15日, カーネギー・ホール)

【Dics21:NBC交響楽団】
『シベリウス:交響曲第2番ニ長調Op.43』(1940年12月7日, Studio 8H)
『シベリウス:交響詩「ポヒョラの娘」Op.49』(1940年12月7日, Studio 8H)
『シベリウス:トゥオネラの白鳥Op.22-2』(1944年8月27日, Studio 8H)
『シベリウス:交響詩「フィンランディア」Op.26』(1952年8月5日, カーネギー・ホール)

【Dics22:NBC交響楽団】
『ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調Op.60「レニングラード」』(1942年7月19日, Studio 8H)

【Dics23:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」』(1939年10月28日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調Op.93』(1939年4月17日, Studio 8H)

【Dics24:NBC交響楽団】
『ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調Op.95,B.178「新世界より」』(1953年2月2日, カーネギー・ホール)
『コダーイ:組曲「ハーリ・ヤーノシュ」』(1947年11月29日, Studio 8H)
『スメタナ:連作交響詩「わが祖国」~「モルダウ」T.111』(1950年3月19日, Studio 8H)

【Dics25:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」』(1939年2月27日,3月 1日&29日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:七重奏曲変ホ長調Op.20』(1951年11月26日, カーネギー・ホール)
『ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」序曲Op.84』(1953年1月19日, カーネギー・ホール)

【Dics26:NBC交響楽団】
『ブラームス:交響曲第1番ハ短調Op.68』(1941年3月10日&4月14日,12月11日, カーネギー・ホール)
『ブラームス:セレナード第2番イ長調Op.16』(1942年12月27日, Studio 8H)

【Dics27:NBC交響楽団】
『ケルビーニ:交響曲ニ長調』(1952年3月10日, カーネギー・ホール)
『ケルビーニ:歌劇「アリ・ババ」序曲』(1949年12月3日, Studio 8H)
『ケルビーニ:歌劇「アナクレオン(又は「束の間の恋」)序曲」(1953年3月21日, カーネギー・ホール)
『ケルビーニ:歌劇「メデア」序曲』(1950年2月18日, Studio 8H)
『チマローザ:歌劇「秘密の結婚」序曲』(1943年11月14日, Studio 8H)
『チマローザ:歌劇「計略結婚」序曲』(1949年11月12日, Studio 8H)

【Dics28:NBC交響楽団】
『プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調「古典交響曲」Op.25』(1951年10月15日, カーネギー・ホール)
『ショスタコーヴィチ:交響曲第1番ヘ短調Op.10』(1944年3月12日, Studio 8H)
『グリンカ:幻想曲「カマリンスカヤ」』(1940年12月21日, Studio 8H)
『リャードフ:キキモラ Op.63』(1952年7月29日, カーネギー・ホール)
『ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)~第1場「謝肉祭の市場」/第4場「謝肉祭の市場」夕方)』(1940年12月21日, Studio 8H)

【Dics29:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」』(1953年12月6日, カーネギー・ホール)
『モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550』(1950年3月12日, Studio 8H)

【Dics30:NBC交響楽団】
『R・シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」Op.35』(1953年11月22日, カーネギー・ホール)
『R・シュトラウス:交響詩「死と変容」Op.24』(1952年3月10日, カーネギー・ホール)
[フランク・ミラー(Vc)]

【Disc31:NBC交響楽団】
『R・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」Op.20』(1951年1月10日, カーネギー・ホール)
『R・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」Op.28』(1952年11月4日, カーネギー・ホール)
『R・シュトラウス:楽劇「サロメ」Op.54~7枚のヴェールの踊り』 (1939年1月14日, Studio 8H)
『ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~「夜明けとジークフリートのラインへの旅」』(1941年3月17日&5月14日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:ジークフリート牧歌』(1946年3月11日, カーネギー・ホール)

【Disc32:NBC交響楽団】
『レスピーギ:交響詩「ローマの松」』(1953年3月17日, カーネギー・ホール)
『レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」』(1951年12月17日, カーネギー・ホール)
『レスピーギ:交響詩「ローマの祭り」』(1949年12月12日, カーネギー・ホール)

【Disc33:NBC交響楽団】
『ベルリオーズ:交響曲「イタリアのハロルド」Op.16』(1953年11月28&29日, カーネギー・ホール)
『ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」Op.17~第2部』(1947年2月17日, カーネギー・ホール)
[カールトン・クーリー(Va)]

【Disc34~35:NBC交響楽団】
『ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」Op.17(全曲)』(1947年2月9&16日, Studio 8H)
『ビゼー:「アルルの女」組曲より』(1952年8月5日, カーネギー・ホール)
『ビゼー(トスカニーニ編):「カルメン」組曲より』(1952年8月5日, カーネギー・ホール)
[グラディス・スウォザート(Ms), ジョン・ガリス(T), ニコラ・モスコーナ(Bs), ピーター・ウィロウスキー合唱団]

【Disc36:NBC交響楽団】
『ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」』(1953年1月26日, カーネギー・ホール)
『エルガー:エニグマ変奏曲op.36』(1951年12月10日, カーネギー・ホール)

【Disc37:NBC交響楽団】
『メンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」Op.21&61~序曲/間奏曲/夜想曲/スケルツォ/結婚行進曲/終曲』(1947年11月4日, カーネギー・ホール)
『メンデルスゾーン:八重奏曲変ホ長調op.20』(1947年3月30日, Studio 8H)

【Disc38:NBC交響楽団】
『ドビュッシー:交響詩「海」』(1950年6月1日, Studio 8H)
『ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲』』(1953年2月13&14日, カーネギー・ホール)
『ドビュッシー:管弦楽のための「映像」~イベリア』(1950年6月2日, Studio 8H)
『ドビュッシー:夜想曲~雲/祭り』(1948年3月27日, カーネギー・ホール)

【Disc39:NBC交響楽団】
『ガーシュイン:パリのアメリカ人』(1945年5月18日, Studio 8H)
『スーザ:カピタン行進曲』(1945年5月18日, Studio 8H)
『グローフェ:組曲「大峡谷」』(1945年9月10日, カーネギー・ホール)
『バーバー:弦楽のためのアダージョOp.11』(1942年3月19日, カーネギー・ホール)
『スーザ:星条旗よ永遠なれ』(1945年5月18日, Studio 8H)
『スミス(トスカニーニ編):星条旗』(1942年3月19日, カーネギー・ホール)

【Disc40:NBC交響楽団】
『ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲』(1949年11月21日, カーネギー・ホール)
『フランク:交響詩「プシュケ」~第4曲「プシュケとエロス」』 (1952年1月7日, カーネギー・ホール)
『デュカス:「魔法使いの弟子」』(1950年3月19日, Studio 8H)
『サン=サーンス:「死の舞踏」Op.40』(1950年6月1日, Studio 8H)
『ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」Op.9』(1953年1月19日, カーネギー・ホール)
『ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」Op.17~マブ女王のスケルツォ』(1951年11月10日, カーネギー・ホール)
『ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」Op.24~ラコッツィ行進曲』(1945年9月2日, Studio 8H)
『トマ:歌劇「ミニョン」序曲』(1952年7月29日, カーネギー・ホール)

【Disc41:NBC交響楽団】
『ワルトトイフェル:スケーターズ・ワルツ』(1945年6月28日, カーネギー・ホール)
『L.モーツァルト:おもちゃの交響曲』(1941年2月15日, Studio 8H)
『J.シュトラウスII世:トリッチ・トラッチ・ポルカOp.214』(1941年5月6日, カーネギー・ホール)
『J.シュトラウスII世:美しく青きドナウ』(1941年12月11日&1942年3月19日, カーネギー・ホール)
『スッペ:「詩人と農夫」序曲』(1943年7月18日, Studio 8H)
『ポンキエルリ:歌劇「ジョコンダ」~時の踊り』(1952年7月29日, カーネギー・ホール)
『パガニーニ:常動曲Op.11』(1939年4月17日, Studio 8H)
『J.S.バッハ:G線上のアリア』(1946年4月8日, カーネギー・ホール)
『ウェーバー:舞踏への招待Op.65』(1951年9月28日, カーネギー・ホール)
『グリンカ:スペイン序曲第1番「ホタ・アラゴネーサ」』(1950年3月4日, Studio 8H)

【Disc42:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61』(1940年3月11日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調Op.37』(1944年10月29日, Studio 8H)
[ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn), アルトゥール・ルービンシュタイン(P)]

【Disc43:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58』 (1944年11月26日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調Op.15』 (1945年8月9日, カーネギー・ホール)
[ルドルフ・ゼルキン(P:4番), アニア・ドーフマン(P:1番)]

【Disc44:NBC交響楽団】
『ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.83』(1940年5月9日, カーネギー・ホール)
『チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23』(1941年5月6&14日, カーネギー・ホール)
[ヴラディーミル・ホロヴィッツ(P)]

【Disc45:NBC交響楽団】
『チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23』(1943年4月25日, カーネギー・ホール)
『ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ピアノ版)』(1951年4月23日, カーネギー・ホール)
[ヴラディーミル・ホロヴィッツ(P)]

【Disc46:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番』(1945年6月1日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:序曲「献堂式」Op.124』(1947年12月16日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:序曲「コリオラン」Op.62』(1945年6月1日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」序曲Op.84』(1939年11月18日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」序曲Op.43』(1944年12月18日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第2番』(1939年11月25日, Studio 8H)
『ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調Op.135~第3楽章、第2楽章』(1938年3月8&18日, Studio 8H)

【Disc47:NBC交響楽団】
『グルック:歌劇「アウリスのイフィゲニア」序曲』(1952年11月21&22日, カーネギー・ホール)
『グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」第2幕』(1952年11月20~22日, カーネギー・ホール)
『グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」第2幕~精霊の踊り』(1946年11月4日, Studio 3A)
『ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」第1幕~悪者よ、どこへ急ぐのだ』(1945年6月14日, カーネギー・ホール)
[バーバラ・ギブソン(Sp), ナン・メリマン(Ms), ローズ・バンプトン(Sp), ロバート・ショウ合唱団]

【Disc48:NBC交響楽団】
『ロッシーニ:歌劇「アルジェのイタリア女」序曲』(1950年4月14日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「ブルスキーノ氏」序曲』(1945年6月8日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「セビリャの理髪師」序曲』(1945年6月28日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「シンデレラ(チェネレントラ)」序曲』(1945年6月8日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「どろぼうかささぎ」序曲』(1945年6月28日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「コリントの包囲」序曲』(1945年6月14日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「セミラーミデ」序曲』(1951年9月28日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲』(1953年1月19日, カーネギー・ホール)

【Disc49:NBC交響楽団】
『ワーグナー:歌劇「ローエングリン」~第1幕への前奏曲』(1951年2月22日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:歌劇「ローエングリン」~第3幕への前奏曲』(1951年10月22日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~第1幕への前奏曲』(1946年3月11日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~第3幕への前奏曲』(1951年11月26日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」~第1幕への前奏曲』(1949年12月22日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」~聖金曜日の音楽』(1949年12月22日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:序曲「ファウスト」』(1946年11月11日, カーネギー・ホール)

【Disc50:NBC交響楽団】
『ワーグナー:歌劇「タンホイザー」(パリ版)~序曲とヴェヌスベルクの音楽』(1952年11月8日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:歌劇「ローエングリン」~第1幕への前奏曲』(1941年3月17日&5月6日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」~愛の死』(1942年3月19日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」~ワルキューレの騎行』(1946年3月11日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~夜明けとジークフリートのラインへの旅』(1949年12月22日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートの死と葬送行進曲』(1952年1月3日, カーネギー・ホール)

【Disc51:NBC交響楽団】
『モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲』(1941年2月15日, Studio 8H)
『ドニゼッティ:歌劇「ドン・パスクァーレ」序曲』(1951年10月5日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」~6人の踊り』(1945年6月8日, カーネギー・ホール)
『カタラーニ:歌劇「ワリー」~第4幕への前奏曲』(1952年8月5日, カーネギー・ホール)
『カタラーニ:歌劇「ローレライ」~水の精の踊り』(1952年8月5日, カーネギー・ホール)
『プッチーニ:歌劇「マノン・レスコー」~間奏曲』(1949年12月10日, Studio 8H)
『ヴェルディ:歌劇「ルイザ・ミラー」序曲』(1943年7月25日, Studio 8H)
『ヴェルディ:歌劇「椿姫」~第1幕への前奏曲』(1941年3月10日, カーネギー・ホール)
『ヴェルディ:歌劇「椿姫」~第3幕への前奏曲』(1941年3月10日, カーネギー・ホール)
『ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲』(1942年1月24日, Studio 8H)
『ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲』(1952年11月10日, カーネギー・ホール)
『ヴェルディ:歌劇「オテロ」~バレエ音楽』(1948年3月13日, Studio 8H)

【Disc52:NBC交響楽団】
『エロール:歌劇「ザンパ」序曲』(1952年8月5日, カーネギー・ホール)
『フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲』(1952年8月5日, カーネギー・ホール)
『カバレフスキー歌劇「コラ・ブルニョン」序曲』(1946年4月8日, カーネギー・ホール)
『モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲K.620』(1949年11月26日, Studio 8H)
『ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲』(1939年4月1&29日, Studio 8H)
『スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲』(1946年11月17日, Studio 8H)
『トマ:歌劇「ミニョン」序曲』(1942年3月19日, カーネギー・ホール)
『ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲』(1945年6月28日, カーネギー・ホール)
『ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲』(1945年5月25日, Studio 8H)

【Disc53:NBC交響楽団】
『ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第1幕~第3場』(1941年2月22日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第3幕~ワルキューレの騎行』(1952年1月3日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:ジークフリート牧歌』(1952年7月29日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死』(1952年1月7日, カーネギー・ホール)
[ヘレン・トローベル(Sp), ラウリッツ・メルヒオール(T)]

【Disc54:NBC交響楽団】
『ワーグナー:楽劇「ジークフリート」~森のささやき』(1951年10月29日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~夜明け』(1941年2月24日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~ブリュンヒルデとジークフリートの二重唱』(1941年2月, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートのラインへの旅』(1941年2月22日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートの死と葬送行進曲』(1941年5月14日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~ブリュンヒルデの自己犠牲』(1941年2月, カーネギー・ホール)

【Disc55~56:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」Op.72(全曲)』(1944年12月10&17日, Studio 8H)
[ローズ・バンプトン(Sp), エリナー・スティーバー(Sp), ジャン・ピアース(T), ジョセフ・レイドルート(T), シドール・ベラルスキー(Bs), ハーバート・ジャンセン(Bs), ニコラ・モスコーナ(Bs), ピーター・ウィロウスキー合唱団]

【Disc57~58:NBC交響楽団】
『プッチーニ:歌劇「ボエーム」(全曲)』(1946年2月3&10日, Studio 8H)
[リチア・アルバネーゼ(Sp), アン・マックナイト(Sp), ジャン・ピアース(T), フランチェスコ・ヴァレンティーノ(T), ジョージ・チェハノフスキー(Br), ニコラ・モスコーナ(Bs), サルヴァトーレ・バッカローニ(Bs)]

【Disc59~61:NBC交響楽団】
『ヴェルディ:歌劇「アイーダ」(全曲)』 (1949年3月26日&4月2日, Studio 8H)
[ヘルヴァ・ネルリ(Sp), エヴァ・ギュスターブソン(Ms), リチャード・タッカー(T), ジュゼッペ・ヴァルデンゴ(Br), ロバート・ショウ合唱団]

【Disc62~63:NBC交響楽団】
『ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」(全曲)』(1950年4月1&8日, Studio 8H)
[ヘルヴァ・ネルリ(Sp), クローエ・エルモ(Ms), アントニオ・マダーシ(T), ジュゼッペ・ヴァルデンゴ(Br), ロバート・ショウ合唱団]

【Disc64~65:NBC交響楽団】
『ヴェルディ:歌劇「オテロ」(全曲)』(1947年12月4~13日, Studio 8H)
[ヘルヴァ・ネルリ(Sp), ナン・メリマン(Ms), ラモン・ヴィナイ(T), ヴィルジニオ・アッサンドリ(T), レスリー・チャベイ(T), ジュゼッペ・ヴァルデンゴ(Bs), アーサー・ニューマン(Br), ニコラ・モスコーナ(Bs)]

【Disc66~67:NBC交響楽団】
『ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」(全曲)』(1954年1月17&24日, カーネギー・ホール)
[ヘルヴァ・ネルリ(Sp), ヴァージニア・ハスキンス(Sp), クララーメ・ターナー(Ms), ジャン・ピアース(T), ジョン・カーメン・ロッシ(T), ロバート・メリル(Br), ジョージ・チェハノフスキー(Br), ニコラ・モスコーナ(Bs), ノーマン・スコット(Bs), ロバート・ショウ合唱団]

【Disc68~69:NBC交響楽団】
『ヴェルディ:歌劇「椿姫」(全曲)』(1946年12月1&8日, Studio 8H)
[リチア・バネーゼ(Sp), マクシーヌ・ステルマン(Ms), ジャン・ピアース(T), ジョン・ガリス(T), ロバート・メリル(Br), ジョージ・チェハノフスキー(Br), ポール・デニス(Bs), アーサー・ニューマン(Bs), ピーター・ウィロウスキー合唱団]

【Disc70~71:NBC交響楽団】
『ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス ニ長調Op.123』(1953年3月30日~4月2日, カーネギー・ホール)
『ケルビーニ:レクィエム ハ短調』(1950年2月18日, Studio 8H)
[ロイス・マーシャル(Sp), ナン・メリマン(Ms), ユージン・コンリー(T), ジェローム・ハインズ(Bs), ロバート・ショウ合唱団]

【Disc72:NBC交響楽団(&ニューヨーク・フィル*)】
『ボイト:歌劇「メフィストーフェレ」~プロローグ』(1954年3月14日, カーネギー・ホール)
『ヴェルディ:歌劇「十字軍のロンバルディア人」~ここに体を休めよ』(1943年1月31日, Studio 8H)
『ヴェルディ:歌劇「リゴレット」~第3幕』*(1944年5月25日, マディソン・スクェア・ガーデン)

【Disc73~74:NBC交響楽団】
『ヴェルディ:テ・デウム』(1954年3月14日, カーネギー・ホール)
『ヴェルディ:レクィエム』(1951年1月27日, カーネギー・ホール)
『ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」~合唱「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」』(1943年1月31日, Studio 8H)
『ヴェルディ:歌劇「ルイザ・ミラー」~アリア「穏やかな夜には」』(1943年7月25日, Studio 8H)
『ヴェルディ:カンタータ「諸国民の賛歌」』(1943年12月8&12日, Studio 8H)

【Disc75:ニューヨーク・フィル】
『ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92』(1936年4月9&10日, カーネギー・ホール)
『ハイドン:交響曲第101番ニ長調「時計」Hob.I-101』(1929年3月29&30日, カーネギー・ホール)
『メンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」Op.61~スケルツォ』(1926年2月4日, カーネギー・ホール)

【Disc76:ニューヨーク・フィル】
『モーツァルト:交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」』 (1929年3月30, 4月4&5日, カーネギー・ホール)
『メンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」Op.61~スケルツォ』 (1926年2月4日, カーネギー・ホール)
『ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲Op.56a』 (1936年4月9&10日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:ジークフリート牧歌』 (1936年2月8日&4月9日, カーネギー・ホール)
『デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」』(1929年3月18日, カーネギー・ホール)

【Disc77:ニューヨーク・フィル】
『グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」~精霊の踊り』(1929年11月20~22日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「セビリャの理髪師」序曲』(1929年11月21日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「アルジェのイタリア女」序曲』(1936年4月10日, カーネギー・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「セミラーミデ」序曲』(1936年4月10日, カーネギー・ホール)
『ヴェルディ:歌劇「椿姫」~第1幕への前奏曲』(1929年3月18日, カーネギー・ホール)
『ヴェルディ:歌劇「椿姫」~第3幕への前奏曲』(1929年3月18日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー(トスカニーニ編)楽劇「神々のたそがれ」~夜明けとジークフリートのラインへの旅 』(1936年2月8日&4月9日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:歌劇「ローエングリン」~第1幕への前奏曲』(1936年2月8日&4月9日, カーネギー・ホール)
『ワーグナー:歌劇「ローエングリン」~第3幕への前奏曲』(1936年2月8日&4月9日, カーネギー・ホール)

【Disc78:フィラデルフィア管弦楽団】
『ドビュッシー:交響詩「海」』(1942年2月8&9日, アカデミー・オブ・ミュージック)
『ドビュッシー:管弦楽のための映像~イベリア』(1941年11月18日, アカデミー・オブ・ミュージック)
『レスピーギ:交響詩「ローマの祭り」』(1941年11月19日, アカデミー・オブ・ミュージック)

【Disc79:フィラデルフィア管弦楽団】
『チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」』(1942年2月8日, アカデミー・オブ・ミュージック)
『R・シュトラウス:交響詩「死と変容」Op.24』(1942年1月11日, アカデミー・オブ・ミュージック)

【Disc80:フィラデルフィア管弦楽団】
『シューベルト:交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレイト」』(1941年11月16日, アカデミー・オブ・ミュージック)

【Disc81:フィラデルフィア管弦楽団】
『メンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」Op.21&61~序曲/間奏曲/夜想曲/歌と合唱/結婚行進曲/スケルツォ/終曲』(1942年1月11&12日, アカデミー・オブ・ミュージック)
『ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」~マブ女王のスケルツォ』(1942年2月9日, アカデミー・オブ・ミュージック)
[エドウィナ・エウスティス(Sp), フローレンス・カーク(Sp), ペンシルヴァニア大学グリークラブ女声合唱団]

【Disc82:ミラノ・スカラ座管弦楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調Op.21~第4楽章』(1921年3月30日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調Op.67~第4楽章』(1920年12月24日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」Op.24~ラコッツィ行進曲』 (1920年12月24日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『ビゼー:「アルルの女」第2組曲~ファランドール』 (1921年3月11日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『ビゼー:歌劇「カルメン」~アラゴネーズ』(1921年3月31日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『ドニゼッティ:歌劇「ドン・パスクワーレ」序曲』(1921年3月29&30日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『レスピーギ:「リュートのための古風な舞曲とアリア」第1組曲~ガリアルダ』(1920年12月18日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『マスネ:組曲「絵のような風景」~ジプシーの祭り』(1921年3月31日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『メンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」~スケルツォと結婚行進曲』(1921年3月11日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調K.543~第3&4楽章』』(1920年12月18&21日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『ピッツェッティ:組曲「ピサの少女」~ファマグストの岸壁』』(1920年12月21日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)
『ヴォルフ=フェラーリ:歌劇「スザンナの秘密」序曲』』(1921年3月10日, ニュージャージー、カムデン、トリ二ティ・チャーチ・スタジオ)

【Disc83:BBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調Op.60』(1939年6月1日, クィーンズ・ホール)
『ベートーヴェン:序曲レオノーレ第1番』(1939年1月6日、クイーンズ・ホール)
『モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲』(1938年2月6日、クイーンズ・ホール)
『ロッシーニ:歌劇「w}のはしご」序曲』(1938年6月13日、クイーンズ・ホール)
『ウェーバー~ベルリオーズ編:舞踏への勧誘』(1938年1月6日、クイーンズ・ホール)

【Disc84 BBC交響楽団】
『ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」』 (1937年6月22日, 10月21&22日, クィーンズ・ホール)
『ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調Op.21』(1939年10月28日, クィーンズ・ホール)
『ブラームス:悲劇手序曲Op.81』(1937年10月25日、クイーンズ・ホール)

【Disc85(DVD)】
『トスカニーニ~ザ・マエストロ』(完全版)
●当DVDは、波瀾に満ちたトスカニーニの生涯を、貴重な演奏風景の映像、写真、トスカニーニ家のプライヴェート映像をはじめ、ロバート・メリル、ヤルミラ・ノヴォートナ、ヘルヴァ・ネッリ、リチア・アルバネーゼなどトスカニーニと共演を重ねた名歌手たち、そしてNBC交響楽団やニューヨーク・フィルの元楽員、孫のワルフレードへのインタビューなどで構成した1988年制作のドキュメンタリー。案内役としてジェームズ・レヴァインが出演しています。制作は、クラシック音楽のドキュメンタリー制作者として名高いピーター・ローゼン。脚本はトスカニーニやルービンシュタインの伝記、トスカニーニの書簡集などの作・編者として知られるハーヴェイ・サックスです。
●約83分のドキュメンタリー部分に加えて、第2次大戦中の1943年にアメリカの国威高揚のために制作された「諸国民の賛歌」全曲の映像(約16分/ソ連の国家「インターナショナル」部分は削除されたもの)が収録されています。
●海外では2004年に、日本では2005年にDVD化されています。
[演奏シーンの収録映像]
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲(抜粋)[1943年]
ベートーヴェン:交響曲第5番~第1楽章(抜粋)[1952年]
ヴェルディ:歌劇「アイーダ」第1幕・第4幕(抜粋)[1949年]
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」

2012/05/15

カラヤン 1960s

4月の初めに販売予告があり、予約してあった「カラヤン 1960s」が発売予定よりも早く発売され、送られてきました。
カラヤン1960sのCDボックスは、205mmW×205mmD×148mmHの大きなもので、CDラックに収まらないのが唯一の欠点です。
CD82枚組のセットで、中にはレコードの頃に聴いていた録音もありますが、若い頃はオペラを除いてカラヤンをあまり高く評価していなかった(どちらかというと好きでなかった)のと、カラヤンがその後の70~80年代に再録音したものをいくらか聴いていたため、あまり興味を持っていなかったのですが、定評のある録音でありながら11,431円と安かったので、CDのダブリは何枚かありましたが、買ってしまいました。

「カラヤン 1960s」は指揮者カラヤンの1960年代のドイツ・グラモフォン(DG)へのオペラを除くすべての録音が網羅されています。帝王と呼ばれ、欧州楽壇に君臨した頃の充実した演奏で、ほとんどが大変水準の高いものだと思います。

(追記)クラシック入門の頃読んだ批評は何だったのだろう。変な先入観を植え付けられただけだったのかもしれません。しかし、おかげで、重複することなくカラヤンBPOを楽しむことができていますが・・・・・



以下収録内容です。



2012/05/14

日本人は権威や権力が嫌い

 世界の80ヶ国以上が参加した意識調査「世界価値観調査」が、政治や宗教、仕事、教育、家族観などを対象にして1980年代から行なわれています。

 その「世界価値観調査」の2005年調査において、「社会を運営するためには権威や権力が尊重されることは良いことか悪いことか」を尋ねた質問があります。

      社会を運営するためには権威や権力が尊重されることは良いことと回答した比率
         『世界主要国価値観データブック』(同友館)より  橘玲公式サイトより転載
グラフを見て、これほど国によって違いがあるのかと驚き、また、日本が異常に低いことにも驚きました。

2012/05/13

京都府北部地域・大学連携機構設立記念シンポジウム


 午後は、成美大学で午後1時から開催された「京都府北部地域・大学連携機構設立記念シンポジウム」に参加しました。
 開会のあいさつが、代表理事の冨野暉一郎龍谷大学教授からあり、機構設立の思いが京都府北部における公共的・地域的活動に関わる幅広い人材の体系的育成、地域と大学とのコーディネート、ひとおこし・ことおこしのためのプロデュースにあることなどの話がありました。

 続いて、山田知事による「京都府北部地域・大学連携機構に期待する役割」についての基調講演がありました。

 知事は、京都北部・中部においての道路などの社会インフラの基盤整備は進んだが、一向に明るい兆しが見られないなかで、ソフト面での人づくりができていなかったと話し、地域で民間が担っている公共的部分を支える人が不足しており、若年層が都市部へ流出している状況下で後継者育成に対処できていなかったことを踏まえ、機構による地域公共人材の体系的育成への期待と必要性を話されました。

 また、地域資源の活用と地域の個性に目を向けた地道な取り組みと地域を支える人材の育成(今住んでいる人が自分たちで地域を担っていくための人材の育成)、ソーシャルビジネスなど、地域課題解決につながる新たな産業・雇用の創出支援への期待など、基調講演において、京都府の思いを聞くことが出来ました。

 その後、これまでの大学連携で推進してきた4つのパイロットプロジェクト事業の紹介があり、最近私が感じていたマーケットリサーチの必要性について、舞鶴市から報告がありました。

 そして、休憩後に「地域・大学の協働による地域づくり・ひとづくり」と題されたパネルディスカッションがあり、気付きの大切なこと、コミュニケーションをとることや、行政の職員が地域に出ていくモチベーションを上げることなど、日頃から思っていることに近い発言がパネラーからあり、考えが間違っていないことが確認できました。

秋のパンプキンフェスティバルに向けて


 今年も、パンプキンフェスティバルが9月9日(日)に常吉村営百貨店で開催される予定になっています(昨年のフェスティバルについてはパンプキンフェスティバルをクリックしてご覧ください。)。

 昨年、一昨年と2年連続でジャンボカボチャに挑みましたが、26kgが最高でした。
(上の写真は昨年の26kgのカボチャです。)

 今年も、ジャンボカボチャに挑戦すべく苗を買いました。苗2本で1口、参加料が1000円です。

 また、きょうはジャンボカボチャの苗の販売とともに「古賈市(ここいち)」と名付けられたフリーマーケットが開催されていました。
古本やレコード、 骨とう品などが売られていました。            
 古賈市で売られていた80年代の阪神タイガースの月刊誌は30年以上前のものにしては汚れ・焼けのない保存のよいものでした。懐かしいものがたくさんありました。

産業振興におけるマーケティングリサーチ


 付加価値の高いものづくりが必要だという声を聴きました。しかし、価値の高いものをつくれば売れるという考え方には限界があると思います。

 国家全体の経済活動水準も、生産要素がどれだけあるかとか、技術水準がどれくらいであるかといった供給側(サプライサイド)では決まりません。
 
 国家全体の経済活動水準は、国家戦略で生み出される市場の需要の大きさで決まります。需要が少なければ当然生産水準は低くなり、生産に見合った市場需要の創造ができなければ、生産余剰によるデフレ不況になります。

 韓国は、自国の市場が小規模であったため、需要を戦略的に国外に求め、現地の徹底したマーケティングリサーチを行い、消費者のニーズに即した物をつくり成功しましたが、日本は国家戦略が描けないまま市場が縮小しています。

 同じように、自治体の産業振興においても、需要に関する視点が不可欠であり、マーケティングリサーチが必要だと思うのですが、多くの場合不足しており、京丹後市においても不足しています。

 宮城県地方には、「貧乏人が20軒あれば店屋が成り立つが、金持ちが20軒あったのでは店屋がつぶれる」ということわざがあったそうです。

 これは、貧乏人の20軒は借りて使って金のできた時に支払うため、品ぞろえが少なくて少々高くついても、近くに店屋があることが便利なのですが、金持ちは遠くの大きな店へ買い物に行ってしまうため商売にならなかったということで、昔から、買う者(需要側)のありようによって売り手(供給側)は規定されることを物語っています。

 京丹後にはいいものがたくさんあるというだけでなく、マーケティングリサーチに力を入れることが必要だと思います。



2012/05/12

教育と競争(不平等)を考える

初めに、宗メールを引用します。

・・・・・・前半省略・・・・・・・

「日本の教育はダメではなく、私の教育方針に合わないからです」と答えるの
が精いっぱいでした。その後のやり取りはここで公開する訳にもいかないので
しませんが、要は日本の教育は強い人間を育てないと私が思った次第です。

優しさ、思いやり、平等、公正・・・一般論でいえば、日本の学校は中国の学
校よりはるかに良いと思います。しかし、日本の学校には競争およびこれに伴
う挫折の体験が少なく、当然その挫折から立ち直るための体験や教育もできません。

私の子供が中国の学校を嫌う理由の一つは先生の乱暴さです。子供の前で間違
った宿題をバリバリ破ったり、勉強できる子とできない子への態度が全然違っ
たりします。最初に日本の学校を経験した息子にとってどれもショッキングな
話で、おまけに給食が不味いです。

一年に一度の運動会も競争に意欲満々の上、何らかの項目に勝てそうな生徒を
選んで入場式や試合に参加させますが、意欲がなく弱い子は席に座って応援す
ることになります。どうしても嫌だったら学校に来なくてもいいと言われる始
末です。

読者の皆さんがどう思うかは想像できませんが、私にとって全然苦痛のことで
はありません。昔、私も同様な環境下で育ったので運動会というのはそんなも
んだと思ったからです。参加したい人、強い人が競争し合ってクラスや学級に
メダルや優勝旗を勝ち取ります。意欲がない人、弱い人が応援してもいいです
し、勝手に遊んでも先生に言われないので炎天下の席で我慢するよりましだと
思うのです。

・・・・・・・途中省略・・・・・・・

子供がついていけない時や競争に負けた時、私はチャンスだと思っています。
頑張って挽回するのもいいですし、自信を失い苦しむのもいいです。だって大
人の世界はそればかりではありませんか。先生が乱暴だといっても私は気にし
ません。なぜならば社会に出ると上司と顧客に乱暴な人が多いからです。

競争に勝つのは競争に参加する目的ではありません。競争に慣れること、負け
てもやっていけることこそ、競争参加の目的です。

オンリーワンを通してもいいですし、個性的で好きなことをやってもいいです。
しかし、どんなことをやっても結果として競争に参加しなければならないこと
は多いのです。負けるのが嫌で競争アレルギーを持つ人はオンリーワンも個性
も守り通すことができません。

「世界に一つだけの花」。SMAPのこの歌の中国語バージョンもあります。その
歌詞は微妙に違います。日本語の歌詞には「負けてもいい、俺がオンリーワン
だから」に聞こえますが、中国語歌詞は「負けてもいい、立ち直って取り戻す
から」に聞こえます。

・・・・・引用終わり

 日本の教育は、世界の中で異質な存在です。

 世界の教育行政関係者にとっては、良いことはすべての子どもに与えるという平等システムから社会に準じた不平等システムへの移行をどの年齢に設定するのかが問題となっていますが、北米や北欧の「平等」が機会均等と同義であるのに対して、日本の「平等」のみが結果平等を目指しています。

 また、西欧のいくつかの国では、子どもが生まれた直後に不平等システムに組み込まれていたり、幼稚園の時点から所定の能力がなければ留年が当たり前となっていて、日本でいうところの小学校1年生において、学級内で5歳から8歳までの年齢のばらつきがあります。

 一部には、フィンランドの教育が競争がないからと、高く評価されている方もありますが、テストも通知表もあります。現実は、日本のようにわからないままでも進級することは許されず、義務教育段階で留年があり、また、中学の内申点で高校入試が決まるため、高校浪人も多くあります。

 それぞれ到達点の異なるいろいろな子どもがいることを前提に、それぞれが不利な扱いを受けないことが「格差のない平等な教育」であるとするフィンランドと、全ての子どもの教育の外形的な最終結果を同一にすることを「格差のない平等な教育」であるとする日本では、競争や平等に対する考え方が全く違うことが理解されていません。