5月12日に書き込んだ教育と競争(不平等)を考えるに関して、ブログを読んでくれている方から意見をいただきました。
その方の考えでは、日本の子ども達は受験戦争で厳しい競争にさらされ、結果平等を目指した教育の中にあるとは思えないとのことでした。
確かに、欧米の先進国では、日本のように、個々の大学が入学選抜において、それぞれ志願者の高校教育達成度を試験で測定するようなことはしていません。欧米では高校卒業という資格と卒業時の試験の成績がそのまま大学入学選抜に使われています。
日本との大きな違いは、12~15歳の観察期間の後に、大学に行ける子どもといけない子どもが実質的に分けられており、早い段階でチャンスを奪ってしまいます。欧米の初等・中等教育の基本的かつ最大の目的とされているのは「知識」と「技能」であり、「心」や「人格」は目的とされていません。
一例をあげれば、それぞれ到達点の異なるいろいろな子どもがいることを前提に、それぞれが不利な扱いを受けないことが「格差のない平等な教育」であるとするフィンランドの高校進学率は57%、大学進学率は31%と日本に比べると低いですが、国民の学力平均は日本より断然高いのが現実です。
フィンランドでは他人が出した成績には関心がないそうです。子ども達の目標は、より高い点数を取ることではなく、将来のために実力をつけることであり、実際に学ぶのは自分であり、自分が何を学びたいのかが重要なので競争は起こらず、個人差は当然あるということを理解しているということです。
日本のように、学力が身についてなくても留年することもなく、中学を卒業した子どもの98%以上が高校に進学し、90%が大学入学資格を得るというのは、世界のなかで比較してみると結果平等に見えます。