2013/01/19

失敗の本質・ガバナンス

18日も数人の方と懇談しました。久しぶりにお会いする方が多く、昨年の今頃に市長選への出馬のため議員を辞職した話からはじまり、農業経営の課題や、公民館活動、地区体制などについて情報交換しました。

19日は、大阪大学中之島センターで開催される「谷岡塾~自治体職員・議員向け連続講座第1回~」に参加しますが、きょう、参考文献の戸部良一他著「失敗の本質」と、猪口孝著「ガバナンス」を読み終えました。

 「失敗の本質」は何年ぶりかの再読です。この本は必読です。

日本軍はなぜ大東亜戦争に負けたのか、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦を事例に、日本軍の組織的な欠陥を分析しています。

組織的欠陥は戦後も受け継がれ、18日に読んだなぜ、日本企業は「グローバル化」でつまずくのかでのグローバル化につまずいています。

ガバナンスの概念、戦後日本政治のガバナンスについて書かれた学術書です。

2013/01/18

なぜ、日本企業は「グローバル化」でつまずくのか

ドミニク・テュルパン、高津尚志 共著「なぜ、日本企業は「グローバル化」でつまずくのか~世界の先進企業に学ぶリーダー育成法~」を読みました。

著者の一人ドミニク・テュルパン氏は、1981年に日本の驚異的な成長を学びたいとフランスから日本に留学しています。

海外進出した日本企業は、現地の工場を日本化することでそれなりに成功していましたが、テュルパン氏の目に当時の日本は、もう海外から学ぶものはないという傲慢な態度が見受けられ、工場管理のマネジメントには成功したものの、多様性(ダイバーシティ)のマネジメントは苦手であり、海外のM&Aは失敗しました。

日本は1992年までの10年間、世界競争力(企業が競争力を持続できるような環境を生み出し、維持する国力)トップの座にありましたが、2011年には26位まで後退しています。

日本にいると日本製品があふれていて気づきませんが、世界の市場において、日本製品のシェア率も下がっています。G20全体で世界のGDPの85%を占めますが、日本新興国市場での展開に立遅れ、G7の時代から拡大ができていません。

「日本企業は欧米市場では成功を収めたが、新興国での展開がほとんどできていない。欧米での成功に、あまりにも長い間酔っていたのではないか。」といわれています。中国の輸出の約6割は新興国向けで、アフリカ諸国やブラジルなどに積極的に投資しています。

日本企業は円高でつまずいたといわれる方もあるとは思いますが、多くの日本企業が組織・マネジメントに問題があり、円高がさらに追い打ちとなったと考えるべきだと思います。

著者が考える日本企業のつまずきの要因は、
①競争優位でない「高品質」にこだわり続けた・・・・・デジタルテレビにおいて、世界各国の市場でテレビに一定以上の品質を求めてプレミアムを払う消費者が少ないのに、消費者から求められていない高画質を追求して、消費者に評価されず価格にも転嫁できない。

②生態系の構築が肝心なのにモノしか見てこなかった・・・・・デジタル技術を活用して気軽に音楽を聞くためにアップルはipodをシステムとして生み出しましたが、ソニーは音質のものづくりこだわりました。良い物をつくれば売れるという考えで技術で勝ってビジネスに負けます。

セイコーの時計は、開発した画期的な正確さを誇るクォーツ技術により世界のトップに躍り出、さらなる技術品質の追求を進めましたが、装飾品としての美しさを追求したスイスのメーカーに敗れました。今やセイコーはブランドマネジメントの失敗例とされています。

③地球規模の長期戦略が曖昧で、取り組みが遅れた
④生産現場以外のマネジメントがうまくできなかった
・・・・・商品開発やマーケティング、営業での立遅れ。現地人スタッフの軽視。

著者はこれらのつまずきの要因を生み出したのは、人材への投資、特にグローバルな人材育成のための投資ができていなかったことにあり、グローバル企業の先進事例を学び、地球規模で活躍するリーダーを育成することが日本企業の未来を切り開くと、先進企業の事例を上げて提言しています。

日本は世界のなかの一つの国であることを意識した、グローバル・マインドを持ったリーダーが各分野に育つことが必要だと思います。




2013/01/17

第1回倉垣京力農場プラン調整部会

私の地元奥大野区では、昨年の12月13日に、将来の地域農業づくりを考えるために、「倉垣地域農場づくり推進協議会を立ち上げました。

ここでの「倉垣」は奥大野が室町時代には「倉垣庄」と呼ばれていたことに由来しており、大宮第2小学校が統合新設される前の地域の小学校も「倉垣小学校」でした。

さて、きょうも数人の方と懇談しましたが、夜は、協議会のなかの調整部会の第1回会合でした。


きょうの調整部会では、まず、協議会で決めたアンケート、地区内農地の農業者と地権者131人に実施する聞きとりアンケートについて、担当を割り当てて、今月中に実施することとしました。

そして、協議会のメンバー全員から提出された「奥大野地域が抱える農業・農村の現状・課題と対策」について共有するために確認し、さらに付け足すべきことがないか持ち帰って検討することとしました。

アンケートでの意見の反映も含め、調整部会でプランづくりを進めていきます。


日本農業への正しい絶望法

神門善久著「日本農業への正しい絶望法」を読みました。

著者は耕作技能が低下していることに、日本農業の最大の問題があるとしています。

かつて、日本には優れた耕作技能があり、おいしくて安全な作物をつくっていたが、どんどん死滅している。技能がないから農薬依存と名ばかり有機栽培により、栄養価も低下している・・・・・といった、農業の現状に対して厳しい意見がならんでいます。

そして、農業の技能が劣化した原因は、農地利用の問題、消費者の舌の劣化(良い物がわからない),マニュアル化した農業、問題の本質を見ないで思い込みだけで農業を美化するだけのマスコミと識者などにあるとしています。

著者は農業と農村の抱える問題をしっかり見て厳しく問題提起しており、筋が通った読み応えのある部分もあります・・・・・しかし、相対的に批判することが目的化しているような極端な・・・・・本のタイトルが「日本農業への正しい絶望法」ではそれでもしかたがないか。

でも、視野を広げるためにも一読の価値がある本です。

2013/01/16

第3回 大宮南地域里力再生協議会

午後7時30分より、奥大野公民館にて、第3回大宮南地域里力再生協議会。

今回から、上常吉地域も参加となり、大宮第2小学校区の5地域が揃って里力の再生に向けて取り組むことになりました。

きょうの協議会では、新たに上常吉のメンバーが参加したなかで、改めて委員の自己紹介、新役員の承認を行い、本題である「地域における現状と課題および課題を克服するための対策についての検討」に入りました。

各地区のイベントでの課題、南地域としてのイベント(スポーツ大会など)の取り組み、伝統行事継続のための支援策、崇山・磯砂山・平地地蔵・女池・白糸の滝などの大宮南の魅力を発信するマップやホームページの作成、つねよし百貨店と畔蔵の活動支援と地元利活用の拡大、昔の遊びや風習など、伝統を次代に伝える取り組み、高齢者対策、公民館活動の充実、有害鳥獣対策など地域として取り組むことは山のようにあります。

今後、課題と対策を絞りながら、計画づくりと平成25年、26年からの事業化を目指します。

次は、31日に役員会です。

ヒーローを待っていても世界は変わらない

湯浅誠さんの著書「ヒーローを待っていても世界は変わらない」を読みました。

湯浅さんについては、財源は「なんともならない」と知った2年間――内閣府参与・湯浅誠さんの辞任の弁://iezukuridaidou.blogspot.jp/2012/05/2.htmlを書いてから気になっていたので、この本も読みました。

湯浅氏は、民主主義は面倒くさくて疲れるものだ。でも、だから目を瞑ってしまうのではなく、事実を直視することからはじめることが必要だということを、内閣府の参与としての経験から導き出しています。

民間やNPOなどの仲間内での活動では共通理解は簡単に出来上がります。しかし、外の世界は前提が通じないため「外の世界は無理解だ。わからずやだ」と切り捨ててしまいます。「この指とまれ」方式の活動ならそれでも何の支障もありません。

しかし、行政では、「反対する人のお金(税金)も使う」ことから、合意をつくる努力が必要になります。関係ない他人のニーズを「既得権益」とレッテルを貼って攻撃することでは、自分の生活のニーズを満たすことはなく、社会全般の停滞すらまねくことにもなりかねません。

いろんな人の利害が交錯している事象を簡単に白黒つけるやり方は、効率的に見えて実は多くの人の利益を排除し、デメリットをもたらします。白黒がはっきりしていないことが多いなかで水戸黄門の魔法のボタンは存在せず、「効率性」と「決める」ことを善として性急に決めようとすれば民主主義は形骸化してしまいます。

民主主義とは利害関係を辛抱強く調整して決めることであって、決定へ至る面倒な調整作業を放棄したら、逆に何も決められない、何も変わらないと指摘しています。

これまでも「強いリーダーシップ」待望論とともにヒーローが求められてきましたが、求めても裏切られる幻滅のサイクルしかなく、政治不信が深化しています。

ヒーローを待望し、ヒーローにすべてを預けるのではなく、気付いた人が現実に関わりをもって一歩一歩改善へ向かって「行動」し努力しなければ、何も変わリません。

2013/01/15

京都府議会・出前議会

きょうの午後、福知山市の成美大学で開催された京都府議会 総務・環境常任委員会の出前議会の傍聴に行きました。


出前議会のテーマは「京都府北部地域・大学連携機構について」でした。

まずはじめに、京都府北部地域・大学連携機構の代表理事の富野龍谷大学特任教授より、組織概要、運営体制、取り組んでいる4パイロット事業と、課題について概要説明があり、その後、機構関係者パイロット事業関係者に対しての質疑となりました。

京都府北部に大学が成美大学の1校しかなく、しかも、成美大学が単科大学であることから、京都府北部地域・大学連携機構は、成美大学にプラスとなるだけでなく北部にとっても価値あるものになっています。

府議会議員のなかから、成美大学の学長に地域への経済効果や貢献を求める意見がありましたが、大学経営が厳しい時代にあるなかで、より地域が大学をどう支え協働していくのかという視点が必要だと思いました。

現場に議会が出て、何ができるのか、現場の課題は何なのかを議会は把握して政策に反映できるのか、出前議会が成果を出していくことを期待します。

2013/01/14

バブルの歴史

きょうは一日雨でした。音楽を聴きながら、頼まれていた2軒の民泊登録用の図面を書き、本を読みました。

きょう読んだ本は、エドワード・チャンドラー著「バブルの歴史~チューリップ恐慌からインターネと投機へ~」でした。

投機の歴史は紀元前2世紀まで遡ることができます。紀元前2世紀ノローマの金融制度は、金利を払えば借金することができ、両替商も存在し、銀行手形も使えるようになっています。

しかし、中世の封建制度のもとで金融取引の多くが不要になりましたが、中世後期には市場性のある国債が発行されるようになります。そして経済の成長が続き、1637年に歴史的に有名なオランダでチューリップバブルが崩壊します。

チューリップバブル、南海バブル、鉄道バブルなど、数多くのバブルが豊かな国で起こり、いつも突然弾けて終わりますが、バブルが何故起こり、どのように崩壊していくのかを興味深く読むことが出来ました。

そして、バブルが弾けることで経済の覇権も変わっていいます。

日本では、1956年から1986年の30年間で消費者物価は400%上昇していますが、驚くことに地価は5,000%も上昇しています。土地の売却を抑え、不動産市場の流動性を抑える税制が、土地登記を奨励する結果になっていました。(昨年ワシントン州に研修に行った際、「サブプライムは日本のバブルほどの問題ではない。日本ではバブルによってお金持ちですら土地が買えないほど地価が上昇したが、サブプライムでの地価の上昇は低いから、立ち直りは早い。」ということを聴きましたが、バブルやリスクに対して感じ方・考え方が全く違うようでした。)

今後も、バブルは繰り返し起こります。




孤独なボウリング

ロバート・D・パットナム著「孤独なボウリング~米国コミュニティの崩壊と再生~」を読みました。

この本はソーシャル・キャピタルについて書かれた名書でもあり、ぜひ読みたいと思っていた本です。
著者は、アメリカ社会において、歴史的にアメリカでのソーシャル・キャピタルが形成されてきた経緯と社会への影響と、1960年代以降に自発的な組織への参加やインフォーマルな人のつながり(ソーシャル・キャピタル)が衰退していること、そして多くの悪影響が生じてきていることを膨大な資料により検証しています。

ソーシャル・キャピタルの衰退とともに、他者への信頼が世代を追うごとに下がっていき、地域社会がつながりをなくしてしまいます。

パットナムは書いています。「あなたの穀物は本日刈り入れ時である。私のものは明日になるだろう。お互いにとって有益なのは、今日は私があなたとともに働き、そして明日はあなたが私を助けることである。私はあなたに親切心を持たず、あなたが私にそれをわずかしか持たないことも知っている。したがって、あなたのために骨折るようなことは私はしない。もし見返りを期待して、自分自身のためにあなたとともに働いたとしても、私は裏切られ、あなたの恩返しを期待したことが無駄となるであろうことを知っている。ゆえに私は、あなたを一人で働くままとする。あなたも私を同じく扱う。季節はめぐる。そして、われわれ双方とも、相互の信頼と安心の欠如のゆえに自らの収穫を失うのである。」

人のつながりソーシャル・キャピタルが社会にとっていかに重要であり、構築しなければならないものであるかをパットナムは訴えています。

娘と孫の見送り

日付が変わってしまいましたが、13日は、育休の最後、実家に帰ってゆっくりすることもできなくなるからと年末の30日から帰省していた娘と孫(途中、婿さんの実家にも行ってました)を駅のホームで見送り。




10日ほど孫との楽しいふれあいの時間を過ごすことができました。娘は育休が開けたら仕事に保育所への送迎とたいへんでしょうが、次に会う時を楽しみに普段の生活に戻ります。

2013/01/13

体罰は日本的ではない


体罰について容認する意見も聴きますが、私は体罰は全く日本的でないし良くないと考えています。





本などで調べるなかでは、江戸時代の寺子屋では体罰に対してきわめて慎重であり、羞恥心や恐怖心を適度に利用したりすることが主だったようです。

明治以前に日本に来た外国人の多くも、日本では子どもに対する体罰がほとんど行われていないことを書き記しています。

そして、明治12年に制定された「教育令」には体罰禁止規定が明文化されていますが、これは、学校体罰禁止の西欧最先進国であるフランスが教育令に規定する8年も前です。

最も早く体罰禁止規定が明文化されたのは、日本人が培ってきた伝統として、子どもを7歳までは神のうちと考えていたから、体罰がなじまないという考え方が定着していたのだと思います。

なじまなかったはずの体罰が肯定されるようになるのは日露戦争前後で、体罰の乱用に決定的影響を与えたのは、帝国陸・海軍の教育方法であり、軍隊が教育の場のモデルとなっています。

江森一郎著「体罰の社会史」では、『上下(先輩、後輩)関係を根幹としたうっぷんのはけ口として、私的制裁・体罰の場を用意することになったのであろう。この典型が森有礼、文部大臣がもっとも重視して軍隊モデルに改造した新教育の寄宿舎生活の場であったことはよく知られている。・・・・・しだいに蔓延する当時の教師による体罰の根源はここにあったのである。・・・わが国の近世(江戸時代)教育史に比べると、「西欧の教育史は体罰史である」と言ってもよいほど体罰で色どられている。(ちなみに、中国近世においてもそうだった。)』と書かれています。

また、渡辺京二著「逝きし世の面影」第10章子どもの楽園を読むと、外国人から見て日本は子どもの天国であり、『・・・・・これは婦人の言ったままの言葉だが、日本人は子どもを怖がっていて服従させることができない。むしろ彼らは子どもを大事にして見捨ててしまう」。つまり日本人メイドは、子どもをいやいや服従させる手練手管を知らなかったのだ。日本の子どもには、親の言いつけをきかずに泣きわめくような習慣はなかった。だから日本人の召使はそういうフランス少女を、どう扱ってよいかわからなかったのである。そしてまた、後述するように日本の子どもは、おとなが楽しむときに一人個室に追い払われることもなかった。』と書かれています。

それから、体罰については、2002年にアメリカで、体罰について大がかりな研究調査がされています。
http://www.endcorporalpunishment.org/pages/pdfs/Gershoff-2002.pdf

Corporal Punishment in Children – What Does It Accomplish?http://www.psychpage.com/family/disc.html


この研究調査では、全米の約36,000人を対象に、約60年前までさかのぼって体罰の影響を調べています。その結果、体罰を受けた子どもは、その時には、親の命令に従う、といった「効用」があるが、一方で、長期的には、

1.攻撃性が強くなる
2.反社会的行動に走る
3.精神疾患を発症する

などのさまざまなマイナス面が見られることが判明しています。

京丹後塾新年会

12日夜は京丹後塾新年会。ことしから塾員として活動します。




獣害対策で地域づくり

12日午後1時から、神戸大学篠山フィールドステーション出「獣害対策で地域づくり」に参加しました。






僕ら地域おこし協力隊出版記念セミナー

11日の6時30分から、学芸出版社で、「僕ら地域おこし協力隊」出版記念セミナーに参加しました。





一国多制度推進ネットワーク勉強会

11日の午後2時から、京都市の学芸出版社会議室で開催された「一国多制度推進ネットワーク」の勉強会に参加しました。