湯浅誠さんの著書「ヒーローを待っていても世界は変わらない」を読みました。
湯浅さんについては、財源は「なんともならない」と知った2年間――内閣府参与・湯浅誠さんの辞任の弁://iezukuridaidou.blogspot.jp/2012/05/2.htmlを書いてから気になっていたので、この本も読みました。
湯浅氏は、民主主義は面倒くさくて疲れるものだ。でも、だから目を瞑ってしまうのではなく、事実を直視することからはじめることが必要だということを、内閣府の参与としての経験から導き出しています。
民間やNPOなどの仲間内での活動では共通理解は簡単に出来上がります。しかし、外の世界は前提が通じないため「外の世界は無理解だ。わからずやだ」と切り捨ててしまいます。「この指とまれ」方式の活動ならそれでも何の支障もありません。
しかし、行政では、「反対する人のお金(税金)も使う」ことから、合意をつくる努力が必要になります。関係ない他人のニーズを「既得権益」とレッテルを貼って攻撃することでは、自分の生活のニーズを満たすことはなく、社会全般の停滞すらまねくことにもなりかねません。
いろんな人の利害が交錯している事象を簡単に白黒つけるやり方は、効率的に見えて実は多くの人の利益を排除し、デメリットをもたらします。白黒がはっきりしていないことが多いなかで水戸黄門の魔法のボタンは存在せず、「効率性」と「決める」ことを善として性急に決めようとすれば民主主義は形骸化してしまいます。
民主主義とは利害関係を辛抱強く調整して決めることであって、決定へ至る面倒な調整作業を放棄したら、逆に何も決められない、何も変わらないと指摘しています。
これまでも「強いリーダーシップ」待望論とともにヒーローが求められてきましたが、求めても裏切られる幻滅のサイクルしかなく、政治不信が深化しています。
ヒーローを待望し、ヒーローにすべてを預けるのではなく、気付いた人が現実に関わりをもって一歩一歩改善へ向かって「行動」し努力しなければ、何も変わリません。