きょうの午前中は、京丹後市議会臨時議会と議員全員協議会のインターネット中継を聴きながら、前田勉著「江戸後期の思想空間」を読みました。
江戸時代の思想家については、これまで、中江藤樹、熊沢蕃山、安藤昌益、佐藤一斎、本居宣長に関する著作を読んだ程度で、知る必要があるとは思いながらも、手についてはいなかったのですが、読みやすいかと思って神保町の古本屋で購入して積読になっていました。
江戸時代、「会読」という身分にかかわりなく議論・討論する共同学習手法が浸透していき、他人の考えを聞く力と自分の意見をいう力が育てられ、能力のある者にとって学問の道が開かれていました。(言論の自由がかなりあり、その流れが、寺小屋教育を普及したと思われます。)
そして、多くの思想家が生まれ、外国の書物も多く翻訳されます。また、商品経済・貨幣経済が発展するなかで、貧富の格差の拡大し、競争に乗り遅れた下層からの反動から、「国体」という幻想が生まれ、同時に、経済に対する軽視感が育まれます。
個人の利益追求を軽視し、国としての利益の追求の考え方が生まれ、その後の富国強兵につながっています。そこに落とし穴もあったように思えます。
江戸後期から明治への思想的な断層はなく、第二次大戦に敗れるまで受け継がれていきます。