本などで調べるなかでは、江戸時代の寺子屋では体罰に対してきわめて慎重であり、羞恥心や恐怖心を適度に利用したりすることが主だったようです。
明治以前に日本に来た外国人の多くも、日本では子どもに対する体罰がほとんど行われていないことを書き記しています。
そして、明治12年に制定された「教育令」には体罰禁止規定が明文化されていますが、これは、学校体罰禁止の西欧最先進国であるフランスが教育令に規定する8年も前です。
最も早く体罰禁止規定が明文化されたのは、日本人が培ってきた伝統として、子どもを7歳までは神のうちと考えていたから、体罰がなじまないという考え方が定着していたのだと思います。
なじまなかったはずの体罰が肯定されるようになるのは日露戦争前後で、体罰の乱用に決定的影響を与えたのは、帝国陸・海軍の教育方法であり、軍隊が教育の場のモデルとなっています。
江森一郎著「体罰の社会史」では、『上下(先輩、後輩)関係を根幹としたうっぷんのはけ口として、私的制裁・体罰の場を用意することになったのであろう。この典型が森有礼、文部大臣がもっとも重視して軍隊モデルに改造した新教育の寄宿舎生活の場であったことはよく知られている。・・・・・しだいに蔓延する当時の教師による体罰の根源はここにあったのである。・・・わが国の近世(江戸時代)教育史に比べると、「西欧の教育史は体罰史である」と言ってもよいほど体罰で色どられている。(ちなみに、中国近世においてもそうだった。)』と書かれています。
江森一郎著「体罰の社会史」では、『上下(先輩、後輩)関係を根幹としたうっぷんのはけ口として、私的制裁・体罰の場を用意することになったのであろう。この典型が森有礼、文部大臣がもっとも重視して軍隊モデルに改造した新教育の寄宿舎生活の場であったことはよく知られている。・・・・・しだいに蔓延する当時の教師による体罰の根源はここにあったのである。・・・わが国の近世(江戸時代)教育史に比べると、「西欧の教育史は体罰史である」と言ってもよいほど体罰で色どられている。(ちなみに、中国近世においてもそうだった。)』と書かれています。
また、渡辺京二著「逝きし世の面影」第10章子どもの楽園を読むと、外国人から見て日本は子どもの天国であり、『・・・・・これは婦人の言ったままの言葉だが、日本人は子どもを怖がっていて服従させることができない。むしろ彼らは子どもを大事にして見捨ててしまう」。つまり日本人メイドは、子どもをいやいや服従させる手練手管を知らなかったのだ。日本の子どもには、親の言いつけをきかずに泣きわめくような習慣はなかった。だから日本人の召使はそういうフランス少女を、どう扱ってよいかわからなかったのである。そしてまた、後述するように日本の子どもは、おとなが楽しむときに一人個室に追い払われることもなかった。』と書かれています。
それから、体罰については、2002年にアメリカで、体罰について大がかりな研究調査がされています。
http://www.endcorporalpunishment.org/pages/pdfs/Gershoff-2002.pdf
http://www.endcorporalpunishment.org/pages/pdfs/Gershoff-2002.pdf
Corporal Punishment in Children – What Does It Accomplish?http://www.psychpage.com/family/disc.html
この研究調査では、全米の約36,000人を対象に、約60年前までさかのぼって体罰の影響を調べています。その結果、体罰を受けた子どもは、その時には、親の命令に従う、といった「効用」があるが、一方で、長期的には、
1.攻撃性が強くなる
2.反社会的行動に走る
3.精神疾患を発症する
などのさまざまなマイナス面が見られることが判明しています。