2012/01/31

臨時議会

昨日は臨時議会でした。

総務委員会に付託され、閉会中も審査されていた「まちづくり基本条例の改正案」の委員会審査報告がありました。

審査報告では、4年ごとの条例全体の検証のあり方などについて、改正にあたっての不備が指摘されました。

そのため、総務委員会は議長を通して市長に検討を求めましたが、市長は検討を受け入れるなかったので、委員会として賛成者なしの否決という結論となりました。

委員会の報告を受け、委員長に対して質疑は数点ありましたが、賛成討論は無く、本会議においても、賛成者なしの否決となりました。

「まちづくり基本条例」は、条例の第32条に従って、再度の検討と見直しが必要となりました。



2012/01/28

京丹後維新 京丹後市を変える(市長選出馬表明記者会見)


昨日、市長選出馬表明の記者会見を行いました。

記者会見では、出馬にいたった経緯や、基本的な考え方について話しました。

記者会見でお話しした内容は、おおむね以下の通りです。


市議会議員として2期8年間活動してきたが、市民と行政の間の距離感が広がり閉塞感が広がっている。京丹後市政を変えなければならないという思いが日に日に強くなり、今年に入ってから出馬を決意した。


キャッチフレーズは
「京丹後維新 京丹後市を変える」

 基本的な考え方

①市民とともにつくる市民のための市政
②対話重視による信頼構築と透明性
③改めるべきものは徹底して改める改革
④民間経営感覚・企業家精神の行政への導入

・右肩上がりの時代は終わり、行政に任せておけば良かった時代は終わった。市民の知恵と力を生かして、市民と行政が一緒にまちをつくっていくことが必要である。

・顔の見える双方向型の対話型行政を推進する。市民との対話、職員との対話、議会のとの対話を進め、同時に徹底した情報共有を行う。対話の継続による信頼の構築と透明性を目指す。
また、市民との対話を最も重視し、市内全域を回っていく。

・京丹後市は3年後から合併算定による収入が減り始め、最終的には今よりも収入が30億円以上のマイナスとなる。持続可能な市政運営を行うために、市長の退職金分を実質的に返上するため率先して給与をカットして痛みを負うとともに、地域内の官民格差を考慮した職員給与のカットも行うなど、徹底した行財政改革を行う。また、市民のための財政とするために、すべてを棚卸して、まちづくりを再構築する。(棚卸による現状把握から、必要性・優先度の検討、情報公開、改革の実行という流れで進める。)

・産業、雇用政策については、副市長一人を産業・雇用担当とし、組織の再編とともに、意思決定のスピード化を図る。また、産業、雇用政策については民間経営感覚が不可欠であり、民間から管理職への登用も行う。

・京丹後市の最もたいせつな資源は、ひとであり、ひととひとの信頼関係であり、絆である。教育や子育て環境の充実を含め、将来の人材を育てること、人材育成への投資を最重視する。

・地域自治の重視、新しい地域自治のシステムを確立し、市民と行政の信頼構築による、絆の強いまちづくりを目指す。

・職員意識の一新(職員の意識改革、地域の問題について自ら考えて解決する住民満足拡大型職員の育成)

・組織機構の改革(組織のスリム化(事務事業のアウトソーシングやスクラップアンドビルドを行い、行政組織を肥大化させないこと。部課を統合し、係を中心とした事業実施体制と事業推進責任の明確化)、分庁舎方式の見直し)


具体的施策についてマニフェストの作成

・思いを共有する仲間と骨格を作成、その後は、市民のみなさまの意見を聴きながら、日々進化させていきたい。

・当選後、棚卸と市民・職員との対話を進めながら、実行計画の作成、その後は定期的に進捗状況を検証。


2012/01/23

政策討論会議

きょうは、議会運営委員会があり、30日に開催される臨時議会の日程等について協議を行いました。

昨年の9月議会での議会基本条例改正において、執行部との調整が間に合わず、一旦削除していた政策検討会議の創設(議会運営委員会)について、名称を「政策討論会議」と変更することで執行部との協議が整ったので、臨時議会に提案されることになりました。

これで、議会の政策提言に向けて、ツールができ、有識者の招聘も可能となりました。

横石知二さんのTweetsから(2)


 横石さんのTwittterは良く拝見しています。最近共感したつぶやきです。

・・・・・・・

 「人は、居場所と出番が見つかれば『やってみよう』という前向きさが出てくる。このことを葉っぱのおばあちゃん達が教えてくれた。」

 「日本は世界でも最低の起業家を目指す人が少ない国になってしまった。安定を求める指向が強いからだ。葉っぱのおばあちゃんの方がよっぽど起業家精神があるよなあ。」

 「日本に必要な人は、強引なリーダーではなくリーダー型プロデューサーだと思う。マネージャー型の人は、たくさんいるが、尊徳さんがおらんよなぁ~。」

 「なんでもしてくれるでなくやってみようよ。いまの日本に必要な人は、二宮尊徳さんやな。全国あちこちに尊徳さんをつくろうよ。」

 「田舎で事業するには、謙虚のリュックを背負って歩かなあかん。このリュックが実に重いもんなんや。」

・・・・・・・

 二宮尊徳は江戸時代末期に活躍し、相馬藩、烏山藩や600を超える農村を窮乏から救済し復興させています。

 尊徳は、藩や村の復興計画を立てるに際しては、過去数十年にさかのぼって、毎年の支出、人口の増減や、農作物の収穫量の変動、田畑の荒れ具合を緊密に調べ、周到なデータを分析したうえで、合理的・科学的に立案しています。

 また、がむしゃらに働くことを良しとはしていません。つくることの指導だけでなく、売るための指導もしています。

 そして、同じように、現在の行政も周到なデータの分析が必要だと思っています。データのないところに計画はなく、計画のないところに行政はないと思うのですが、データの重要性が必ずしも理解されていないように思います。(データの改ざん、隠ぺいなど、悪質な事例もあります。)

 封建時代ですら精神論では復興できなかったのですが、行政には根拠なき精神主義があるように見えます。

 民間では、何もしなければお金が入ってきませんが、行政では、放っておいても税金が入ってくると思っているかのような甘い感覚があるように思います。少なくとも、民間のリスクや痛みを理解できておらず、これを変えていく必要があります。

2012/01/19

需要減少の厳しさ

 朝日新聞によると、鉄鋼大手のJFEスチールが、2~3月に工場や事務部門の社員、計1万3千人を最大6日間、一時帰休させるとのことです。

 新興国などで鋼材の需要が落ち込み、減産を余儀なくされており、製鉄所の稼働率が低下したための一時帰休ですが、今後、鉄鋼業界に同様の動きが広がる可能性もあるとされています。 

 先日、ベルギーでは大手製鉄所の閉鎖の報道がありましたが、EU諸国などの緊縮財政による需要の冷え込みはこれからであり、円高に加えて需要の減少と今年の経済は厳しさを増すように思います。

 しかし、政治の動きを見ているとあまりにも経済の動きに注意が向いていないように思います。危機感が無いのでしょうか・・・・・

2012/01/17

マニフェスト 書いてあることは命懸けで実行


野田首相の前回総選挙時の街頭演説のYouTube画像がありました。
この動画では、マニフェストと消費税について触れた部分が紹介されています。


マニフェストはルールです。書いてあることは命がけで実行し、書いてないことはやらない。書いてないことをやるのはおかしいというのがマニフェストであり、書いてないことをやるような人はマニフェストを語る資格がないと訴えています。

そして、税金の無駄遣いをゆるさない。天下り官僚をシロアリにたとえて、消費税率増税は、税金の無駄遣いを削減してからやらないと、増税した財源にまたシロアリがたかってしまうので、鳩山党首が消費税増税は4年間やらないと言っていると、強硬に訴えています。

ですが、その後民主党政権は「独立行政法人などへの現役出向は天下りじゃない」「役所でなくてOBが斡旋するならば問題じゃない」 などの抜け道をつくって、事実上、国家公務員の天下りを黙認してます。コレなら政権交代前の渡辺喜美行革担当相時代の自民党政権の方がまだマシで、
民主党政権誕生後、たった1年で4000人以上が独法などに天下っている。シロアリは退治するとのことだったが、そうはなっていない。。


社会が変化するなかで政治家の考え方が変わることはあるとは思いますが、まったく約束と違うことをやるのなら、もう一度総選挙をやる必要があると思います。

民主党政権は、マニフェストに書いてある行財政のムダの削減を命懸けでやっていません。国民に消費税増税による負担を求めることはマニフェストには書いてありません。

また、 「社会保障・税一体改革について」は、マニフェストに書いていた新しい年金制度の創設について、国民的な合意に向けた議論や環境整備を進め、引き続き実現に取り組むというだけで、中身がありません。

議論や環境整備を進め、平成25年の国会に法案を提出すると書かれており、そうなら消費税増税もその時に法案を提出するのが一体改革だと思うのですが、ばらばらでしかありません。


2012/01/16

一番大事なもの

ある方の意見を聞かせていただいていて、
数ヶ月前に読んだメールが浮かんできました。

以下、転記します。・・・・・

ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。

その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、
家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、
つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、
その結果それ自体失うだろう。

・・・・・転記終わり。


上記の話での壺が京丹後市の財政だとする。

では、壺の中には大きな岩から入れられているだろうか。
重要でない「何か」で満たされたものになっていないだろうか。
行政にとって大事なものは、本当に市民にとって大事なものだろうか。

行政の常識にとらわれずに考えると、
行政は壺を必ずしも大事なものから満たしていないと思います。

京丹後市も一度、壺の中に満たされているものを出して、
市民に開示して、情報共有のなかで議論し、
大事なものから整理して入れなければいけないのではないのでしょうか。




広報編集委員会、丹政会会派会議

きょうは、午前9時30分より、広報編集委員会でした。業者からあがってきた第1稿20ページを1ページ毎にチェックして、誤字、脱字の訂正、文章の修正などを行いました。

 一般質問については、文章をまとめた質問議員に確認する必要がありますが、明日には、訂正・修正を加えた第1稿のデータが業者に入稿されます。業者からの第2稿は23日中に提出され、24日に広報編集委員会で訂正・修正等の確認をします。

 そして、午後からは丹政会の会派会議でした。会派所属議員それぞれの情報交換とともに、12日に開催された自民党支部長会議の内容報告と、今後の対応についての意見交換を行いました。

2012/01/15

初孫を抱っこ


 昨年の12月6日に生まれた初孫の顔を夫婦でようやく見に行きました。早産で2800グラムだったのですが、今では4000グラムを超えています。順調に育っています。
 孫はかわいいというのは本当ですね~。小さくて、すごくあったかいです。
  顔をじっと見ているような・・・・・
孫の顔をじっと見ていて、インディアンの言葉を思い出しました。


  Treat the earth well:
  it was not given to you by your parents,
  it was loaned to you by your children.
  We do not inherit the Earth from our Ancestors,
  We borrow it from our Children."
                    -Ancient Indian Proverb   

  地球を大切に扱いなさい。
  地球は親から与えられたものではなく、
  子供たちから借りているものなのです。
  我々は地球を祖先から受け継いだものではなく、
  我々の子供たちから借してもらっているのです。



孫と小さな子どもたちの未来のためにも、まだまだがんばらなくちゃ。
孫に元気をもらいました。

2012/01/14

理解を得るために

問題が大きくなれば大きくなるほど、一言で理解を得ることなどできない。

丁寧な説明と、誠意ある態度が必要となる。

しかし、それでも理解が得られるとは限らない。

話の正しさのみで人は判断しない。

話をしている人への好き嫌いや内容についての対応バイアスなど、別の要因が大きく作用する。

ただ、それでも理解を得るためには話し続けなければならない。

根気というのも、理解を得るために必要だ。

明日も、頑張ろう。

2012/01/10

子どもの貧困

少子化対策を全力で進めなければならないはずなのに、子どもに対する政策は遅れています。

図2:各国の家族関係の給付の国民経済全体(GDP)に対する割合(2003年)
<図2出典> 「2008年版 少子化社会白書」(内閣府)より

少し古いデータですが、子どもの貧困率の国際比較を見ると、日本の所得再分配後の子どもの貧困率は13.7%となっています。(2009年の日本の子どもの貧困率は15.7%に上昇しています。)

(単位:%)
当初所得再分配後
オーストリア27.311.8
ベルギー22.910.0
カナダ23.715.1
チェコ30.710.3
デンマーク13.12.7
フィンランド15.84.2
フランス21.67.6
ドイツ27.016.3
アイルランド25.816.3
イタリア24.415.5
日本12.413.7
オランダ20.011.5
ニュージーランド27.415.0
ポルトガル17.516.6
スウェーデン15.04.0
スイス12.89.4
英国25.110.1
アメリカ27.420.6

当初所得と再分配後で比較した場合に、再分配後の方が子どもの貧困率が高くなるのは日本のみです。また、再分配後における日本の子どもの貧困率は、国際的にみて高い水準にあることがわかります。




きょうの京都新聞から切り抜きです。


弱者の居場所がない社会で書いた「社会的排除」についても報告があったようです。


平成23年版厚生労働白書では、子育て世代の相対的貧困率が所得再分配後において高くなることを指摘して、社会保障の再分配機能が高齢世代へ偏りすぎ、若年の貧困世代に及んでいないという問題があることを指摘しています。

こういったセミナーなどを開催し、社会の認識不足を是正する必要があります。

体制維新 ― 大阪都

橋下知事(当時)の「文科省のバカ」とか「くそ教育委員会」などの発言だけをテレビで見ていましたが、本を読むと、込められた思いもよくわかりました。大阪府民に関心を持ってもらわなければ改革は出来なかったと思いました。



体制維新 ― 大阪都 (橋下 徹、堺屋 太一)78~79ページから

市町村教委は、結果が公表されないもんですから、学力調査テストのフォローなどいい加減。府内市町村での取り組みを調査したら、A3一枚のペーパーで、次回しっかりと頑張る、という程度の総括しかしていない。・・・・・

市町村別の結果公表となってどうなったか。まず市町村教育委員会の意識が変わりました。学力テストの総括について、ほとんどが40ページ以上、なかには100ページを超える資料を作成するところも出て、保護者説明会を開く市町村が一気に増えました。

そりゃそうです。うちの子どもに、通知表を僕に見せなくてよいと言えば、子どもなんて何もしませんよ。通知表は僕に見せることになっているので・・・・・説明しなければならないし、次は頑張らないと、と思うわけです。

市町村教育委員会だって同じです。自分たちの状況を、保護者に知られて、保護者を意識し、そして切磋琢磨するのです。そして、市町村別結果の公表は個別政策というよりも教育行政の仕組みを変えた典型です。カネをかけて特別の事業を興したわけではなく、単純に情報を開示しただけ。しかし、これによって市町村教委が切磋琢磨する環境となったのです。

・・・・・今、大阪では、過度な競争もないし、不当な学校序列もない。むしろ、これまで意識していなかった学力向上に向けて、全市町村教育委員会、学校現場が動いています。

机上で、あれやこれや心配事を並べるのが、これまでの行政。だからチャレンジしない、何も変わらない。市町村別結果公表なんて、カネは一切かかりません。カネがかからないならまずやってみる。本当に不都合なら修正する。こういう姿勢でないと、日本は何も変わらない。

新しいことをやろうとすれば、心配事、問題点を徹底的にあげつらい、現行のやり方に問題があるかは検証しない。結局、現状維持が一番よいとなる。(ただし、大阪府全体の方向性に関わらないこと、組織のこれまでの考えを大きく変えるようなものでないことは、基本的に組織の自主的運営に任せる。)



この本を読むまでは、独裁者かと思う部分もありましたが、しっかりと聴くべきは聴いておられます。また、府民を味方にするだけでなく、行政・議会にも多くの理解者・支援者があります。(政治家としての首長には行政・議会に理解者・支援者が不可欠ですが、京丹後市長は不足しています。)
改革の必要性を痛感しました。

2012/01/09

お金から見た幕末維新~財政破綻と円の誕生

 三が日に経済に関連する本を読んでいたので、4日に放送された、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を題材にした、『にっぽん 微笑みの国の物語「時代を江戸に巻き戻せば」』という番組を見て、江戸幕府末期の財政がひっ迫していたことは知っていますが、維新当時の日本全体の経済・通貨の状況や「円」が誕生した頃の状況も知りたくなり、渡辺房男著「お金から見た幕末維新」を読みました。
江戸幕府が大政奉還せざるを得なかった要因の一つには、幕府財政の脆弱さがあったと思っています。幕府権力は強大であっても、財政基盤は400万石にすぎず、江戸末期には逼迫してしまいます。

 江戸幕府は当初、貨幣発行の権限を独占していました。三貨制度によって貨幣制度は安定化していったので、支配階層である武士が、石高制度により米を貨幣に替えて生活を送るようになったなかで、米と貨幣の価値(取引相場)が安定していれば問題はありませんでした。(円・ドルの為替の問題と同じです。)

 18世紀になって、貨幣経済が農村にも浸透していくなかで、米の生産性も向上して生産量が増大していったため、貨幣に対して米の値打ちが下がってしまいました。石高制のため武士の手取りは減っていきましたが、他の物価は下がらなかったようです。この時点で石高制からの改革を進めていく必要がありましたが、幕府は改革に手をつけることはなく、石高制維持のために米価安定化のための様々な措置をします。(根本的な改革をしなかったことが、幕藩体制の崩壊につながったと考えています。)

 しかし、米の生産が不安定なため効果はなく、石高制を維持しているため武士階級の財政は厳しくなりますが、幕府以外の各藩の財政状況を改善させる有効な政策も無かったため、幕府は各藩に藩札(藩内で流通する貨幣)の発行を認めます。そして、江戸末期には200以上の藩札が発行されています。(支配階級である武士階級は財政的に破綻しています。財政が破綻していたから軍事強化が出来ておらず、明治維新期に日本が長期的な内乱に陥らずに済んだ要因でもあります。)


 それでは、本の内容に入ります。

 日本は江戸末期には、互換性のない通貨が多く、また江戸は金体制、大阪は銀体制であったなかで、金と銀の交換は相場によったため、国家としての通貨体制は確立していません。

 維新後、新政府はお金が無いなか、後世に劣位二分金と名付けられた金の含有量が少ない劣悪な二分金を粗製乱造し急場をしのごうとしますが、新政府が劣悪な貨幣をつくったことにより、貨幣への信用が低くなり、贋二分金が横行する事態を招いています。

 新政府は太政官札の発行、銀目の廃止(大阪は大混乱となります)などと進めていき、国の体制を固めるための全国統一した新たな通貨体制の確立に苦労を重ねながら、「円」の発行にこぎつけます。

 「円」が国民に受け入れられ、安定するまでに、当時の国民は猛威をふるったインフレと、そのインフレ抑制のための対策による深刻なデフレ不況に見舞われています。デフレ当時の新聞記事には、物価の下落とそれに伴う不況の様が描かれていますが、銀貨に対して紙幣の値打ちが下がりつづけるなか、多様な政府紙幣を日本銀行券に整理したことにより、国の体制が安定していきます。

 私たちは、今、何の疑問も心配もなく、日本のお金として「円」を使っていますが、国家の通貨として確立され、普及するまでには多大の犠牲が払われています。国にとって通貨の大切さを再認識するとともに、政府に対して、通貨の重みをしっかっり認識して政策を打ってほしいと思いました。

 必要な改革なら、痛みをともなう改革もさけてはいけないとおもうのですが、先人の労苦を無駄にするような、問題を先送りしていくだけの今の政治のありようでは、江戸幕府と同じく破綻することになると思います。

2012/01/08

消防出初式

きょうは、新年恒例の消防出初式に出席しました。まず、丹後文化会館で式典があり、市長式辞、消防長・団長訓示の後に優良団員表彰があり、今年は174名の団員のみなさんが表彰を受けられました。

 式典終了後に市中行進と一斉放水が実施されました。


 午後、1時30分からは、大宮第2分団の新年祝賀会に出席し、団員のみなさんと懇談しながら、楽しいひと時を過ごさせてもらいました。

 その中で、副団長などから、消防団再編についてのお話を伺いましたが、財政が厳しいから消防団を再編するという考え方は良くないと思います。あくまで、地域に必要な防災力をしっかり考えた上で、地域の防災力の効率化などを踏まえて再編を考えてほしいと思います。

 私は、合併当初から、消防団の改革が必要だと考えていましたが、現状は進んでいません。市としては各地域に自主防災組織を組織化して地域の防災に役立てようとの思いがありますが、自営業に従事する団員が減少するなかでは、消防団の日中の対応力の弱体化など、大きな課題となっており、機能別消防団員など、新たに考えなければならない課題は山積していますが、行政がりーどして社会変化に対応した改革を柔軟に進めていくことが必要だと思っています。

2012/01/07

弱者の居場所がない社会

福祉の分野も、昨年から力を入れて勉強しています。今年6冊目の本として、阿部彩著「弱者の居場所がない社会」を読みました。阿部さんの本は昨年10月に子どもの貧困(電車のなかで読んだ本)を読んでいます。
イギリスの著名な貧困研究学者ピーター・タウンゼント氏は、人間の最低生活には、ただ単に生物的に生存するだけでなく、社会の一構成員として人と交流したりすることも含まれるとして、それができない状態を「相対的はく奪」と名付けましたが、その研究は衝撃を持って受け入れられ、、ヨーロッパにおける貧困の再発見となり、その後の福祉国家の発展を促しています。

ヨーロッパ諸国では、これまで主に所得が低いことが問題とされてきた貧困について、社会的排除という新しい概念でとらえ、政策を組み直す動きが活発となっています。従来の貧困を社会に包み込むことであることから「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」とも言われています。

しかし、日本ではジニ計数も相対的貧困率も拡大傾向が続いており、格差と貧困が広がっているという認識は共有されつつありますが、貧困政策はまだまだです。

国立社会保障・人口問題研究所が2007年に行った調査によると、驚くことに8世帯に1世帯が「お金が足りなくて、食べ物が買えなかった」ことがあると答えています。また、ひとり親世帯では、約4割が答えています。

さらに、5世帯に1世帯が「必要な衣料が買えなかったと答えています。」が、2007年以降にリーマンショックなどがあったので、状況はさらにひどくなっていると思われます。データをみる限り日本における相対的貧困の状況に厳しいものを感じます。

また、子どもの貧困について、バース大学のテス・リッジ氏の研究によると「学校生活が子どもにとって大部分を占め、そこで他の子どもたちから「承認」されることが、子どもの自己肯定感や自尊心に不可欠である」と結論づけられています。

ですが、イギリスと日本で行われた調査によると、イギリスで「すべての子どもに与えられるべき」と考えられている多くのものについて、日本においては「すべての子どもに与えられなくても、しょうがない」との答えが多くなっています。日本では社会の中に格差を容認する考え方が染みついているようであり、それが、貧困に対する問題意識を低いものにしているのかもしれません。

最近、補償すべき最低生活における必需品については、イギリスで「ミニマム・インカム・スタンダード」という手法が開発され、市民の議論と合意により最低生活水準が決められ最低賃金などの論拠ともなっていることが紹介されていましたが、日本では、前述の子どもの場合のように、格差を容認する考えかたがあるため、参考にしないほうが良いと思われました。

一方で、ノッティンガム大学のリチャード・ウィルキンソン氏の著書「格差社会の衝撃」で、格差のある社会が底辺の人だけではなく、上層の人にも悪影響を与え、社会全体の信頼感が損なわれるということが指摘されていることが紹介されていますが、その後、様々な研究で格差の存在が社会における人間関係の劣化を促すことが実証されています。

この本を読んで強く感じたのは、ヨーロッパの国々などと比べて、日本は「自己責任」という言葉のもとに格差が容認されやすいようであり、もっと世界の常識を知って日本人に適した手法を考えて貧困と格差をなくすために対応していかなければならないということ、そして、セーフティネットとして機能する社会保障と福祉を考えなければならないということでした。この本は良い本だと思います。

ニッポンこの20年~長期停滞から何を学ぶか


 5冊目に読んだ本は、日本経済新聞社編集の「ニッポンこの20年~長期停滞から何を学ぶか」でした。
 以前は「失われた10年」といわれていましたが、最近はこの本の題名にあるように、長期停滞の結果、「失われた20年」といわれています。

 この本を読んでまず思ったことは、日本は、プラザ合意以降、だれも責任を認めて転換を図ろうとしなかったため、失敗を積み重ねて今日に至っているということです。

 バブル崩壊直後に大胆な金融緩和と銀行への公的資金注入をせず、不良債権処理を長引かせたことで、経済の停滞と円高は定着しました。また、毎年国債が増発されるなか、

 アメリカは、日本の失敗を研究し、リーマンショック後に、速やかな対応をしたので、ドルがあふれた市場ではドル安圧力となり、ドル安による物価上昇は続いています。

 最近の15年間で、アメリカでは40%物価が上昇していますが、日本では物価上昇はほぼ0%と超安定しています。アメリカでは1ドルのものが1.4ドルになりましたが、日本では100円のものが100円のままになので、急いで買う必要はありません。しかし、この状態は世界の中で日本だけの特殊なもので、今後大きな痛み(強いインフレ)を伴う可能性がある様に思います。

 また、長期にわたる停滞が続いている原因の一つとして、高機能製品にこだわりすぎて「ガラパゴス化」が進んだことが取り上げられています。日本製品は、日本人が思っているほど、海外では評価されていませんが、そのことを多くの日本人が知りません。(中国のように国内市場に贋物が氾濫している国は別です。)

 今はネットで海外の報道記事を簡単に見れて、翻訳もできます。日本のマスコミのあり方にも問題があり、国内報道ではわからないことが多いので、時々は海外の記事も読む必要があります。

 日本製品の市場シェア率も年々下がっており、以前は海外での販売のために工場進出していましたが、今では、価格競争のため、国内販売用の製品を海外の工場で安い賃金で製造するための空洞化が進んでいます。

 日本の失敗を教訓に、韓国や台湾では、改革とFTAなどの貿易自由化が進められていますが、日本は遅れています。政治がしっかりしなければいけないのですが、世界では「ジャパン・バッシング(日本外し)からジャパン・ディッシング(日本切り捨て)」という方向に進んでいます。

 現状を改革していく以外に道はありません。

スコット・ロスのD・スカルラッティ


 年末にロンドンのRarewavesに注文していたCDが届きました。

 スコット・ロスが弾いたD・スカルラッティのソナタ全集です。ソナタ555曲がCD34枚に収められています。

 D・スカルラッティのソナタは、レオンハルトのチェンバロ演奏も所有していますが、それよりもホロヴィッツやポゴレリッチのピアノによる演奏を好んで聴いていました。

 ただ、38歳で亡くなった不世出の天才チェンバロ奏者、スコット・ロスが全曲を録音していたことは知っていましたが、スカルラッティのソナタは選集で十分楽しめていたのと、20000円前後の値段であったので、34枚もの全集のCDを買って聴くまでは考えていなかったのですが、何気なくクラシックCDをネットで見ていたら、日本円で5875円で売っていたので、思わず注文してしまいました。

 元旦に届いたので、きょうまでに、本を読むときや、ブログを書き込んでいるときなどのBGMとして9枚を聴きました。

 聞いてみると、確かに素晴らしい演奏で、レオンハルトでは聴いているうちに退屈してしまったものが、活き活きとしていて全く堅苦しさがなく、チェンバロという鍵盤楽器の表現力の大きさに驚くとともに楽しみながら聴けます。また、今まで聴いていなかったすばらしい曲との出会いもあります。

 1989年に亡くなったスコット・ロスが不世出の天才チェンバリストといわれ、その録音が今でも高く評価されていることに納得しましたが、残念ながら、日本での知名度は低いようです。

 スカルラッティをご存じない方も多いと思うので、ホロヴィッツの演奏ですが、貼り付けます。短い曲なので、時間があれば聴いてみてください。

2012/01/06

広報編集委員会ほか


 きょうは、午前9時30分より広報編集委員会があり、それぞれが担当したレイアウトと原稿を全員で確認しました。必要な修正をかけて10日に印刷業者にデータを入稿し、業者からは16日に第1稿があがってくる予定です。

 私の担当は、市議会だよりの調整(広報編集委員会12月26日)に書いたように、紙面は2ページと少なかったのですが、12月議会のメインの議案で、しかも4議案とも結果が否決となっているので、ていねいに書こうとして文章が多くなってしまい、文字が多すぎること、どちらのページでも否決が強調されてすっきりしないことを指摘されました。

 ばっさり切り捨てればよいのですが、議員が何を考えているのかを丁寧に伝えようとして、いつも書きすぎてしまいます。

 
 広報編集委員会終了後は、きょうもあいさつ回りをして、いろいろと懇談させていただきました。

 きょうの懇談のなかでは、山岡消費者相の通貨危機をめぐる「近々、ユーロは破綻するのではないかと内心思っている。そうなると中国のバブルも破裂する可能性がある」不適切な発言など、あまりにも政治家のレベルが低すぎて、日本の政治に期待が持てないというお叱りをいただきました。

 国会議員は選挙のことばかり考えているので信頼していないが、その下の地方議員も同じく信頼していない。

 民主党に失望したが、だからといって自民党に期待がもてない。国の将来を考えていない。橋下市長には期待できるが、既成政党には希望が持てない。変革が必要だ。

 政界再編があったところで、今の国会議員の顔触れが変わらないなかで、手を握るメンバーが変わるだけのにわか仕立てなら、すぐにメッキがはげてしまい何もできないだろうから閉塞感は何も変わらない。  

・・・・・・・厳しい意見を多く聞きました。でも、返す言葉もありません。

2012/01/05

弱い日本の強い円


 三が日に読んだ4冊目は、佐々木融著「弱い日本の強い円」でした。この本は、本のタイトルと、「為替相場は国力を反映する。日本の財政赤字で円は売られる。人口が減る国の通貨を買う理由などない ― もっともらしい理由にだまされてはいけない。」という、本の内容の紹介を見て興味をもったので、円高についての知識を広げることにもなるのではないかと思い読みました。

 この本は評価も高く、よく売れているようです。
 去年、話をさせていただいたある国会議員は、「国債はもっと発行しても大丈夫、金利が上がっても、90%以上を国民が保有しており、国民の利益になる」と言っておられましたが、ヨーロッパではギリシャ国債の金利が上昇して、保有しているヨーロッパの金融機関は、評価損にあえいでいます。

 国債は買い手がいなければ価値が暴落します。(通貨も買い手がいなければ(供給過多)安くなりますが、売り手がいなければ(需要過多)高くなります。)

 日本銀行の調べによると、仮に日本の長期金利が1%上がると、日本の銀行が保有している国債等長期債務の評価損は9兆円に上り、3%以上上がると債務超過に陥ることが分かっています。

 2009年10月に起きた0.3%の金利急上昇の時はゆうちょ銀行が国債を買い支えていますが、1%以上金利が上がるような場面では、買い支えることはできず、日銀が買い支える意外に買い手はありません。

 しかし、日銀が国債を買い支えることによって、市場に通貨があふれると、インフレにより金利がさらに上昇することが想定され、そうなったら金利の上昇をだれも止めれないとも言われています。

 また、海外における日本国債の保有割合は7%と低いですが、海外からの視点で見ると、日本国債の発行残高が多いため、仮に7%で計算しても56兆円と、ギリシャ国債の海外保有残高21兆円の2.5倍以上の規模があるため、極めて憂慮するものがあります。

 海外は7%しか保有してないから安心だというのはレトリックにすぎません。海外が保有している残高の規模が問題であり、非常時に売りが出た時、買い支えれなければ1%でも危険であると認識する必要があります。

 日本が信頼されているのは、ヨーロッパの国々と違い消費税の税率が低く、消費税を上げる余地が残されているからで、仮にデンマークのように25%まで上げることができれば、財政再建は非常に簡単だと考えられているからです。また、昨年、日本の首相は消費税を上げることを海外で約束しています。

 さて、本に戻ります。

 この本の帯にもあるように円高は止めようと思っても止められないようです。

 しかし、円が高いのではなく、安くなったドルとの比較の問題となります。しかし、それは、国力の問題ではありません。物価の上昇が続いているアメリカでは通貨の価値は年々下がっていきますが、物価がデフレ気味の日本では通貨の価値が高くなっているため、他の物価が上昇している国の通貨に対しても同じく相対的に円は高くなってしまいます。

 また、日本の景気はアメリカと連動することが多いため、日本が景気が良い時(つまりアメリカの景気が良い時)は円安になり、日本の金利に対してアメリカの金利が高く、その差が大きいほど円安になります。

 アメリカは経常収支が赤字の国であるため、円を売ってドルを買う理由はありませんが、日本は逆で経常収支が黒字のため、ドルを売って円を買う理由があります。どちらもドルを買う理由がないため、自然の流れとして円高になります。

 日本が国債を発行して、海外の金融機関などが購入することも、円を売ってドルを買うことになるので、円高に作用します。日本の財政赤字が拡大することが、現状では円高にの材料になっています。海外の金融機関の市政が買いから売りに転じた時、極めて強い円安の材料となります。

 また、為替介入の効果がないことが書かれており、介入が大きなリスクになっていることが資料とともに示されています。日本の円売り介入は、債券(長期国債には含まれない)を発行して市場から資金を調達して行われており、104.5兆円を借り入れていますが、円高が続いているため40兆円近くの含み損が発生しています。

 この本を読んで、通貨に関する状況を知ることはできましたが、経済を活性化する構造的な改革がなければ、長期的には通貨の信認の失い、悪性のインフレに見舞われるかもしれないという予測が外れるようにしなければならないのですが・・・・・

マルチスピード化する世界の中で


 三が日に読んだ3冊目は、マイケル・スペンス著「マルチスピード化する世界のなかで」でした。著者のマイケル・スペンス氏は、2001年にジョージ・アカロフとジョセフ・E・スティグリッツと共に、情報が浸透し、市場が発達する動学性に関する業績によってノーベル経済学賞を受賞しています。
 本書は、第1部 世界経済と途上国、第2部 途上国世界における持続的高成長、第3部 世界危機とその余波、第4部 成長のゆくえ、の4部から構成されており、第2次大戦後の1950年頃からの世界の経済変化を多極的に描いています。

 データを用いて、客観的に書かれており、1950年代の日本を含む新興国の成長が、解放された市場があるからこそ成り立っていたことがよくわかります。世界市場にアクセスできない国は成長できていません。

 中国も、鄧小平をはじめとする改革者たちが中国の方向性を変えようと決意し、まず、農業部門で市場メカニズムを機能させています。自由市場で販売することを認めただけで、計画経済による割り当てではできなかった生産量や所得の大幅な上昇に成功しています。そして、世界銀行に市場経済運営のノウハウを求め、市場経済をハイペースで学習してから門戸を開放して、その後急速に経済成長を続けています。

 また、一例として、ブラジル経済の経緯が述べられています。ブラジルは日本と同じように1950年ごろから年率7%以上の経済成長がはじまり、25年続きましたが、政策が内向きになり、世界経済と断絶し、成長を持続するために国内生産(輸入代替)に力を入れましたが、コスト上昇と生産性の低下を招き、複数回にわたる有害なハイパーインフレを起こしています。

 北欧の政策もそうですが、現にある雇用を守るのではなく国民を守る考え方が重要であり、高成長国では変化を促す政策を政府が積極的に採用しています。

 賃金が上昇すると、労働集約的産業は国際競争力を失い低賃金国に移転していきます。しかし、これまで雇用を創出し、維持してきた産業が縮小することを恐れて、保護政策を取った国では、ブラジルのように中所得国から高所得国への成長に失敗しています。

 成長を続けている韓国や台湾は、危機に対応して果敢に構造変化を促進する政策を断行することにより、持続的な高成長をしていますが、日本は、内需拡大を言いだして内向きになったころからおかしくなり、低成長の国になっています。

 本書を読むと、日本が停滞を続けてきたのは、制度改革を経済の環境変化に対応して行ってこなかったからであり、既得権益だけが守られている限り、今後も衰退が続くことが見えてきます。

 読みやすい本なので、広い視野を持つために読まれることをお勧めします。

イザベラ・バード「日本奥地紀行」

 NHKのBSプレミアム、午後10時30分から放送された、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を題材にした、『にっぽん 微笑みの国の物語「時代を江戸に巻き戻せば」』という番組を見ました。

イザベラ・バードは、明治11年の6月から9月にかけての3ヶ月間で東北、北海道を通訳の日本人と二人で旅をし、「日本奥地紀行」を執筆しています。

 その中で、イザベラ・バードは「私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。」と書いており、日本が当時から治安のよい国であったことが分かりますが、日本人のことを肯定的に見ているわけではなく、感じたままにいろいろと書き分けられています。

 「日本奥地紀行」を読むと、明治初期の日本の田舎の姿を覘くことができます。旅人として見るとき、その姿は実に貧しくて、そして素朴そのものです。
 当時、江戸時代からの移動の制限が残り、まだ日本が発展していない中では、豊かな農村と、貧しい疲弊した農村には大きな差がありました。貧しい疲弊した農村では生きることが精一杯であったと思います。三大飢饉などの記録を読むと、地域によって餓死者数なども大きく違い、口減らしなどの風習や、家族形態も違います。

 放送のなかで、当時は300人が住む集落であったのが、今は、老夫婦の2人だけが住むだけとなってしまったところが取り上げられ、老夫婦の生活が映されていましたが、当時も豊かな土地ではなかったのではないかと思います。

 この本に書かれているのは、当時の一面であり、今はもう存在しない歴史のなかの世界ですが、現代日本人のルーツを知るためにも、読むべき本のひとつだと思います。


 「日本奥地紀行」のほかにも、当時を知るために読まれることをお薦めしたい本があるので、紹介します。





2012/01/04

新年賀詞交歓会


 正月休みも終わり、きょうから、仕事始めです。

 午前10時過ぎには、議化事務局に行き、新年のあいさつをして、議会だよりのレイアウトと記事について確認をしました。

 そして、11時から、京丹後市主催の新年賀詞交歓会に出席しました。多くの方と新年のあいさつを交わしました。

 例年、新年賀詞交歓会は着物で出席していたのですが、今年は天候も悪く、足もとも悪いので、スーツ姿で出席しましたが、私と同じようにに思っておられた方も多かったのか、今年は着物姿の方は少なかったようです。

 そして、午後5時からは商工会の新年賀詞交歓会に出席しました。

ユーロ~危機の中の統一通貨


 三が日に読んだ本、2冊目は田中素香著「ユーロ~危機のなかの統一通貨」でした。ユーロ危機は現在も進行しており、ギリシャの長期金利は30%を超えて上がり続けています。ユーロ危機についてしっかりした知識を得るために読みました。
田中素香氏は長年「ユーロ」に取り組まれ、他にも著作があります。

 ユーロ危機については、昨日ブログに書いたグローバル恐慌の真相のような短期的な分析が多くあるなかで、田中氏の「ユーロ~危機のなかの統一通貨」は、フランやマルクを襲った投機的な通貨危機などの為替の課題を含めたユーロが導入されるまでの歴史的背景、ユーロの制度の概観、通貨統合のメリットとデメリット、ユーロ導入後の推移とリーマンショック及びギリシャ危機の時のユーロの対応とこれからのユーロの課題がわかりやすく書かれていました。(ギリシャ危機の本質についてはグローバル恐慌の真相をクリックしてご覧ください。)

 この本を読むと、ECでの通貨統合とは、そもそも、ヨーロッパが20世紀に2度も戦場となった過去を繰り返さないために、西ドイツを西側に包摂することが目的であり、統合の過程においてはドイツ問題という政治的な側面が強く、経済的側面は少し弱かったことが分かります。

 ユーロ導入までの経緯で決定的な出来事は、ドイツ統一であり、ドイツが主権を回復して一人歩きすることを恐れたフランスのミッテラン大統領と、イギリスのサッチャー首相は統合に反対しましたが、米ソの賛成により、EC諸国内での条件闘争となり、ドイツはマルクを放棄して単一通貨を選択しています。

 当時、ドイツの世論調査では通貨統合反対が60%を超えていましたが、コール首相の決断によって、「欧州統合は平和か戦争かの問題だ」と世論を押し切っています。また、ギリシャ危機に揺れる昨年6月にも、コール元首相は「欧州統合は平和か戦争かの問題」と発言を繰り返し、ユーロ圏全体のことを考えるように警告しています。(ユーロ安の恩恵を最も受けているのはドイツの製造業であり、ドイツはユーロ安により輸出を伸ばして利益を得ています。)

 戦争体験世代がいなくなった21世紀のヨーロッパに危機感を抱く人は少なくないのですが、反面、ユーロがきわめて政治的な通貨であることが、危機を大きくもしています。

 (しかし、ユーロが、当初考えられていた裕福で財政規律のあるマルク圏域の国のみで構成されていたなら、今回のような通貨危機には見舞われなかったでしょうが、円とともにユーロも相対的に高い通貨となり、通貨高不況を招いていたと思います。)
 ドイツはユーロ圏への参入を受け入れる代わりに、他の参入国に財政規律を求めましたが、性善説に基づいた貧弱な危機管理制度であったため、ギリシャの嘘の財政赤字申告を罰することができず、さらに、財政の国家主権の壁も立ちはだかっています。

 しかし、すでに3億3000万人がユーロを通貨として使用しており、国際社会においてもユーロは米ドルに次ぐ取引量となっており、万が一ユーロ解体となれば大恐慌となることは、ドイツにおいても理解されています。

 ただ、信じられないようなばかばかしい話ですが、ギリシャが、大恐慌を盾に開き直った交渉をドイツとフランスに対してしたことが、混乱をさらに長引かせて大きくてしまい、長期金利を急騰させてしまいました。

 この本のその後の状況をみると、ヨーロッパの経済が安定し、ユーロが回復するにはかなりの時間を要すると思われます。

 ユーロについて、しっかりした知識を持つことは大切だと思います。読みやすく、理解しやすい本なので、読まれることをお勧めします。

グローバル恐慌の真相


 三が日の空いている時間を利用して、経済の現状をしっかり理解するために、経済に関連した5冊の本を読みました。

 まず、1冊目は「グローバル恐慌の真相」でした。
この本は、「TPP亡国論」で注目されている中野剛志氏の考えを知るために読んだのですが、対談であることと、新書であることの制約によるのか、矛盾していることや前提の間違いなども多くありました。

 例えば、130ページ(民衆の声はアンチグローバル化)「ドイツ国民がギリシャ救済のためにお金を使うのは嫌だという話は、ヨーロッパ全体よりドイツを優先するということで・・・・・これはグローバル化に民主主義が抵抗しているといっていい。」という記述がありますが、これは、事実を曲げています。

 ギリシャ危機の本質は、旧ギリシャ政府のひどいごまかしにあります。

 2009年10月19日に、誕生したばかりのギリシャ新政権の調査により、2009年の実際の財政赤字は12.7%であり、旧政権が発表していた4%の財政赤字は数字を操作したごまかしであったことが発覚し、ギリシャ危機ははじまりました。

 さらに、旧ギリシャ政府は、ユーロ加盟前の2000年から10年間、国際社会をだましており、本当の財政赤字が発表されていたらユーロ加盟が認められなかったことは明白で、極めて悪質です。

 ギリシャの制度は、失業者は公務員に採用(職務なし、公務員数の正確な把握なし)、年金受給は53歳から可能で、しかも、退職時の9割の支給で独身の娘であれば相続できるという持続不可能なもので、これをギリシャ政府は借金で賄っていましたが、かたやドイツでは、財政難のなかで、年金受給額の切り下げと年齢の67歳への引き上げ、その上増税も行われていました。

 ギリシャ救済に対してドイツ国民が怒ったのは、グローバル化に抵抗しているためではなく、ギリシャの悪質さが許せなかったからです。

 また、「第2章 デフレで「未来」を手放す日本」にも問題を感じました。ここでは1998年以降の日本のデフレが触れられ、構造改革に責任があるとしていますが、ここにも事実の誤認があるように思えてなりません。

 1997年のアジア通貨危機以降、韓国、台湾などでは法人税を下げましたが、日本は現在も高いままです(空洞化の一因でもあります)。また、韓国企業は、危機を契機に、合理性と利益を徹底追及するアメリカ式の経営に転換しています。

 日本企業は、韓国などに負けるはずがないという傲慢さもあり、自分たちが考えたものを売ろうとしてきましたが(結果はガラパゴス化といわれています)、韓国企業は、徹底した現地リサーチで、現地で売れるものをつくっています。

 そして、今では、韓国企業のシェアが日本企業を上回り、日本企業は敗退しています。これまでにも日立のテレビ自社生産撤退に思うでも書きましたが、日本企業は市場づくりに失敗して撤退しています。

 デフレが続いたのは、日本企業が海外で敗退してきた結果でもあり、構造改革が本当の改革になっていなかったことも大きな要素ではないかと思います。

 グローバリズムを否定したい思いは伝わりますが、日本の一面しか見ておらず、本としては拙劣だと思います。まだ、ほかにも書きたいことはありますが、長くなるのでこの程度にします。

2012/01/01

新年

明けましておめでとうございます。

 平成24年がスタートしました。

 本年もどうぞよろしくお願いします。