2012/01/09

お金から見た幕末維新~財政破綻と円の誕生

 三が日に経済に関連する本を読んでいたので、4日に放送された、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を題材にした、『にっぽん 微笑みの国の物語「時代を江戸に巻き戻せば」』という番組を見て、江戸幕府末期の財政がひっ迫していたことは知っていますが、維新当時の日本全体の経済・通貨の状況や「円」が誕生した頃の状況も知りたくなり、渡辺房男著「お金から見た幕末維新」を読みました。
江戸幕府が大政奉還せざるを得なかった要因の一つには、幕府財政の脆弱さがあったと思っています。幕府権力は強大であっても、財政基盤は400万石にすぎず、江戸末期には逼迫してしまいます。

 江戸幕府は当初、貨幣発行の権限を独占していました。三貨制度によって貨幣制度は安定化していったので、支配階層である武士が、石高制度により米を貨幣に替えて生活を送るようになったなかで、米と貨幣の価値(取引相場)が安定していれば問題はありませんでした。(円・ドルの為替の問題と同じです。)

 18世紀になって、貨幣経済が農村にも浸透していくなかで、米の生産性も向上して生産量が増大していったため、貨幣に対して米の値打ちが下がってしまいました。石高制のため武士の手取りは減っていきましたが、他の物価は下がらなかったようです。この時点で石高制からの改革を進めていく必要がありましたが、幕府は改革に手をつけることはなく、石高制維持のために米価安定化のための様々な措置をします。(根本的な改革をしなかったことが、幕藩体制の崩壊につながったと考えています。)

 しかし、米の生産が不安定なため効果はなく、石高制を維持しているため武士階級の財政は厳しくなりますが、幕府以外の各藩の財政状況を改善させる有効な政策も無かったため、幕府は各藩に藩札(藩内で流通する貨幣)の発行を認めます。そして、江戸末期には200以上の藩札が発行されています。(支配階級である武士階級は財政的に破綻しています。財政が破綻していたから軍事強化が出来ておらず、明治維新期に日本が長期的な内乱に陥らずに済んだ要因でもあります。)


 それでは、本の内容に入ります。

 日本は江戸末期には、互換性のない通貨が多く、また江戸は金体制、大阪は銀体制であったなかで、金と銀の交換は相場によったため、国家としての通貨体制は確立していません。

 維新後、新政府はお金が無いなか、後世に劣位二分金と名付けられた金の含有量が少ない劣悪な二分金を粗製乱造し急場をしのごうとしますが、新政府が劣悪な貨幣をつくったことにより、貨幣への信用が低くなり、贋二分金が横行する事態を招いています。

 新政府は太政官札の発行、銀目の廃止(大阪は大混乱となります)などと進めていき、国の体制を固めるための全国統一した新たな通貨体制の確立に苦労を重ねながら、「円」の発行にこぎつけます。

 「円」が国民に受け入れられ、安定するまでに、当時の国民は猛威をふるったインフレと、そのインフレ抑制のための対策による深刻なデフレ不況に見舞われています。デフレ当時の新聞記事には、物価の下落とそれに伴う不況の様が描かれていますが、銀貨に対して紙幣の値打ちが下がりつづけるなか、多様な政府紙幣を日本銀行券に整理したことにより、国の体制が安定していきます。

 私たちは、今、何の疑問も心配もなく、日本のお金として「円」を使っていますが、国家の通貨として確立され、普及するまでには多大の犠牲が払われています。国にとって通貨の大切さを再認識するとともに、政府に対して、通貨の重みをしっかっり認識して政策を打ってほしいと思いました。

 必要な改革なら、痛みをともなう改革もさけてはいけないとおもうのですが、先人の労苦を無駄にするような、問題を先送りしていくだけの今の政治のありようでは、江戸幕府と同じく破綻することになると思います。