イギリスの著名な貧困研究学者ピーター・タウンゼント氏は、人間の最低生活には、ただ単に生物的に生存するだけでなく、社会の一構成員として人と交流したりすることも含まれるとして、それができない状態を「相対的はく奪」と名付けましたが、その研究は衝撃を持って受け入れられ、、ヨーロッパにおける貧困の再発見となり、その後の福祉国家の発展を促しています。
ヨーロッパ諸国では、これまで主に所得が低いことが問題とされてきた貧困について、社会的排除という新しい概念でとらえ、政策を組み直す動きが活発となっています。従来の貧困を社会に包み込むことであることから「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」とも言われています。
しかし、日本ではジニ計数も相対的貧困率も拡大傾向が続いており、格差と貧困が広がっているという認識は共有されつつありますが、貧困政策はまだまだです。
国立社会保障・人口問題研究所が2007年に行った調査によると、驚くことに8世帯に1世帯が「お金が足りなくて、食べ物が買えなかった」ことがあると答えています。また、ひとり親世帯では、約4割が答えています。
さらに、5世帯に1世帯が「必要な衣料が買えなかったと答えています。」が、2007年以降にリーマンショックなどがあったので、状況はさらにひどくなっていると思われます。データをみる限り日本における相対的貧困の状況に厳しいものを感じます。
また、子どもの貧困について、バース大学のテス・リッジ氏の研究によると「学校生活が子どもにとって大部分を占め、そこで他の子どもたちから「承認」されることが、子どもの自己肯定感や自尊心に不可欠である」と結論づけられています。
ですが、イギリスと日本で行われた調査によると、イギリスで「すべての子どもに与えられるべき」と考えられている多くのものについて、日本においては「すべての子どもに与えられなくても、しょうがない」との答えが多くなっています。日本では社会の中に格差を容認する考え方が染みついているようであり、それが、貧困に対する問題意識を低いものにしているのかもしれません。
最近、補償すべき最低生活における必需品については、イギリスで「ミニマム・インカム・スタンダード」という手法が開発され、市民の議論と合意により最低生活水準が決められ最低賃金などの論拠ともなっていることが紹介されていましたが、日本では、前述の子どもの場合のように、格差を容認する考えかたがあるため、参考にしないほうが良いと思われました。
一方で、ノッティンガム大学のリチャード・ウィルキンソン氏の著書「格差社会の衝撃」で、格差のある社会が底辺の人だけではなく、上層の人にも悪影響を与え、社会全体の信頼感が損なわれるということが指摘されていることが紹介されていますが、その後、様々な研究で格差の存在が社会における人間関係の劣化を促すことが実証されています。
この本を読んで強く感じたのは、ヨーロッパの国々などと比べて、日本は「自己責任」という言葉のもとに格差が容認されやすいようであり、もっと世界の常識を知って日本人に適した手法を考えて貧困と格差をなくすために対応していかなければならないということ、そして、セーフティネットとして機能する社会保障と福祉を考えなければならないということでした。この本は良い本だと思います。