2011/05/11

山田方谷とナイチンゲール

 山田方谷はその書「理財論」の一節に、「事の外に立ちて事の内に屈せず」と書いています。これは「(財務を取り仕切るものは)一事にかかずらわって全体を見失わず、全般を見通す識見を持ち大局的立場に立つ」ということであり、また、物事の明確な基準を立てて財を運用すれば、争いも奪い合いも起こらないとも書いています。

 方谷は、8日にも一部書きましたが、破綻に瀕した財務状況を情報公開して借金の一時棚上げの理解を得るとともに、藩内に「撫育方」という専売事業部門を作り、直営の産業振興を進めて成功しています。

 方谷は農地を増やすために開墾も進めましたが、産業振興としてもっとも力を入れたのは「鉄」でした。それも、原料で出荷するのではなく、付加価値をつけて出荷しています。

 備中地方は古くから良質の砂鉄が取れましたが、方谷は鉱山の開墾と製鉄工場の建設を行い、鍬鋤の農具を次々に生産しています。(産業振興のための資金確保も、優れた手法を発揮しています。)

 そして、生産した農具は、そのころの常識であった大阪に卸すのではなく、高梁川から海路で大消費地の東京に直販することで販売量と利益を圧倒的に伸ばしています。

 なかでも備中鍬が爆発的に売れ、これらの事業を中心に備中松山藩は財政の建て直しに成功しています。

 備中松山藩が幕府方であったため、歴史の表に扱われてこなかった面が強いですが、山田方谷の思想と実践は幕末期に稀有のものであり、その改革は現代にも通用するものだと思います。山田方谷に関しては多くの本が出版されていますが、その内の7冊を読んでいます。

 さて、話は変わりますが、「事の外に立ちて事の内に屈せず」という強い意志において、最近、白衣の天使ナイチンゲールと山田方谷には共通した強いものがあると感じています。

 ナイチンゲールは良く知られた近代的看護技術の開拓者でもあるのですが、近代統計学の発展に貢献したイギリス統計学会会員でもあります。

 クリミア戦争の野戦病院で看護団を率いて看護に没頭するとともに、発案した統計グラフを活用して状況分析を行い、戦死者よりも戦病死者のほうが多く、しかも戦病死の原因が野戦病院の過密と不衛生が病気を蔓延させていることを立証し、イギリス陸軍の衛生改革を成し遂げています。

 ナイチンゲールは「病人の命を救うのは、宗教者の愛ではなく衛生環境である」と言っていますが、この言葉は統計学的な裏付けによるものであり、直観的な思いを述べているのではありません。

 山田方谷もナイチンゲールも、観念的な精神主義者ではなく、徹底的に現実的・合理的です。私も「事の外に立ちて事の内に屈せず」に進みたいと思います。