2012/06/26

サント・トマスの虜囚たち

アマゾンのマーケットプレイスで注文していた本がゆうパックで届きました。シリア・ルーカス著「サント・トマスの虜囚たち」ですが、日本版は「私は日本軍に抑留されていた」であり、あまりにもセンスが無いタイトルです。

この本は、小松真一著「虜人日記」と山本七平著「ある異常体験者の偏見」に書かれていた、日本人捕虜収容所と米英人捕虜収容所の内部秩序の違いを確かめたくなったので読みました。

当時、日本人(兵)はほとんどが読み書き計算ができますが、米英人(兵)は公衆道徳や教養は高いが読み書き計算があやふやな者も多く、個人で比較した場合圧倒的に日本人(兵)の方が能力が高かったことが小松・山本氏の著書に書かれています。


しかし、ほとんど見ず知らずの者が集団となって収容所に収容された後の内部秩序は大きく違います。米英人(兵)の場合、すぐに自治組織がつくられ、様々な分野の委員会が立ち上げられ全員が統制を持って任務を分担していき秩序が保たれます(映画「大脱走」でも組織化されていました)が、日本人(兵)の場合は大きく違います。収容されるまでの階級はほとんど意味をなさず、無秩序状態に陥り、次第に暴力支配による秩序が形成されます。

逆らうものはリンチに遭うなど、暴力による支配に恐怖にかられ発狂する者さえ出ます(シベリアの収容所も同様であったことが山本氏の著書に書かれています。)。しかし、収容所を管理するアメリカ兵が暴力を排除(支配層の移送)すると無秩序状態に戻ってしまいます。

山本氏は収容所は民族秩序発生学を研究する実験場のようだと書いていましたが、この本を読むと、民主主義を勝ち取った国民性と、権威で押さえつけられていた国民性の違いが歴然と出ていて考えさせられます。

これを書いていて、「昔の日本軍の悪しき根性主義から一番きちんと脱却していた役所が、なんと自衛隊だった」を思い出しました。こちらも読んでください。