2012/05/17

ブータンは幸福な国なのか?~京丹後市がブータン参考に「幸福度」

 今朝のNHKニュースを見ていたら、京丹後市がブータンを参考に「幸福度」導入するとのニュースが流れました。

 以下ニュースの引用です。・・・・・

ブータン参考に「幸福度」導入

 京都府京丹後市は市民が感じる幸福度を重視した市政を進めようと、ヒマラヤのふもとの国、ブータンが提唱している「国民総幸福」という指標を参考に、市民の幸福度を測る指数を市政に導入することになりました。

 京都府北部の京丹後市は、人口の30%を65歳以上の人が占め過疎化が進む地域もあり、市民所得は減少傾向が続いています。


 しかし地元には人のつながりや豊かな自然など都市部と違った魅力もあるとして経済成長だけでなく市民の幸福度をより重視した市政を進めることになりました。


 その一環として、国王による国民の幸福度を重視した国づくりで知られるブータンが提唱しているGNH=「国民総幸福」という指標を参考に市民の幸福度を測る指数を市政に導入することになりました。


 京丹後市は、今年度中に幸福度の測定方法について具体的な検討を進める計画で、必要な経費を補正予算案に計上する方針です。

                                            05月17日 07時05分

 ・・・・・ニュース引用終わり。


ブータンは幸福な国なのか?

 ブータンの「幸福度(国民総幸福量GNH)」は1972年に国王が提唱した国民全体の幸福度を示す尺度で、経済面だけでなく精神的幸福を重視した持続可能で公平な社会経済開発、自然環境の保護、有形・無形文化財の保護、そして良い統治という柱からなるそうですが・・・・・同時に、支配階層のドゥクパ族の優位政策が進められています。

 1985年に国籍法(1958年)を下敷きに公民権法(国籍法)が制定され、国籍付与条件が厳しくなり、国籍を実質的に剥奪された住民が特に南部在住のネパール系住民の間に発生しました。

1988年に国勢調査によって支配民族が少ない事がわかった結果、大きく流れが変わり同化政策が強化されることになりました。

 1989年、「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」を施行し、チベット系の民族衣装着用の強制(ネパール系住民は免除)、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守、教育現場でのネパール語の禁止などが実施されました。ここでの伝統的礼儀作法はあくまでも支配階層ドゥクパのものでしかありません。

 これに反発して、南部ブータンにおいて一部ネパール系住民による反政府デモが展開され、反政府活動グループと警官隊との衝突で死傷者が出る事件も発生しています。その後、デモ弾圧の取り締まりが強化され、ネパール系ブータン人に対する、恣意的逮捕、拷問が激しくなります。

 1991年に入り事態は一応沈静化したものの、1992年には、国家保安令が出され、自主的移住用紙にサインさせられ国外追放にされる難民が増えています。

 人口約67万人のブータンから、総人口の5分の1にもあたる12万人以上の難民が発生しています。ネパール国内にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が建設した7箇所のブータン難民キャンプが存在し、ここに約10万6,000人が生活しています。

 その後、ブータン難民問題は、国連の人権会議に挙げられたり、EU代表団からブータン政府を非難するコメントが発表され、難民問題についての解決を促す欧米からの強力な外交圧力がブータン政府に対して加えられていますが、ブータンがUNHCRのブータン入国を拒否し、難民のブータン帰還プロセスがモニタリングできないため、帰還は不可能になりました。

 2007年11月より第三国定住プロセスが開始されていますが、故郷を奪われた10数万人を排除したままブータンで行われる民主選挙に対し、2008年1月20日、4ヶ所で爆弾テロが行われ、女性1名が負傷しました。

 そして、2011年8月までに,約5万人の移住が完了しています(米約4万2,000人,カナダ約2,400人,豪約2,000人等)。難民の第三国定住プログラムとしては世界最大規模となっています(国連UNHCR協会の公式サイト等参考)
 
 それからブータンの識字率は、なんと42.3%(2009年,人口15歳以上)です。これは世界でも最低のレベルであり、国民の半分以上が、文字が読めないことから、学校教育が無料という名目でも、実際には多くの子供が学校に通っていないのが実態と思われます。

 他にも、集団主義により強制されているなかで、幸福度の調査に問題があることも指摘されています。

ブータンの国王による上からの国民の幸福度を重視した国づくりには光とともに暗い影もあります。

京丹後市は、上から目線であまりにも単純に考えていないか?「ブータン参考に幸福度導入に」疑問を感じます。

市民の幸福度を測る指数を市政に導入するよりも先に、「まちの幸福論 コミュニティデザインから考える」山崎亮著にも書かれているように、地域の課題をそこに住む人が解決すること、多様な生活観を創り出すためのまちと人のあり方を考えるべきだと思うのですが……