「森林の江戸学」を読了しました。
戦国時代が終わりを告げ、豊臣秀吉から徳川家康の時代、江戸の建設などで材木需要が増加し、森林資源の枯渇が深刻化していくのを背景に、どのように江戸時代に森林枯渇が認識され、森林の保全と拡大に取り組まれたかが、林政に特化して緻密な調査と考察が成されています。
江戸期になると材木の需要だけでなく、大規模な農地の開墾と、農地の増加による自給肥料用の草木の需要の増加と、人口増加による薪などの生活エネルギー需要の増加が、過度な樹木の伐採や草原化を起こしてしまいます。
17世紀終わりごろの日本の山は草山・柴山系が6割以上を占めていたようで、現在の感覚からすると、悲惨なはげ山にも見えますが、草山・柴山が江戸時代の農業と生活に欠かせなかったこともわかります。
しかし、草山・柴山の増加と、立木山の伐採増により、山の保水力が失われ、土砂災害や洪水が頻発したこともあって、治水から治山へ林政の舵が切られ、留山など地域を定めた伐採禁止地区による厳格な資源管理が行われていきます。
そして、森林資源を確保するため人工造林に取り掛かり、幕府は全国一律に植林・育林を進めようとしますが失敗し、地域の特性を活かした適地適木での取り組みに変わり、すべてを伐採しない拓伐や輪伐というしっかりした管理が行われ、森林の復興に主眼が置かれ貴重な資源が明治まで保全されています。
明治以降、樹実採拾政策により木曽桧などの良材に偏った造林が進められ、江戸林政での適地適木など地域特性は顧みられることなく、さらに戦後の拡大造林によって自然条件を大きく変えてしまいます。杉や桧の花粉の増加と森林荒廃は、明治以降の林政の結果なのです。