「客分と国民のあいだ」を読了しました。
民衆が国民にいつ変わったのか、近世民衆は、身分制支配を覆そうとはしなかった。しかし、役人や商人が領民の保護をないがしろにして私利私欲を優先したときは、彼らは、一揆や放火という手段に訴えて、その不正を糾弾しています。 江戸期には「仁政は武家のつとめ、年貢は百姓のつとめ」という対句が唱えられています。
明治になると、「仁政」は人治から法治に移っていきますが、民衆にとっては「客分」意識が濃厚であり、誰が政権を握ろうとも、安穏に生活できればそれでよく、為政者が民をまとめるために手を尽くすが効果がなく、自由民権運動こが、天皇・軍隊・国旗等を民衆の身体に浸透させていったのだという。
そして、1884年の甲申事件(朝鮮クーデター)で仁川の日本人が暴行・殺害されたことが、一挙に民衆の愛国心を沸き立たせ、日清戦争、日露戦争と外敵に対峙し、戦争の勝利による強者の一員という意識の共有が日本国民としての一体感をつくっていく。
マスコミは対外感情の悪化を煽る手法でナショナリズムの形成過程に重要な役割を果たしている。そして、国内にある問題から目ががそらされていく。
一体感とともに多様性とのバランス感覚のとれた国民を生み出さなければならないが、客分意識は根強く残っている。
この本を読んでいると韓国や中国が国内の一体感をつくりながら内政への不満を回避するために同じようなことをしていることがわかる。歴史は繰り返すようだ。
(Face Book1月7日0時25分より)