2011/09/20

地域の将来を考える(パート3)

(パート2)より続く

 私が生まれた昭和35年の京丹後市の高齢化率は9%でしたが、それから50年が経過して、現在の高齢化率は30%を超えています。

 地域によって差はありますが、奥大野の場合は、昭和35年の高齢化率はもう少し低く、そして、現在の高齢化率はもう少し高くなると思っています。

 一般的に、年齢が上がるとともに、所得格差は拡大し、固定化していきます。京丹後市は、高度経済成長期に家内工業的自営業の比率が高かったことから、老後の年金は国民年金のみ方が多くあります。

 ですが、国民年金からは介護保険料などが天引き(特別徴収)され、最高でも月6万円程度の受給であり、年金だけではとても老後の生活が成り立たないため、低賃金であっても、機織りを続けられている方も多くいますが、賃機の工賃があまりにも低いため、小遣い程度にしかならないのが現状です。

 ただし、自営業者内にも所得に大きな差があり、国民年金だけでなく民間の年金にも加入されている方や、他の不労所得のある方もありますが、比率的には多くはないと思います。以前読んだ政府の社会保障国民会議での資料では、国民年金未納者の2割以上が500万円以上の年収があるそうで、未納問題をひとくくりにするのではなく、国民年金を払いたくないから未納する人と、払えないから未納する人の経済格差はしっかり認識すべきだと思います。(ちなみに、国民年金の未納問題がクローズアップされていますが、不安を意図的に煽るものであり、公的年金加入者全体7,049万人でみると未納率は4,8%(340万人)です。)

 また、丹後におけるガチャマン時代の経済的恩恵を過大評価する傾向があり、その当時の都市部の収入に比較すると、あまり恩恵はありません(この部分は地域の将来を考える(パート2)をご覧ください)。ですから、とても儲かったのだから蓄えをしているということはなく、地道に資産を蓄えてこられた方から、借金に追いかけられてきた方まで、広くいろんな方がいます。

 今の高齢者の多くは、戦後の何もなかった時代も経験しておられますが、その後の「モノがあり、ガンバって働けば手にはいる、それはとても幸せなことだった。」と多くの人が思っていた高度成長時代を経験しています。そして、1億層中流といわれたバブルに浮かれた時代も経験しています。しかし、一方で、人は高い生活レベルを経験すると、なかなか生活のレベルを下げることができにくいといわれています。

 また、一方で、織物全盛期には地域であまり尊重されることがない風潮にあった給与収入者層の方の退職後の年金は、国民年金と比較すると一定の生活が可能であると思います。公務員であった叔父や叔母、自営業の叔父や叔母など身近な人を見ていると、年金の受け取り額が生活を大きく左右しているのを肌で感じます。

 そして、高齢者間の格差の広がりが、低所得高齢者の不満が高まっている部分でもあり、地域の老人会などの加入者が減っているのは、目的がはっきりしている趣味やスポーツなどの同好会などと違い、老人人口が増えて多様なつながりが可能になったことと、どうしようもない格差を些細なことで意識させられてしまうことにあることも一因であると考えています。

 人は感情の動物であり、プライドを持っています。傷付けたつもりがなくても、傷つくのが人間です。人生の経験が長ければ長いだけ、違いは広がっています。わざわざ出向いて面白くない思いをしたい人はいません。

 くどいですが、高齢化とともに経済格差は拡大してしまいます。このことは、地域の将来を考える上で、忘れてはならない視点であり、高齢者の方のつながりをどのようにしていくのかも考え直す必要があります。

(パート4)に続く