2011/09/14
まちづくりのあり方(一般質問パート1)修正版
9月議会、一般質問初日の4人目に一般質問に登壇しました。質問内容は「まちづくりのあり方と公共施設について」です。以下質問の思いを書きます。
前段
私が生まれた昭和35年の京丹後市(合併前の旧6町)の人口は80,106人でしたが、平成22年の国勢調査の集計結果は、59,044人でした。50年間に21,062人の人口減少となっています。
過去を見ると、大正9年の人口は72,162人、昭和5年に73,478人、昭和15年に75,524人と人口は増え続け、昭和25年の83,001人をピークにして、その後は一貫して減少しています。
人口の推移を町別でみると、久美浜町は昭和22年をピークにして減少しています。丹後町と弥栄町は25年をピークにし、峰山町は30年ですが、網野町と大宮町ははその後も人口が増加し、網野町が50年をピークに減少に転じ、大宮町は平成16年まで人口が増加しています。
さらに65歳以下人口でみると、昭和35年の高齢化率は9,1%なので72,810人となり、平成22年は高齢化率が30,6%なので40,970人となります。
総人口では50年間で21,062人の人口が減少していますが、これを65歳以下人口に限定すると31,840人の減少と10,000人以上多く減少しており、今後も人口は減少します。国立社会保障・人口問題研究所の人口予測によると、平成32年には52,414人(65歳以下33,070人)、平成42年には45,142人(65歳以下26,680人)と人口は減少していきます。
ちなみに、平成17年の国立社会保障・人口問題研究所の平成22年人口予測よりも、京丹後市の人口は532人多く減少しています。
私は、人口について、希望的観測で考えてはいけないと考えています。(夕張市が財政破綻した最大の理由は、希望的観測に基づく事業拡大です。同じく、産炭地であっても、人口減少を受け止めながらまちづくりを進めた市長村の方が、没落を免れています。)
平成22年の国勢調査の集計による平成17年との人口動態の比較では(人口減少の現実クリックしてをご覧ください)、地域活性化の成功例とされる市町村も減少しています。人口が減少するかしないかは、その市町村の大都市からの立地条件が大きく影響し、市長が定住促進のために必要としている社会インフラの鉄道や高速道路が通っていても減少している市町村は多くあります。
すでに、この50年間人口は減少してきました。その経験も踏まえて、私はこれからの人口減少を否定的にのみ考えてはならないと考えています。大切なことは、住んでいる人間が幸せを感じれることが出来ることであり、そのために必要な施策を行うことだと考えています。
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京丹後市は、平成16年に合併しており、市民の負担が少ない有利な合併特例債の発行が認められるのは平成26年までであり、交付税も合併算定替により25億円程度多く措置されているが、激変緩和で平成27年から5年間で減額されます。(人口減少もあるので、交付税はさらに多く減ることになります。)
平成26年までの1年は、それ以降の数年分の重みがあり、26年までに中・長期的なまちづくりをしっかり打ちだして取り組むことができなければ将来に禍根を残すことになります。そして、しなければならないことを先送りすることは許されません。
また、時間的・財政的に限られたなかで、あれも・これもできるわけではありません。将来を見据えた選択と集中が必要であり、これからのまちづくりに欠かせないことは、「医」、「職」、「住」です。
高齢化がさらに進むなかで、医療は必要不可欠であり、自然減での人口減少は避けられませんが、社会減での人口減少を少しでも緩やかにするためには、「職」、食べていけるだけの仕事がなければなりません。そして生活環境という広い意味での「住」です。道路、電気、水道はもちろん、下水道がなくては生活環境が整備されたまちとはいえないでしょう。(そして、商店も必要です。)
人口の減少が進むなかで、これからますます全国の自治体で定住促進策を競うことになっていくと思います。
私の知り合いの方で、久美浜町から移住し豊岡市に新居を建てられた方がおられます。勤めが豊岡市内で、保育料は京丹後市よりも安く、下水道は整備され、しかも料金も安いとなれば、議員であっても、その選択を責めることはできません。人が普通に生活するうえでの行政としての考え方が京丹後市はできていないと思います。
(長くなるので、具体的質問は一般質問パート2へ)