2011/06/12

公共政策シンポジウム

 昨日は、政策分析ネットワークの公共政策シンポジウムに参加しました。政策分析ネットワークには、大宮町議会議員の時代から会員として参加しており、これまでに多くのことを学ばさせていただいておりますが、参加した当初の頃は、竹中平蔵氏が特命大臣となる以前で、慶応大学教授として代表をされており、規制緩和や民営化の方向性が強かったのですが、社会の変化とともに変わってきています。

 事前にいただいたプログラムから、特別ワークショップ3「震災復興・復興と日本経済(仮)」(コーディネーター 大和総研顧問原田氏、パネリスト 政府与党ならびに野党国会議員(調整中)) に特に関心を持っていましたが、参加当日、特別ワークショップ3は「震災復興・復興のあり方」となっており、国会議員の参加もありませんでした。

 速やかな政治判断が求められているという思いから、政治家の声を聞けなかったのは残念でしたが、政治が機能していない現状からすると、現地の情報を吸い上げて問題解決の議論をしているはずもなく、変更になって気仙沼市復興計画に関わっている関西学院大学の長峯教授や「震災恐慌」の著者の話を聞けたことのほうが良かったと思っています。

 長峯教授は気仙沼市のご出身であり、故郷の悲惨な状況を目のあたりにして、仕事が手につかなかったが、3ヶ月経ってようやく落ち着いてきたと話されました。

 現地は、テレビ等では復旧に向けて瓦礫の処理等が進んでいるように見えるが、まだ極一部でしかなく、3カ月たったがほとんどの所が変わらない状況で、市は県に判断を仰ぎ、県は国に判断を仰いでいるが、いったいどこで問題解決の議論をしているのか見えないなか、まちの絆の崩壊が進んでいます。

 阪神大震災では1週間後に復興計画の議論をはじめ、2カ月で計画ができていましたが、今回の震災ではようやく議論がはじめられたところであり、計画ができるのは早くても9月いっぱいまでかかるようですが、資金などの支援策などが見えないなかで操業に季節の制約を受ける水産業などは待つことができずに、廃業や移転などを決断せざるを得ないところに追い込まれています。
 
 今まで地域を支えてきた産業が崩壊に瀕しており、それまで従事してきた産業から別の産業に転職し生活をはじめようとしている住民と、復興するまで石にかじりついても培った産業を守ろうと固い決意で努力している住民がある状況であり、農業や水産業に関わっていた住民は早く帰りたいという思いが強いそうですが、職場が製造業や小売業などであった住民などのなかにはもう帰りたくないという住民も多いと聴きました。これでは、もともとあったコミュニティを再生してまちの復興を図ることは大変難しいと思います。ハードとして高台に宅地を整備して住宅をはじめ建物を建てることはできますが、元の住民の利害がぶつかり合うことになると思います。

 阪神大震災時は都市計画など上からの規制で早く復興計画づくりができましたが、今回の震災では、住民目線での丁寧な対応による計画づくりが必要だと思いますが、住民は各地に分散して避難し、行政もマンパワーが不足しています。気仙沼市では総合計画は3回の会議でつくったので、復興計画作成はより丁寧に4回の会議を考えているとのことで、長峯教授は気仙沼市行政の対応に頭を抱えておられました。

 また、復興会議も問題があるようです。会議を重ねるなかで分かったことは会議のメンバーのお互いの考えだけで、誰もが思い思いに意見を言い、意見が併記されていくだけのようです。財源の議論はされていないし、もともと権限もなく誰も何も決めれないとのことで、東日本大震災復興基本法案も政府与党が野党に大幅に譲歩したものでしたが、これらの大本の問題は政府与党の力量不足なのだと思います。