昭和36年、当時、農協組合長でもあった矢幡村長(のち町長)が始めた、ウメ、クリを植えてハワイに行こう(NPC運動)は、山間地の特性を調べ上げて、ウメとクリを植えて農家の所得向上に成功したもので、ハワイへの団体旅行を実現しています。この話は有名なのでほとんどの方が知っておられます。
大山町は、大分県が提唱した一村一品運動のモデルともなりましたが、大山町が現在でも地域づくりのモデル地域として注目を集め続けているのは、矢幡村長時代(昭和30年から46年)、役場の男子職員に金曜日午後の仕事を免除しレポートの執筆を義務付け、山口大学の教員が添削指導するなど人材育成を第一と考えた姿勢と、大山町独自の人材育成がその後も連綿と続けられていることにあると思います。
矢幡村長は、音楽ホールや美術館などの箱モノはつくらず、町民の海外研修などの人材育成に予算を回し続けます。そのなかで、最初は農業の生産技術の向上と合理化の研修であったイスラエルのキブツ研修は「新しいことをやるには広く世界を見る必要がある。豊かな人間関係、地域社会での連帯感、経済的裕福。いずれを考えてもイスラエルのキブツこそ理想の姿だった」と昭和39年以来続いており、今までに若者80名が協業の仕組み、相互扶助、農業工場のあり方、地域社会の自立など4カ月に渡る体験研修に参加し、現在の地域づくりに貢献しています。
カリスマ的指導者が出ても、その後、後継者ができずに衰退していく地域がほとんどだと聴いています。先日のブログこれから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。の精神は、大山町において、しっかりと実践されています。
7月28日、産業建設常任委員会で大山町(現日田市)の現在の取り組み(6次産業化、木の花ガルテンなど)の視察研修に行きます。
私が尊敬する民俗学者宮本常一は、「離島でも山村でも人間を育てなかったところは、もう僕がいっても取り返しのつかないところまで事態が進行している。おそらく僕は死ぬまでこの問題に胸を痛めてあるかにゃならん」という言葉を残していますが、一方で、行く先々で若い人の育成にもかかわっていたことが知られています。ここは宮本さんに指導を受けた方の言葉で最後を締めくくります。「宮本さんは、人づくりができて、道づくりができる。道づくりができて、はじめて産地づくりができる、ということをよく言っていました。とにかく人づくりからはじめろ、というのが宮本さんの持論であり、信念でした。」