2011/12/01

12月議会初日(まちづくり基本条例改正について追記)


 11月30日、京丹後市商工会などの要請を受けて、ちりめんの産地として15人の議員がきもの姿で初日議会に臨みました。執行部側も市長はじめ、きものを着用されている方が多くおられました。

 しかし、きもの姿で和やかな議会とはならず、最初の議案から問題含みでした。

 日程第1「京丹後市まちづくり基本条例の一部改正」について、条例に4年以内ごとの検討及び見直しが定められており、条例に基づいて「まちづくり委員会」で検討された結果、改正案が提案されました。

 まちづくり基本条例は、京丹後市のまちづくりの規範として最も上位に位置づけられていますが、「まちづくり委員会」の答申では、市民団体等への意見聴取において、多くの団体から「まちづくり基本条例」は住民周知に欠けているとの指摘を受けています。行政として必要との判断に基づいて定めた最高規範であるなら、制定後の4年間でまちづくりの基本理念が共有されていないことは問題です。

 また、答申には議員として見過ごすごとの出来ない文章がありました。

 第15条(市議会議員の責務)について、「自己の狭量な考えや地域エゴにより必要以上時間を費やし、問題を複雑化しているとの意見もあった。」

 この文章は議会議員を否定しています。なぜ、わざわざ答申に盛り込んだのか?

 議会は、市民の多様な意見を反映するために多人数で構成する合議機関であり、少数意見や、光のあたらない地域の課題なども取り上げる責務があり、拙速な議論を避け、多数決による決定の前に、少数意見を最大限に尊重した冷静な討議がなされる必用があります。
 また、議員を選挙で選んだ市民も否定しています。間接民主主義において、議員は住民代表として議会で発言しています。

 たとえ、委員会において、議会における議員の自由な発言や時間をかけた討議を否定する主旨の発言があったとしても、「まちづくり基本条例」の検討のなかでは、委員の方に議会の意義・基本について思い違いが無いように説明があるべきであり、最高規範の検討にはあまりにもなじまない意見の掲載となっています。

 ここでの「自己の狭量な考え」とは、どのような物差しで計ったものなのでしょうか、何を持って狭量と断定できるのでしょうか、また、地域エゴとは何を持って言うのか、このような誹謗中傷的な表現を仮にも公文書である答申に盛り込むのなら執行部局は責任を持つ必要があります。

 そして、最大の問題は、「まちづくり委員会」での議事録上での委員の意見に、「自己の狭量な考えや地域エゴにより必要以上時間を費やし、問題を複雑化している。」との発言が無いことです。各種団体から聴取の意見の中に類似した意見があり、それを修文して答申に掲載しているようですが、なぜ、わざわざこんなことをするのか理解できません。

 この条例は総務委員会に付託され12月2日に審査がなされます。総務委員会において徹底した審査がなされることを望みます。