2011/08/04

シンポジウム「地方議会改革」に一言

 7月30日、公共政策学会関西支部と市民と議員の条例づくり交流会議の共催で、午後3時30分よりシンポジウムが開催されました。

 パネリストは、龍谷大学の富野教授、近畿大学の辻教授、伊賀市議会安本議長、京都市議会村山議員、四条畷市議会渡辺議員の5人で、「地方議会に求められている役割」、「役割を果たすために必要なこと」、「制度改革」について3人の議員が話し、コメントが加えられ意見交換がありました。

 3人の議員からは同僚議員を見下した意見や、定数削減、報酬削減の意見がありました。
会場からは、今よりも議員が選挙のための活動を強く意識して逆効果にならないかとの声がありました。

 私は、発言が少ないから、または資質がないなどと議員を非難はしません。
もちろん、資質を高める努力はそれぞれの議員がしなければなりませんが、現行の制度のもとで、市民から選出された代表であることは正当であり、個人の資質を問題にしていしまうと、資質にもいろんな見方があり、最終的には制度そのものの否定になりかねないと思っています。

 定数を減らして少数精鋭にとの議論もありましたが、定数を減らしたら資質の高い人が議会に出て、議会のレベルが上がるのでしょうか、また、報酬を上げて、議員の地位の安定を図れば資質の高い人が立候補するのでしょうか、また、報酬を下げればボランティア精神が発揮されるのでしょうか、私は、多くの場合、そうはならないと思います。このような本質を見誤った短絡的な議論は民主主義を滅ぼすだけだと思います。(この議論を突き詰めていけば、最終的には優秀なリーダーが1人ですればよい、つまり首長一元代表で良いという結論になりかねないと思いますが、必ずしも優秀な人が首長になっていないのが現状です。)

 市民に議会・行政に関心を持ってくださいと言っても、現在の市民生活のなかで知る努力を求めることには限界があると思います。市民は政治経済学でいわれるところの合理的無知のなかにあります。市民は限られた時間のなかを精一杯働き、生活しており、市民の罪でもありません。市民の意識をドラスティックに変えることはできることではなく、また、しようとしてはならないことであり、地道に誠実な働きかけを継続していくことが、遠回りのようで唯一の正解ではないかと思っています。

 市民のなかで資質の高い人を議員として選出して行くべきだという議論をしても、現状が、その地域なり集団なりで議員の資質があるとして選んだ人が候補となり、議員に当選して議会に出ているのであって、地域なり集団なりでの人材の考え方も違い、人材の育成ができているわけでもありません。現行選挙制度のもとで、たとえ定員24人であったとしても、市民が選んで投票できるのは1票であり1人の候補の名前しか書けません。1人の名前しか書けないなかで、また、限られた時間で議員全員を知り、議会の雰囲気を知ることができにくいなかでは、市民の議会への関心を高めるのは時間と労力が必要だと思います。だからこそ、短絡的な議論は避けねばならないと思います。

 また、制度改革についての意見もありましたが、まず、現在の制度で、何ができるのか、できることをしっかりしてきたのかが問題です。いろんなところで制度改革についての議論がありますが、それ以前に現行の制度をしっかり使えていないことがほとんどだと思っています。周りの議員とよく話し、周りの議員の言っていることもよく聞きながら、誠実に行動し少しづつ納得してもらう努力をしなければなりません。協力が得られればできることは飛躍的に増えます。同じく、制度改革も人の協力がなければ改悪もありうるのですから、誠実に誠意を持って取り組むことが最善だと思います。