民主党代表選が行われますが、この国の将来像を示した政策論争は低調であるように思います。政権をとることが目的で、あとのことは小同大異で結束している党だから、本格的な議論をすることはできないのだと思います。
民主党マニフェストの見直しに関してもおかしな議論です。政権を取ってすでに2年たっているのです。政権を取る前は、野党だから官僚から情報が入らないなど、見苦しい言い訳をして、政権さえ変われば財源は必ずできると言っていたのですから、2年がたち財源がないことがはっきりしているのに、責任ある態度には見えません。
緊急を要する議論にエネルギー政策、原発の議論があるはずですが、これについても、民主党が政権を取ったときと同じです。まず、党首になることが目的で、多数の議員(各議員の思いはどうであろうと1票は1票)に投票してもらうために、難しい論点を含む議論は、国民にとっては重要であっても避けられているように思います。
このまま推移すれば、先日稼働が決まった北海道泊原発3号機(平成21年建設)を除き、来年春には全原発が止まります。全原発が稼働を停止すれば、恒常的に節電が必要となりますが、夏と冬の電力不足は深刻になります。
また、多くの人が理解していないことに、電力供給と発電コストは別の問題であることがあります。老朽化した火力発電所などをフル稼働することにより、電力供給はある程度賄えますが、発電コストは4兆円増えます。国民は節電とともに、電力料金の値上げを覚悟しなければなりません。
政治家は、原発を止めると節電とともに電力料金の負担が上がることを説明しなければならないし、自然エネルギーは、火力よりもさらにコストがかかることを説明しなければならないと思うのですが、誰も都合の悪い部分を説明していないように思います。
もしかすると、民主党は政治的な力で電力料金を値上げさせないつもりなのかもしれませんが、電力会社は燃料を国際市場で購入しなければならないため、赤字を垂れ流して操業を続けることはできず、早晩資金不足により電力会社の債権が焦げ付くことから、金融市場に信用不安が発生し、収束ができなくなる可能性もあります。それを避けるためには公的資金の投入が必要になりますが、国民の理解を得るための説明は難しいと思います。
そして、原発停止により、企業が恒常的に節電を許容され、さらに、電力料金の負担が増す状況になれば、グローバル経済のなかにある製造業の海外移転の勢いは増して、国内に失業者があふれることになることも、国民に説明する必要があります。
短期間での脱原発は非現実的だと思うのですが、それよりもリスクの説明なしになし崩し的に進めるやり方は取り返しのつかないダメージを日本に与えるように思います。
私があれこれ書くよりも、わかりやすいと思うので、以下、森永卓郎さんの記事を引用します。
森永卓郎さんの記事引用。(SAPIO 2011年9月14日号)
菅首相は再生可能エネルギーによる原発代替を考えているようだが、将来的にはいいだろうが、現時点では荒唐無稽というほかない。最低でも20年や30年はかかり、もし数年程度で無理やり増やそうとすれば、莫大な額の補助金が必要になり、電気料金も高騰することになる。
たとえば、スペインは補助金をじゃぶじゃぶ注ぎ込み太陽光発電の導入量で世界第2位になったが、今や財政破綻の状況だ。この6月にイタリアは国民投票で脱原発を選択したが、家庭用電気代は日本の1.7倍である。同じく脱原発のドイツも日本の1.5倍だ(OECD2009年調査より)。一方、電力供給の8割が原子力のフランスは日本の0.8倍と安価である。
イタリアはファッションや観光で食べている文化大国なので、電気代が少々高くても問題ないが、日本人は残念ながらラテン系のイタリア人のようになれそうにない。工業国のドイツは、ギリシャが財政破綻して以降、極端なユーロ安になったおかげで輸出が絶好調で、高い電気代の影響など吹き飛んでいる。
一方の日本企業は極端な円高に電力不足と法人税増税まで加わり、三重苦にあえいでいる。いきなり原発を全基停止すれば、間違いなく日本経済は崩壊し、失業者は百万人単位で膨れ上がるだろう。
脱原発イデオロギーに囚われた首相が強要する節電は、毛沢東の文化大革命を彷彿とさせる。文革の下放政策は、若者たちを農村に送り込み、非効率な仕事を1日16時間やらせただけで、何一つ経済発展には寄与しなかった。節電の強要も何も生まないばかりか、日本経済を崩壊させていくだけである。
今、日本の政治で求められているのは鄧小平の出現である。彼は「黒い猫でも白い猫でもネズミを捕る猫は良い猫だ」と言った。安全を確保することは大前提だが、黒い電源でも白い電源でも、安価に安定供給できる電源は良い電源なのだ。