きょうは、豊岡市日高町の親元で父の法事があり、久しぶりに親戚が集まりました。父は7人兄弟の3番目で二男でしたが、長男が戦死したため後継ぎとして祖父の資金をもとにかなり奔放に事業を展開したらしく、事業を巡って莫大な借金をし(まだ20歳そこそこの者が銀行から莫大な借金をできたのは祖父の信用があったからと生前の父から聞いています。)、祖父に勘当されますが、祖父が昭和28年(父26歳)に亡くなったため、その後は出入りが許され、昭和55年に脳出血で倒れてから以降は、亡くなるまで親元で看てもらっていました。
親元の家は、計画されている北近畿豊岡自動車道の真下になるため、すでに用地買収の交渉が入っているようで、雑談のなかでは買収価格よりも代替用地の話をしていましたが、今の家がなくなるのは時間の問題で間違いなく、そういったなかで(昔の思い出が詰まった)良い材料が使ってあるので新しい家に使えないかなどとの話もありました。懐かしい過去とのつながり、故郷とのつながりが消えていくような、惜別の思いを感じながら帰ってきました。