2011/11/21

若者就労支援 「静岡方式」

ダイヤモンドオンラインhttp://diamond.jp/articles/-/14799の記事で読み、早速本は注文しました。素晴らしい取り組みであると思うので全文紹介します。

・・・以下引用

 【働けない若者の約8割を働く若者に変えた!? 少年院の元教官が教えるウワサの「静岡方式」とは】 引きこもりたちの就労を無償で支援! 少年院の元教官が運営するNPO法人 (「静岡方式で行こう」 津富宏著、NPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡)

 「居場所を持たない」「スタッフは皆、無償ボランティア」というユニークな「引きこもり」等の支援活動で注目されているNPO法人がある。それが、「青少年就労支援ネットワーク静岡」だ。先月末、同団体と理事長の津富宏氏は、『静岡方式で行こう!』(クリエイツかもがわ)を出版した。
 同書の取材・執筆を担当したのは、長年「引きこもり」支援活動に関わり続けてきた、コピーライターの永冨奈津恵さん。そんな彼女が実践してきた支援ノウハウも、同書には詰まっている。

 この「静岡方式」の最大の特色は、地域で引きこもる人たちを支援するサポーターが皆、それぞれの分野で地道に働いている「専門家」である一方で、そうした職業上の知識やスキルを活かして無償でボランティア貢献する「プロボノ」という新しい活動方法を取り入れていることだ。

 なかでも、私が同書を読んで興味深いと思ったのは、同ネットワークが支援の拠点となる「場」を持たずに、直接、職場を紹介し、実際の職場で支援していること。そして、利用者に対して、実費以外の支援サービスを無償で提供している点だ。

 その結果、同ネットワークが2002年に発足以来、9年間に支援した利用者300人余りのうち、その8割に「就労中」「就活中」「就学中」「就労体験中」のいずれかの“変化”が起きているというから驚きである。

 支援者である「サポーター」のボランティア登録者は現在、50人余り。主な活動内容は年2回、半年間限定のセミナーを実施することだという。
 受け入れる対象者は「40歳未満で、現在就職しておらず、すべてのプログラムに参加できる人」。条件は「必ず、本人が申し込み、“働きたい”という意思表示をすること」としているが、実際の参加者には、「引きこもり」「不登校」「身体障害」「知的障害」「発達障害」「精神的疾患」などの困難な問題を抱えている若者たちも多く含まれている。

 しかも、セミナーの費用は、当事者も家族も、すべて無料。行政からの若干の補助と、「サポーター」のボランティアによって支えられているそうだ。

 津富氏の前職は、意外なことに、少年院の教官。2002年に、現在の本職である静岡県立大学国際関係学部准教授に就任した。
 津富氏が、こうした就労支援の仕組みをつくるにあたって、参考にしたのは、地域で非行少年の面倒を見る「保護司制度」。そんな少年院時代のノウハウを活かし、就労支援を一部の専門家のものとするのではなく、地域の人々がみんなで支えていく仕組みを作り上げたという。

・支援の拠点となる「場」を持たず、「無償」で支援を行う理由
  ではなぜ、支援の拠点となる「場」を持たないのか。本書は、こう説明する。

≪「“場”に来なさい」という支援は、単純に失礼きわまりないし、本人にとっても“場”に来ること自体が、時間や費用の面でコストになるからだ≫
 そして、こうも続ける。
≪そもそも、「場」を持ってしまうと、そこから送りだすための支援、いわゆる“出口支援”が必要になるのだ。「場」があるから、そこを運営するスタッフが必要となり、「場」への誘導支援(「場」に来てもらうための支援)が必要となり、「場」になじませるための努力が必要となる。対人関係に柔軟に対応するのが不得意な若者ほど、やっとの思いで獲得した居場所を離れるのは怖いから、そこに滞留してしまうことになる≫

 確かに、ようやく外に出てきても、今度は安心できる居場所に引きこもってしまう人たちをこれまで何度も見てきた。何かしらの居場所を設置すれば、維持費や人件費などのコストもかかってきて、それらは当事者や家族の費用負担を強いることにもなる。
「就労支援でお金をとってはいけない」
 同ネットワークは、最初のミーティングで、こう方針を決定。困窮した人たちが、サービスを受けられなくなることを避けた。

 しかし、サポーター自身が失業することもあったという。それだけに、
≪支援者も被支援者も長期的に見れば、不安定雇用の時代を生き抜いていく同志である。就労支援は、市民相互の助け合いである≫
 という理念が、何だか輝いて見えた。また、ときとして支援現場においては、見落とされたり、勘違いされたりしがちな部分のように感じられる。

 とはいえ、会場費や交通費、講師の謝礼、備品代などの実費は、どうしても必要だ。そこで、同ネットワークでは、こうした実費分について、国や県、市などの自治体からの事業委託としてまかなっているという。

 就労支援の実費費用は、本来、国や自治体が供給するべき社会インフラだという考え方には、筆者も共感できる。

 元東京都副都知事で、明治大学公共政策大学院教授の青山やすし氏も、筆者が以前行った別のインタビューの中で、「日本の相互扶助的な機能を担うことができる基礎自治体は、本当はコミュニティー単位で作らないと、うまく機能しない」と話していた。

 同書では、こう紹介している。
≪支援にかかるコストは、しばしば、サポーターの持ち出しとなる。若者1人を担当する経費として、各サポーターに1万円を支払っているが、私自身、メールを使えない若者が電話で支援を受けることを希望したので、月の電話代だけで2万円を超えたこともあった。行政には、今よりも手厚い支援を望みたい。若者1人が納税者となることによる利益を考えたら、この程度の費用は出せるに違いない≫

・サポーターは“素人”ばかりの新しい支援 「静岡方式」こそ、いまの時代に沿っている
 さらに、大事にしている原則が、「すべての若者を受け入れる」と表明していることだ。「引きこもり」「障害」「非行」などの有無は関係ないという。

≪とにかく「できません」とは言わない。これは、既成の支援機関が拾いきれなかった若者から、決して逃げないという意思表明であった≫
 と言いきってしまうところに、頭の下がる思いがする。

 行政や社会が縛られている「縦割り」のシステムを乗り越えるために、「すべての若者を受け入れる」という切り口で、横へ横へと、既成の仕組みを取っ払うことを決めた。
 そこで、特徴的なのが、伴走者である「サポーター」の態度。「若者と関わる姿勢は、自分で決めてよい」というものだ。
 マニュアルはつくらない代わりに「就労支援にあたっての心得」を作成。同書の中に収録されているが、これも興味深い。

 前にもふれたとおり、「サポーター」は、パソコン教室経営者、教員、行政書士、寺の住職夫婦、コンビニ経営者…と、多岐にわたる。たとえ、素人であっても、それぞれが皆、本業を別に持っている。大事なのは、「若者に影響を与え得る何かを持っていること」であり、この「素人性こそ重要」だと指摘する。

 ボランティアであることの強みは、お金をもらっていないから、親に遠慮をしなくていい。親に対しても、ずけずけとモノを言う。一方、サポーターは地域で仕事もしているので、悪い評判が立つような適当な支援もしにくいことだろう。
 本書には記されていないが、こうした本業と就労支援の「ダブルアイデンティティ」の考え方こそ、「プロボノ」という新しいボランティア活動だ。

 1人の小さな力では、自分の職場の枠組みを横に越えることができない。でも、「ダブルアイデンティティ」によるネットワークが相互に重なり合えば、「縦割り」の壁を突き破って、重層的な支援を提供することが実現できるのだ。

 そして、就労生活が安定しても、本人が支援を望む限り、「永遠支援」を提供し続けているというのも、現実に即している。
 実際、引きこもっている人たちの半数以上は、就労経験のあった人たちであることが最近、様々な調査で明らかになってきた。「一旦、働いた後、社会から撤退するほどのダメージを受けた」人たちが、いかに多いかを物語っている。

 そんな「永遠支援」は、地域づくりを目指しているというのも、大事なことである。
「ただちに職場につなぐ」理由の1つは、本人の好みこそ、重要だからだという。
「何ができそうかは、本人が経験を通じて学べばよいことで、その経験を積む支援をするのが私たち」という発想は、まさにその通りだと思う。

 もう1つの理由は、本当に必要なスキルは、職場でしか身につけられないから。職場にしか、本物のスピード感や緊張感はなく、そこに行かないと、体感することができないのだ。
 そのためにも、「間を置かない」ことである。

 ボランティアであれば、そうした“変化”に純粋に感動することができるという。
≪一度、若者が変化する姿を見てしまうと、サポーターはやめられない。この感動に、はまってしまったのが、私たちである。お金をもらっていれば、就労支援は「仕事」になってしまうし、生活の手段になってしまうが、お金をもらわないので、就労支援は「趣味」であって、「生きがい」となる≫
 会社のために、スキルを磨くことも大事だが、ボランティアの中で応用力を試されるのは楽しい。自分と社会とのつながりを実感できる瞬間でもある。

 社会的課題の解決に向けての取り組みが注目される中で、これからの「引きこもり」状態にある人たちへの支援のあり方を考えると、こうした「静岡方式」のやり方は、いまの時代に沿っているように思える。