電車のなかで読んだ本(その1)より続き
「どうする?日本企業」は、日本企業が陥ってる状況がよく理解でき、これからしばらくは厳しい状況が続くことが予測できました。以前MDウオークマンの出荷終了に思うことで取り上げた「イノベーションとジレンマ」でも、技術への過信の危険性が別の角度から取り上げられましたが、技術革新がもたらす恩恵と弊害について考えることができました。
日本の産業界に君臨している369社の1960年から2005年までの売上高営業利益率は下降トレンドを辿っていますが、実質売上高はずっと増加しています。つまり、日本企業のなかには利益がともなわない不毛の努力を続けていいる企業が多いのです。
この本での企業分析はたいへん参考になりました。そのひとつとして、「セイコー」が1969年にクオーツ腕時計を発表してから1980年には金額ベース、生産個数で世界一に成り得た経過が分かりやすく書かれ、しかも、その後2009年には、1960年代半ばのクオーツ腕時計開発前の水準まで落ち込無までの経過もよくわかり、マーケティングなきイノベーションの失敗が大きいことが分かります。
一方で、セイコーが量を追って自滅するのを横目に、1960年には3分の1売上であったシチズンは、セイコーと違った戦略を採りながら、1986年にはセイコーを追い越して現在に至っています。
同じような事例として、ヤマハのピアノが取り上げられていますが、ヤマハは1965年には生産台数が世界1になりましたが、1979年には頭打ちとなり、今では、1960年以前の水準にまで下がっています。
ここでの分析で、品質にはコンフォーマス・クオリティと、パフォーマンス・クオリティの二つがあり、多くの日本企業の追い求めている品質がコンフォーマス・クオリティであるため、後から追いかけてきた韓国や中国にすぐに追いつかれてしまうことが指摘されています。
確かに、カローラはジャガーのように故障はしないので、機械としての品質は上ですが、、造形の美しさと利益率ではカローラはジャガーの足元にも及びません。そして、量産品のカローラのまねは量産技術を手に入れればすぐにできてしまいます。ですから、セイコーやシチズンが韓国や中国のメーカーの追撃を受けてスイスの時計メーカーに勝てなかったのも同じなのです。
また、日本の閉鎖性の問題もあります。日本の技術は世界一といわれていますが、それは日本の物差しで測った場合のことで、異なる物差しを使用する国に行けば通用しません。その最もわかりやすい一例が携帯電話だと思います。日本製の携帯電話は世界市場に通用していません。
日本製品の国債市場でのブランド力を上げていかなければいけませんが、最後をシューマッハの一文で締めくくります。
「奇妙なことであるが、技術というものは人間が作ったものなのに、独自の法則と原理で発展していく。そしてこの法則と原理が人間を含む生物界の原理、法則と非常に違うものなのである。自然界のすべてのものには、大きさ、早さ、力に限度がある。だから、人間も一部である自然界には、均衡、調節、浄化の力が働いているのである。しかし、技術にはこれがない。というよりは、技術と専門家に支配された人間にはその力がないというべきであろう。」(「スモール・イズ・ビューティフル」より)
その3へ続く