昨年、ドイツとフィンランドで研修した際、寝たきり老人という言葉が通じず、はじめてヨーロッパに「寝たきり老人」がいないことを知りました。
日本は長寿世界一です。しかし、世界で一番長生きできる国は、実は、世界で一番苦痛な老後を送らなければならない国となっているだけでなく、ベッドの上で横たわったまま一番長く生涯の日々を送らねばならない国となっています。
日本は長寿社会ではなく、単に長命社会でしかないと、今世界で言われていますが、昔と比べて、物も豊富、金も豊富になったのに、まずしかった昔ほど敬われることもなく、粗末に扱われてしまいます。
戦後の貧困の中で夢見られた人間の幸せとは、物が豊富で、毎日うまいものを食べ、いい服を着て、いい家に住むということであったように思います。
だから、お金があれば夢が実現できると、一生懸命に働き、稼ぎに稼いできたが、年をとったら社会的な居場所がない、寝たきりになったというのでは、とても幸福とは言えません。
450年ほど昔、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが本国のイエズス会に書き送った手紙で、当時の日本を垣間見ることができます。
「日本人は今まで発見された民族、国民の中で、最も親しみやすく、善良で悪意がなく、財産よりも名誉を大切にし、礼儀正しく折り目正しい人々である。
大部分の人々は、読み書きができ、知識欲旺盛で、酒飲みの節度は緩やかで、賭博をせず、盗みを憎み、盗みについての節操が強い。
日本人は貧しい食事をしており、その内容は少量の米と麦を食べ、野菜はたくさん食べるが、家畜の肉は食べず、時々魚を食べ、数種類の少しの果物を食べるが、不思議なほど健康で、老人がたくさんいる。」
ザビエルは、日本人の生活を見ていると、たとえ満足でないわずかな食事でも、生きていけるものだということが良くわかり、他の国では生活用品が豊か過ぎて、人々は心身の害を受けているのだ、と指摘しており、美食すれば心身の害が出てくるのに、粗食すれば健康長寿で社会も平和であることに驚きを示しています。
教わった歴史観では、貧しく不幸であったと考えられる時代が、実は、老若男女を問わず、家族の一員としてかけがいのない人としての居場所が在り、今は何でも金がなければどうにもならないと勘違いしているが、むしろ金で買えない多くのものがあることを教えてくれるように思います。
しかし、昔に戻れと言っているのではありません。
理念上で、今ある現実を全て否定することは最も簡単なことですが、実際に現在を生きている人々が適応できなければ意味のないことであり、不安と不満を打ち消すことはできないと思います。
今の時代のありようの中で、人間の幸福・安心とは何かを真剣に考え直すことが求められていると思います。
日本は低福祉の国のままで良いのでしょうか。